第2話

第二話 新人類、リザードマン




 思考のインプラントは、異星人の技術を以っても非常に難しい。家族関係、仕事関係、近所関係。記憶に残っている状況を正確に再現しなくてはならない。もし違う状況が混じってしまうと、上手く思考が定着せず、素体となった生物の思考が優位に立ってしてしまう。そうなれば、折角インプラントした思考が壊れてしまい、二度と再生出来なくなる。インプラントする生物を詳しく理解し、丁寧に状況を合わせ、漏れなく再現。インプラントが定着すれば、その後の変化は影響を及ぼさない。人間の思考は維持される。

 最初に選ばれた種族は、爬虫類。頭から尻尾まで、平均全長3m。堅い皮膚は毒にも酸にも強く、環境に窮する事は無い。鋭く長い爪は、意外にも器用で何でも作れる。脳が発達しており、言語機能も問題なく使える。背骨の構造が二足歩行にも対応可。味覚に敏感で多様。素体としては、かなり優秀。思考のある生物を犠牲にする点以外は…。



 用意された机で熱心に物語を綴る里留。平穏で凹凸の無い物語なら、幾らでも書ける。ただ記憶を掘り起こし、幸せだった頃を記せば良い。机脇の棚には、原稿用紙が溢れている。サニーは、何も言わず溢れた原稿用紙を整理している。


「先生、執筆作業は捗っていますか?」


 コーヒーを持ったフロスが現れる。


「殆ど書き終わった。だけど……これじゃ意味ないな」

「どうしてですか?」

「自分で言うのもなんだが……やっぱり面白くない」


 工夫したくても出来ない。里留に文才は無い。記憶を記しているだけで、文章に応用を利かせられない。頑張って面白くしようとしても、話が通らなくなるだけ。


「そのままで良いです。工夫するのは内容ではなく、売り方。その点は我々で考えます」


 長い黒髪を三つ編みにした碧眼の青年が、部屋に入ってくる。整った顔立ちで、穏やかな雰囲気。初対面だが、馴染みやすさを感じる。しかし、何故か妙に近寄り難い。


「お、お初にお目にかかります! わたくし、VIL32661と申します。先生にお会いできて、し、至上の喜びです!」


 極度に緊張した面持ちで、里留の顔を見るなり全身を震わせる。ブレメル星での里留の立場が窺い知れる。


「彼と共に、爬虫人類リザードマンのインプラント状況を精査します。思考の変化、趣向の変化。人間だった頃との違いを理解し、売れる仕組みを探ります。もしかしたら、人間だった頃には使えなかった手段があるかもしれません」


 里留は、青年の顔をしばらく見つめ…。


「ブレメル星では、普通なのか……その名前」

「地球人のような名前は、高級品なのです。我々のような貧乏人には…」


 フロスは、青年の手を掴み、睨みつける。


「先生。誤解の無いように言っておきますが、彼とて名を買う事は出来ます。節制し、給料を貯めれば…」

「本当か? じゃあ、どのくらい節制すればいいんだ? どのくらい貯めればいいんだ?」

「そ、それは……」

「在る者の言い分と、無い者の言い分には乖離がある」


 里留は、青年の胸に一枚のメモを張り付ける。


「これから、そう呼ばせてもらう」


 メモには、『ビル』と書かれている。


「これが、私の?」

「地球に居る間は良いだろ? なぁ、フロス」


 里留が手を合わせて頼むと、フロスは戸惑いながらも頷く。敬愛する先生の頼みなら、母星の異議があっても応えるしかない。嫌々ではない。応える事に喜びがある。


「ビル、地球に居る時だけだからな」

「…はい」


 里留の願いは聞き届ける。しかし、ビルに優しくなった訳ではない。不機嫌をずっと傾け続けている。


「先生、そろそろ行ってきます。後の事は、サニーに申し付け下さい」

「分かった。念を押しておくが……ビルを虐めるなよ」


 フロスは、何も言わずに去って行った。

 後に続くビルは、「大丈夫です」と敬礼していた。


「なぁ、サニー。どう思う?」

「恐らく、ビルに当たるかと思われます」

「…やっぱり」

「ビルは慣れています。気にする必要はありません」


 サニーは、束ねた原稿用紙を抱えて出て行った。

 一人になった里留は、忍び足で窓に向かう。窓枠の僅かな窪みに指を引っ掛け、持ち上げる。すると、窓を覆うようにモニターが出てくる。


「さてさて、今日は何処を見ようかな…」


 手慣れた様子で扱い、世界地図を表示する。見る限り、元の地球と地形は殆ど変わっていない。日本だった場所にズーム、町のある地点を表示。かつての東京、面影の残っていない砂漠状態の荒れた大地。毒と酸に負けない紫色の木々が僅かに茂り、環境に順応で来た虫や動物が食物連鎖の掟に則って生きている。そんな新時代の野生世界に、異様な光景が紛れている。コンクリートと鉄で出来たアパートが数十件建っている。ここは、フロスが作った箱庭。インプラントしたリザードマンが思考定着まで暮らす町。『オリジン』。


