第3話

第3話 不在の魔王とお抱え作家



 

 城の中に案内される。出迎えたのは、広すぎるエントランス。深紅の壁、深紅のカーペット、深紅のシャンデリア、深紅の階段に、深紅の扉。何もかも深紅一色。見ようによっては、血が滴っているように…。廊下の奥を覗き見ると、等間隔に数多の部屋が並んでいる。


「シロ市長、僕について来て下さい。くれぐれもはぐれないように」


 興味はある。一つ一つ部屋を見て回りたい。だが、今は控える。姿は見えぬが、気配を感じる。友好的とは思えない強い感情が渦巻いている。


「静かですね。怖いですか?」

「………ああ」

「そんなに怖がらないで下さい。大丈夫ですよ。魔王様は、留守にしています。城に居るのは、僕とビル。そして、お抱え作家の田狩先生です」


 気配の数はそれ以上。とても信じられない。


「で、何処に案内するつもりだ?」

「田狩先生の所です。無礼の無いようにお願いしますよ、あの方は、地球の希望ですから」


 何度か本を読んだ。何度読んでも、つまらない。こんな物が救いになるとは思えない。構成も、文脈も、何もかもが素人。ただ書きなぐった日記、その程度が評価の限界。

 気が付くと、大きな扉の前に来ていた。どの扉よりも大きく重厚。ほんの数分歩いただけ、長い廊下を歩き切った印象は無い。


「ここです」

「……かなり重用されているらしいな」

「魔王様も敬愛されていますから」


 フロスがノックすると、中からか細い声が響く。


「ふ、フロスか……腹、減った……」


 扉が開かれると、エプロン姿のサニーが出てくる。


「フロス坊ちゃん、すみません。私の腕では、田狩先生に合う料理を作れないようです」

「分かった。後は僕に任せて」


 サニーは、お辞儀をして出ていく。

 その後姿を、シロは凝視する。


「な、なぁ、あの子は?」

「先生のお世話役です」


 フロスは、シロの様子を悟る。


「気になりますか?」

「ああ」

「先生との面談後、時間を設けましょうか?」

「………た、頼む」


 興味があるが、今は面談の成否が重要。シロを部屋の中へ案内する。


「先生、お連れしました」

「ご苦労様。す、すまないが……ご飯頼む」

「分かりました。直ぐにお持ちしますので、それまで宜しくお願いします」


 中に入ってみると、扉のサイズとは大きく乖離した狭さ。6畳一間程で、ベッドと机を置いたら自由なスペースは殆ど無い。全体を一周見渡すと、扉がかなり縮んで見える。部屋にマッチしたサイズ。里留を放置し、一度外に出る。外から見ると、やはり巨大。扉を隔てて空間が切り替わっているように思える。


「信じられそうか?」


 里留の問いに、シロは戸惑う。


「信じた方が良いのか? 宇宙人の件も、魔王の件も、否定したくて堪らない」


 宇宙人からも、魔王からも、異様なまでに重用される人物。この状況を打開できる唯一の存在。頭では理解しつつある。だが、本能が侮らせる。取るに足らない貧弱な雑魚、捕食すべき対象。フロスには全く感じなかった。


「そう思うなら、そうしたら良い。信じろと強要するつもりはない」

「自由に振舞って良いと解釈するが、それでも?」

「どうぞ」

「…お前たちの技術を、我々にも供与してくれ。飢餓に怯える必要がなくなる」


 里留は、一枚の鉄板をシロに差し出す。


「その鉄板には、色々な情報が詰まっている。欲しい技術だけじゃなく、宇宙人の計画や魔王の生態、他にも多岐に渡る」


 捻っても、叩いても、鉄板に変化はない。


「どうすれば良い?」

「それは教えられない。自らの力で解き明かしてこそ、宝を得る価値が生まれる。何の努力も無しに手に入ると思わない事だ」


 リザードマンに我慢の概念は薄い。黒い衝動を押さえつけられず、鉄板の角を里留の首に強く押し付ける。


「教えろ! さもないと、死ぬぞ!」


 本能が示す通り、里留はただの雑魚。この状況を覆せる術を持っているように見えない。脅迫に屈しないなら、人質として連れ去る選択肢も選べる。殺しさえしなければ、如何様にも扱える。


