第83話

「だが蘇我そがが権力をもつ為に犠牲になった人達も多い……」


椋毘登くらひとの脳裏にふと、1人の少年の顔が浮かんだ。


(あいつも、俺の一族のせいで犠牲になってしまった。もう俺はあんな思いは2度としたくないんだ)


「うーん、確かにそれはきっとあったでしょうね。私のいる平群もそうだった。

昔の大王の反感を買って、1度は衰退させられたもの。でもそこから必死で這い上がってきたわ」


「まぁ、そんな感じだな。だから俺の幸せなんていうのは二の次なんだ」


そういって椋毘登も、この話を切り上げようとした。


だが稚沙ちさは尚も続けて彼にいった。


「でも、それで椋毘登は幸せなの?もし今後あなたに好きな女性が現れたとき、今回の糠手姫皇女のように潔く諦めるつもり……」


(それなら、前に私にいったことはやはり全て冗談だったってこと?)


だが椋毘登は、それを聞いた途端急に動きが止まった。


「お前に、俺の何が分かるっていうんだ!」


彼はそういうと、いきなり彼女の腕をつかんで、近くの壁に追いやった。


「どうして、女ってのはそういう話しをしたがるんだ?」


彼の言葉自体は怒っているような口調だが、表情はひどく悲しそうに見える。


「私は、椋毘登のことが心配でいってるの。それに私たちにも幸せになる資格はあるはずよ!」


稚沙は少し切ない気持ちで、まっすぐ椋毘登の目を見つめた。


「へぇー、私たちにもか。つまりこういうこと?」


彼はそういって稚沙に顔を近付けると、いきなり彼女の唇を自身の口でふさいだ。


稚沙はいきなり椋毘登に口付けされたことに気付き、思わず彼を引き離そうとする。


だが彼に腕を捕まれているのと、彼の力がとても強くて引き離せない。


(え、どいうここと?)


だがそうこうしているうちに、稚沙もだんだんと感覚が麻痺してきだした。


それに気付いた椋毘登は、彼女の腕を離して、両手を彼女の背中に回してくる。

そして尚も角度を変えながら、彼女の唇を求めた。


(椋毘登、どうしてこんなことをするの)


稚沙もそんな彼に対して、とても切なくなってきて、しまいには彼女の方も彼の首に腕を回して、彼の口付けを受け入れる。



そうやっていると、急に遠くの方で人の声が聞こえてきた。恐らくこの厩の見張りの者だろう。


すると椋毘登は「ハッ」として彼女から口を離した。


「く、椋毘登……?」


稚沙は今までの口付けのせいで、頭がボーとしていた。そして虚ろな目で彼を見る。


そしてそんな彼女を、椋毘登はとても優しい目で見つめてくる。


「悪い稚沙、何か感情が高ぶって、気持ちが抑えられなかった」


(うん?気持ちが抑えられなかった……)


それは一体どういうことだろうと、稚沙は思ったが、今の彼女の頭と身体は全く動いていなかった。


「じゃあ、俺そろそろ行くよ」


椋毘登はそういって、軽く彼女の頭に口付けたのち、そのまま厩の中に行ってしまう。



そして彼の馬に股がる音がして、そのまま馬を走らせて出ていってしまったようだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る