「治安は如何かな…?」


 定着までの凡そ1週間、町に組み込まれたAIシステムがリザードマンを監視している。それぞれの部屋が、記憶を疑似再現した最適空間。町に併設された駅を使用し、様々なシチュエーションを再現。日々のルーティンを正確に実行させつつ、現状に疑いを持たないように適時行動を操作している。彼らは、操られている事に気付いていない。


「なぁなぁ、良いだろ? 減るもんじゃないし」

「い、嫌です! 止めて下さい…」


 緻密に再現していけば、嫌な記憶も含まれてしまう。駅が介在するシチュエーションならば、痴漢が湧いてくる事も…。本来なら、嫌な光景でも黙って見守るしかない。インプラントを定着させる為には仕方がない。しかし、里留はそれが出来ない。嫌な思いをさせずルーティンを熟せるように、AIに指示を出す。指示を出すのは簡単だが、要望を叶えるAIは大変。痴漢に遭うたった一人の為に、様々な行動、事象を改変。痴漢を起こせない状況を無理やり作り上げる。一度成功したからと言って終わりではない。その後も、改変によって生じた異常に対処し続ける必要がある。過負荷は甚大で、インプラントの進捗に影響している。


「田狩先生! ダメじゃないですか!」


 戻ってきたサニーが、モニターのスイッチを切る。


「お気持ちは分かりますが、これではインプラントに時間が掛かり過ぎます」

「分かっているんだけど……つい」

「先生は、人間の選別をしたいのですか? もしそうなら、インプラントは中断して、全ての記録を破棄。新しく人間を作った方が理に適っています」


 サニーは、誰に対しても決して意見を曲げない。自分の善悪感に従って、媚びる事なく意見を述べる。その傾向が強過ぎた所為でブレメル星のお偉方に嫌われ、生産中止に至ってしまった。しかし、里留はその逆。媚びない態度が気に入っている。


「分かった。これからはしない」


 サニーは、机にそっとタブレットを置く。


「その代わり、インプラントが終わったリザードマンに関しては、自由に介入してください。ただし、忘れないで下さい。彼らには、彼らなりの事情があります。リザードマンは、厳密には人間ではありません。思考が人間というだけです」


 定着後、リザードマンは『ダルム』という神を創り、変わってしまった全ての責任を押し付けた。こんな姿になったのはダルムの所為、こんな生活をするのはダルムの所為。ダルムに押し付ける事で、リザードマンになってしまった現実を辛うじて受け入れている。一度受け入れてしまうと、順応は早い。虫を食べるのも、枯れ葉の寝床に寝るのも、本能が強すぎる事も、ダルムに押し付ければ普通だと思えるようになっている。




 あれから毎日、リザードマンの営みを眺める。見知った常識と断絶された日常は、心を抉る威力がある。しかし、見れば見るほど引き込まれる魅力もある。ある家族は、川辺の洞窟で芋を育てている。外気に触れないように入口を塞いで、体内に取り込み毒抜きした水(尿)を撒いている。毎日尿を撒き、丁寧に虫取りをして、5か月後ようやく収穫。出来上がった芋は、汚染されていない貴重な食糧。だが、彼らは芋を食べる事が出来ない。順応する過程で、毒や酸が必要な栄養素になってしまっている。では、誰の為に作っていたかというと、耐性を持たない小さな昆虫。リザードマン界隈では、昆虫をペットとして買うブームが来ている。地中に潜っている無耐性の昆虫は特に価値が高く、多くの食料と交換出来る。ある者は、毒沼に浮かんで一日を過ごす。雨さえ降ってくれば酸も補給でき、何もしなくても生きて行ける。働くのが嫌なのではない。働かずに生きて行ける価値に酔いしれているのだ。同じ感覚の者が多いのか、毒沼はリザードマンだらけ。本当に色々な生き方がある。人間だった頃と違うように見えるが、多様な生き方を満喫する様は本質的には変わっていない。