「……良いのか? サニーは、お前を嫌うだろうな」

「サニー? 何者だ?」

「俺の世話役だ」


 手から鉄板が滑り落ちる。


「女を使うとは…」

「生き残るための手段だ。人の事を責められるのか?」

「……確かにそうだな」


 不思議な感覚が襲う。リザードマンの本能が薄れ、人間らしい感情が強くなる。貧弱な雑魚だが、言い知れぬ強さがある。取るに足らない存在だが、傍に居て欲しい頼もしさを感じる。シロは、里留に仄かな友情を抱く。


「悪かった。謝る。だから、サニーには…」

「話さない」


 友情の証として黙秘を約束。その上で、更にプレゼントを贈る。鉄板を拾い上げ、右端の一部を千切り、千切った破片を力一杯伸ばす。すると、一枚の大きな紙に変わる。様々な植物や物質の性質が事細かく図解されている。


「これがあれば、少なくとも飢餓の心配は無くなる筈だ」

「…どうして?」

「野生の本能に打ち勝った褒美。まぁ、そういう事で」


 何故の解答は成された。里留を認めてしまっている此の心がその証。




 シロが帰った後、里留とフロスは祝杯を挙げていた。フロスの盃は並々と酒が注がれているが、里留の盃は空っぽ。空っぽのまま飲んだつもりで楽しんでいる。


「先生、ありがとうございます」


 フロスは、深々と頭を上げている。

 机に突っ伏す里留は、腹を摩りながら笑う。


「どうなるかと思った。予定通りに話が進んだから良いが、もしシロが強硬に出たらどうするつもりだったんだ?」

「僕らには無数のデータが揃っています。思考ルーティンを解析すれば、全ての行動、発言、自由に操れます」


 シロの行動は、フロスの掌中だった。里留に危険は無く、交渉は絶対成功する。シロは初めから布教の徒にされる運命だった。


「ただ、サニーへの感情は外れました」

「………あれは、仕方ない」


 フロスの予定では、恋心。里留の予想は、親心。しかし実態は……子心。面談の後、サニーと会ったシロは、子守唄を懇願した。どうやら母の昔の姿に似ているらしく、懐かしさが抑えられなかった…との事。外れたのは、人間だった頃の様子。かなりの女好きで、年齢様々、雰囲気様々な女性を性の対象としていた。本能剥き出しのリザードマンを素体にしたからには、よりその傾向は顕著になる筈だった。


「リザードマンの本能が人間の思考を変異させた…? 今後もこの傾向が現れるのか、現れないのか、想像すると何だか怖いですね…」

「宇宙人でも想定出来ない変化か、むしろ面白いけどな」

「楽観視出来ないですよ。場合によっては窮地に陥る事もありますから」


 心配性のフロスを笑おうとした瞬間、ビルが大慌てで飛び込んでくる。


「せ、先生! 帰ってくる途中、リザードマンの少女が、男達に…」


 少女を助けたい。でも、介入を禁じられている。救助を許すとは思えない。


「何をしている! 早く助けに行け!」

「で、ですが……」

「良いから行ってこい!」


 予想と反する判断に戸惑うが、ビルは嬉しそうに救助に向かった。


「よろしいのですか? 一度介入すると、後戻りできなくなりますよ」

「シロに渡した情報によって、文明は進化する。生活は豊かになり、精神に余裕が生まれる。余裕が生まれると、人は愚かな考えを抱く。何もしないで放置すれば、人類は同じ轍を踏むに決まっている」


 地球は、最大の危機に瀕している。復活するか、消滅するか、決めるのは里留の本。同じ文明に至ってしまえば、普及なんて夢のまた夢。神を気取って見守るのは、これからは得策ではない。どんどん介入して、ブレメル基準の思考を定着させないといけない。


「さとて、雄姿を見届けるとしようか」


 タブレットを駆使し、ビルの姿を追う。城から300mしか離れていない毒沼辺りで、三人組の男が一人の少女に迫っている。体長から察するに、男三人組は中年から老人。若者は居ない。その所為か、古風な訛り口調で威圧感が弱い。一人の男が、少女の肩を掴み首筋辺りを舐め回す。嫌がる少女が「止めて!」と悲痛な叫びを上げると、間もなくビルが登場。素早い身の熟しで、問答無用のアッパー。強靭なリザードマンをたった一撃でノックアウト。少女を背後に匿い、残り二人と対峙。しばらく睨み合いが続いた後、倒れた一人を抱えた逃げていった。


「先生……どう思います?」

「呆気ないな。もしかして、何か意図があるのか? やけに年配のリザードマンだったのも気になる」

 

 二人が違和感に戸惑っている間に、事態は急変。少女がビルに抱きつく。頬を赤らめ、恥ずかしそうな身振り。そして、始まる質問タイム。年齢は? 職業は? 何処に住んでいる? 恋人は? 危機に晒されていたとは思えない転身ぶり。ビルは、素っ気なく質問に答える。1826歳、護衛、魔王城、居ない。異常な年齢に発奮しそうになるが、少女は恋人が居ない事に嬉しそう。ビルに困った相談をする。


「私と付き合って」




 一時間後、ビルは少女を連れて魔王城に帰還する。真っ先に向かったのは、里留の部屋。

 ビルは、申し訳なさから只々頭を下げ続けている。反面、少女は里留を睨みつけている。


「先生……すみません」


 謝るビルを無視して、少女は長い爪を里留の腹に押し付ける。リザードマンである事を認識しての行動。


「恋路を邪魔する悪魔! 私とビルの交際を認めなさい!」


 無礼千万の態度に、外で控えていたフロスは激怒。扉の隙間から覗き込み、大きめの咳払い。


「邪魔する気はない。自由に付き合えば良い」

「せ、先生! ここはビシッと!」

「俺には、断る理由がない。ビルが嫌なら、そう言えば良いだろ?」


 少女は、ビルの腕をしっかり掴み離さない。ビルの目を見つめ、想いを訴えかける。しかし、ビルは目を合わせない。


「………迷惑なんだ」


 ビルの勇気に、少女は微動だにしない。


「悪魔の所為ね。私に任せて、成敗してあげるから!」


 少女は、里留の腹に爪を突き刺す。一切躊躇いを感じない。苦しむ里留を気に留めず、ビルの方しか見ていない。


「これでもう安心。ビル、行こう。きっとお父さんも気に入るよ」


 完全にビルの意思なんて関係ない。自分が良ければそれでいい。一時間掛けても説得出来なかった理由を痛い形で里留も知れた。微笑ましい光景と思っていた自分を恥じる。


「おい、女」


 ビルは、少女を睨みつける。冷徹な意思が瞳に宿っている。


「我が主に、何をした……」


 首を鷲掴みし、持ち上げる。かなりの力が込められており、指がゆっくり突き刺さる。あまりの痛みに、少女は初めて表情を強張らせる。


「わ、私は……ただ…」

「ただ、何だ? 殺そうとしたように見えるが」


 指がどんどん食い込んでいく。もはや、少女はビルに好意を寄せていない。触れてはいけない物に触れてしまったと、激しく後悔。涙を流し、許しを請う。だが、ビルは力を緩めない。