 そんな中、里留には気になって仕方がない家族がある。


「田狩先生、今日も見ているのですか?」


 コーヒーを運んできたサニーは、タブレットに張り付く里留を見て苦笑い。


「そうなんだ。なんて言うか……親心、かな?」


 里留が見ている家族は、母親の居ない父子家族。まだ幼さの残る娘は、父親のちょっとした行動が嫌になる思春期。母親に任せっきりだった父親は、娘の扱いが分からず右往左往。一見すると仲が悪そうに見えるが、接し方が噛み合っていないだけ。ふと垣間見せる親子の情愛に心が和む。


「父親は、ゼイム教の指導員でしたよね?」

「生きて行く為に仕方なく。ノルマ達成が出来なくて、教祖から毎日叱られているな…」


 ゼイム教とは、絶対神ゼイムを崇める新興宗教。宗教と謳っているが、根底にあるのは商売。彼らはダルムを手段に私腹を得ている。「その心にはダルムが居ます。だから、これを買ってください」と、木の根で作ったネックレスを売り。「この子はダルムの所為で病にかかりました」と、無理やり荒行を強いている。もし効果が無くても、「ゼイム様への信仰が足りない」と一蹴されるだけ。悪評は既に広まっており、殆どのリザードマンが受け入れていない。


「他に食料を得る手段は無いのですか?」

「娘が病気で、長時間家を空ける事が出来ない。手軽に、近所で…となると、ここしかない」


 父親が頑張るのは娘の為。例え嫌でも頑張るしかない。そう誓ったのだが、やはり悪徳宗教に力を貸すのは気が引ける。だから、ノルマを敢えて達成せず、教祖の怒りに耐えて日々の糧を得る。叱られるだけで食べて行けるなら安いもの。多くの傷と痛みに耐えられるなら…。


「田狩先生、介入しないのですか?」

「二人の生活は、過酷で希望が見えない。でも、だからこそ、二人の絆は確かなものになっていると思う」


 介入するつもりはない。問題を解決出来るのは、各々の努力であるべき。それが、これまで見てきた結論。




 リザードマンの都市、ルーズ。

 インプラントを終えた者達が、混乱と不安に塗れながら作り上げた最初の基盤。人口は、2万人。都市とは言っているが、雑に木々を重ね合わせて作った家屋が適当に並んでいるだけ。ランダムに選ばれた所為か、今のところ大工は含まれていない。データの海から的確に選び取れず、しばらくはこのままの状態が続きそう。

 紫色の屋根が特徴的な大きな家屋には、リザードマンが持ち寄った食料が保存されている。所謂、備蓄庫。毒や酸が染み込んだ野菜や肉は、腐敗が遅く、適当な管理でも一週間ほどは鮮度を保てる。これらは、ルーズの財政資金。依頼した仕事の報酬として扱われる。


「市長、そろそろ税金を増やしましょう。事業が滞っています」


 灰色の長身リザードマンが、凸凹な床をハンマーで叩いている。彼がルーズのリーダー。市長のシロ。彼曰く、58歳の老人。しかし、働きぶりは20代の若者でも敵わない。合間合間で鱗をボリボリ掻きながら、秘書の話に耳を傾ける。


「住民の生活は逼迫している。これ以上は無理だ」

「しかし…」

「それより、農耕の件はどうなった?」

「実験は繰り返していますが、あまりにも違い過ぎて…」


 床の凹凸を直すと、今度は天井の隙間に板を張り付け始める。


「昨日の旅人の話、本当だと思うか?」

「……あ~あの。眉唾ですよ。本を買ったら何でも提供するなんて、ちょっと信じられません」

「同じく、そう思う。だが、もし本当なら……ルーズの状況は変わる」


 誰かが小屋に近づいてくる。リザードマンとは思えない軽い足取り。


「すみません。昨日の者ですが…」


 シロは、ハンマーを置いて扉を開ける。


「いいタイミングだな」

「たまたまですよ」


 立っていたのは、フロスとビル。両手一杯に食料を抱えている。リザードマンの彼らには、同族に見えている。

 フロスが本を差し出す。里留が書いた『ある家族の記憶』、題はフロスが考えた。


「…本当に本を買ったら、何でも寄こすのか?」

「はい」

「だったら、農地をどうにかする策が欲しい」


 シロは、大きな肉塊をフロスに差し出し、本を買う。秘書の様子から、かなりの価値があるようだ。


「東方の森にある掌の形をした草を大量に摘んで、畑に撒いてください。三日放置したら土と草をしっかり混ぜ合わせ、後は好きな植物を植えて下さい」

「…それだけか?」

「もし上手く行かなかったら、倍の量の肉を返します。その代わり、もし上手く行ったら、その本をルーズに広めて下さい」


 半信半疑だったが、取引としては然程重くない。取り敢えず、言われた通り実行する事にした。




 一か月後。

 ルーズの畑に、紫色の稲が実っていた。生育は非常に順調で、どれも良い具合に毒々しい。順調過ぎる様子に、シロは戸惑いを隠せない。


「まさか、ここまでとは…」


 稲穂に鼻を押し付け匂いを嗅ぐ。色は違っても、匂いは稲そのもの。余計に眉間の皴が深くなる。


「お気に召しましたか?」


 いつの間にか、フロスが背後に。

 シロは、驚いている様子を見せない。


「ああ。だが、気になる事が多すぎる。どうしてここまで詳しい? この地に放たれて5年、研究者を動員して調査を行ってきたが、何一つ分かっていない。毎日吸っている大気も、飲んでいる水も、普通じゃない事しか分からない。どうして俺達は、こんな世界に放たれた? どうして俺達は、こんな姿になっている? 知っているなら、教えてくれ…」


 フロスは、笑顔で里留の本を差し出す。


「本を広めてくれるなら、教えて差し上げます」


 シロは、意表を突かれた。断られると思った。重要な秘密に関わるとか、知れば死ぬ事になるとか、物騒な文言を蓑に使うものだと…。だから、余計に不安になる。本を広めるだけで済むとは思えない、何か大きな代償が後で要求される。カタカタと鱗を震わせる。


「……本当か?」

「はい。別に隠すつもりはありませんから」


 恐怖に負けていられない。現状を理解しなければ、展望もない。


「教えてくれ」

「分かりました」


 フロスは、シロに真実を話し始めた。大いに改変された真実だが…。


「宇宙人が別の世界に転生させた! この姿で!」

「はい。実験の一環らしく、調査が終了したら元の世界に戻すそうです」

「その調査ってのが、過酷な状況に放り込んだら、平和な日常を重んじるようになるか調べる事。この本が判定基準…」

「調査官が強情な方で、「地球人は好戦的過ぎる! 可能な限り平和な思考が定着するまでは続ける」と仰っていました。僕を管理者に任命したのも、その役目に最適と考えたからだそうです」


 宇宙人が実験の為に、地球人を異界に転生。平和な思考が定着したら元の世界に戻れる。そのカギは、里留の本を広める事。真実とはかけ離れているが、何をしなければならないか伝わる内容。フロスなりに考えた布教作戦。シロが納得すれば、大きな一歩を踏み出せる。


「……よく分かった。だが、本を広める為には、もう少し情報が欲しい」

「何の情報が欲しいですか?」

「調査官の居場所…と、言いたいところだが、お前さんの居場所にしておこうか」


 シロは、納得しなかった。良く言えば、芯が通っている。悪く言えば、頑固。自分で見た物しか信じない。


「分かりました。ご案内します。ただし、ご理解ください。僕はあくまで、居候。好き勝手動き回るのは止めて下さい」

「これでも気配りが出来る方だ。安心しろ」


 相手を知り、見極める。シロが政治家だった頃の信条。




 三日後。

 シロが拠点にやってくる日。


「ここか…」


 紫の毒沼に佇む白亜の巨城。美しく、禍々しい辺りの雰囲気とは明らかに乖離している。柔らかい毒沼の土壌に浮かぶように建っており、地球の常識では理解出来ない。道端に転がる溶けた鉄塊。表面がツルツルしていて、力を籠めて押すとその部分だけ凹む。よくよく観察すると、溶けているのではなく変形しているだけ。城を起点に闊歩する巨大生物。恐ろしさを詰め込んだような存在だが、シロを視界に収めても襲ってくる気配はない。近づいてみると、踏まないように気を付けてくれる。優しいのか、客人だからなのか、今のところ不明。


「ようこそ、シロ市長」

「あ、ああ……」


 その目で見た結果、フロスが嘘を言っていないと仮判断。表情を強張らせ、恐る恐る近づく。


「なぁ、お前の主は何者なんだ? 調査官じゃないんだろ?」

「僕の主は……魔王様です」


 信じられない。現実に存在する訳がない。しかし、この光景を見せつけられれば、嘘と断言する事も出来ない。

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