「ビル……止めろ。もう良い」

「し、しかし……」

「この程度、なんてことない。ただのかすり傷。許してやれ」


 第二関節まで腹に食い込んでいる。もしかしたら、内臓に達している可能性も。


「…分かりました」


 ビルは、少女を放す。


「二度とその顔を見せるな」


 少女は、ビルの目を避けるように走り去った。

 フロスは怒りを滲ませ、扉をゆっくり開ける。


「ビル、後で…」

「は、はい」


 お仕置きに怯え、ビルも去って行く。

 珍しく、里留に対しても怒りを露わにする。


「先生! 何を考えているんですか! あの手の女は、後が怖いんです!」

「後って……」

「面倒な事になりますよ」


 腹の傷を心配して過剰になっている。里留の認識はその程度だった。




 翌日。


「こんにちは~」


 魔王城に戦慄が奔る。あの少女が何食わぬ顔して現れた。ビルと会っても知らんぷり、止められない内に里留に部屋に突入。机に突っ伏す後ろ姿に体当たり。


「会いに来たよ!」

「あっ! お、おお……ど、どうして?」


 少女の首には、包帯が巻かれている。血が滲んだ様子は無く、怒りながらもビルが手加減していた事が窺える。


「昨日はごめんね。やり過ぎたって反省している…」

「そ、そうか。大した事なかったし、もう気にするな」

「やっぱり優しいな~」


 少女は、里留の腹を摩る。突き刺した場所を優しくゆっくり。


「ねぇ、魔王様は?」

「え?」


 魔王なんて存在しない。シロを説き伏せる為の設定でしかない。


「会いたいんだけど」


 居ないと開き直って謝る。残念だが、そんな選択肢は無い。フロスも、里留も、ビルも、少女に対しては魔王の存在を明らかにしていない? 知り得る可能性があるのは、シロ経由。ここで嘘だとバレてしまえば、シロに伝わる可能性が高い。布教の協力は断られ、信用を失い、最悪ダルムと同様に悪しき存在として流布されてしまう。地球再生の日が大きく遠退く。


「魔王様は忙しい。残念だが、いつ帰ってくるか分からない」

「え~、そうなの」


 疑っている様子はない。一安心と行きたいが、少女の表情に嫌な予感が張り付いている。


「大事な用があるのに…」

「俺も忙しいから、今日のところは…」


 少女は、机に置かれた書きかけの原稿用紙を覗く。


「そっか、小説家なんだっけ………何これ、面白くない」

「悪かったな」


 慣れているとはいえ、かなり堪える。散らばった原稿用紙をかき集め、引き出しの中に仕舞う。


「いいから帰れ。魔王様が居る時にまた来い」


 言われた通り、少女は大人しく扉へ向かう。

 ノブに手を掛け、ゆっくり振り返る。


「また来るから……さ、と、る♡」


 背筋が凍る。好意に満ちた瞳に戦慄を覚える。彼女は、身勝手な都合で殺そうとした。そんな存在が好意を寄せている。堪らなく怖い。後ろ姿が見えなくなっても、こびり付いた恐怖は剥がれない。

 フロスが、困った顔で入ってくる。


「思った通りでした…」

「ふ、フロス…何が何だか」

「彼女、先生に惚れたようです」


 人の言葉を聞かないモンスターが、この先何度もやって来る。好意を寄せられて鬱になるのは、これが初めて。根気強く説得し続けるか? 受け入れてしまうか? どちらが正解か想像出来ない。


「命じて頂ければ、データに戻しますが?」

「殺すのか?」

「そもそも仮初の体ですから、殺すと言って良いのか…? 痛みも無いですし、あまり気にしないでも良いと思います」

「………止めておく。仮初でも、何だか嫌だ」


 悪意によって両親を殺された。だから自分だけは、都合という名の悪意で生死を決めたくない。どんなに嫌でも、怖くても。




 翌日。

 当たり前のように、少女は現れた。

 そして、尋ねる。


「魔王様は?」


 鬱々とした空気に関せず、我が道を真っ直ぐ貫く。彼女の目には、未来が見えている。優しい彼と過ごす幸せな日々。しかしそれは、一人の犠牲によって見られている。

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