第66話

「そう、特にあなたの場合、ここに仕えるようになって、余り里の方にも帰れていないのではない?

そもそも休暇を取りたいなんて、中々周りにいいずらいだろうから」


炊屋姫かしきやひめがまさか、そこまで自分のことを見ていたとは、全く考えていなかった。

確かに自分は女官の中では一番年齢が低く、経験も浅い。なので休みの希望なんて、とてもいえる雰囲気ではなかった。


「炊屋姫様がそこまで私のことを……」


稚沙ちさは炊屋姫の思いやりにとても感銘を受けた。自分はこの人の側に支えさせて貰えて、本当に良かったと思う。


「だから、あなたは特別にもう少し多めに休みをとっても良いわよ。私からもそう話をしておきます」


炊屋姫からの折角の提案である。ここは彼女のいう通り素直に従おう。それにこの休暇を利用して、里に帰るのも本当にありがたい。


「分かりました、炊屋姫。ではお言葉に甘えて、その休暇を使って里に帰らせて頂きます」


稚沙はそういって、炊屋姫の前で深々と頭を下げた。


そんな2人の様子を側で見ていた蘇我馬子そがのうまこが、思わず横からふと口を挟んだ。


「そういえば、そなたはたしか平群へぐり額田部ぬかたべ筋だったな?里にはどうやって帰るのだ?」


稚沙は蘇我馬子が、そのような事を質問してくるのが少し意外に思えた。


「はい、一応私は馬には乗れますが、私用の馬は持っておりません。

なので同じ方向に馬で向かわれる方に乗せてもらうか、徒歩で行くかになります」


この時代、陸地の移動は馬と徒歩のみである。ただ馬を所有しているのはそれなりに身分や権力のある人達だけだ。


「やはりそうか……というのがだな。実は今度椋毘登くらひと斑鳩宮いかるがのみやに私の使いとして向かわせる事にしている。

恐らくそなたの里は、斑鳩宮に行く途中あたりだろう」


「え、あの椋毘登が?」


稚沙は、思わず椋毘登の名前を口にしてしまう。


(し、しまった。馬子様の前で椋毘登を呼び捨てにしてしまった!)


稚沙は慌てて、自分の口をふさいだが、もう時すでに遅しである。


「まぁ、あなた椋毘登と思いのほか仲良くしていたのね?」


炊屋姫も稚沙と椋毘登の2人の仲が、最初に出会って以降、どうなったのかまでは把握していなかった。


「椋毘登はそういうことに関しては、余り話したがりません。ですが本人曰く、会話ぐらいはしているとは聞いてます」


蘇我馬子は炊屋姫に、少し面白そうにしながらそう話すと、再び稚沙の方を見た。


(あぁ、最悪だ……)


「であれば、稚沙。あなたは椋毘登が斑鳩宮に行く時に合わせて、里に帰ったらどう?椋毘登には1度小墾田宮おはりだのみやに寄ってもらうようにして」


炊屋姫的にも、何とも面白い話しになってきたようで、少しクスクスと笑っている風に見える。


「あと椋毘登も、数日は斑鳩宮にいるので、帰りもここまで送って貰ったら良いだろう」


続けて蘇我馬子も、愉快そうにしながら彼女にそう提案する。


(この人達は、絶対自分をからかって楽しんでいる……)


彼女の目には、どうしても2人がそのように映ってしまった。


当の椋毘登本人がこのことについて、正直どう思うのかは稚沙には分からない。

だがこれは2人の好意である。この提案に自分は従うほかないだろう。


「分かりました。その……椋毘登殿が嫌でなれなければ、是非お願いしたいです」


「別に椋毘登のことは、呼び捨てのままで構わないぞ」


蘇我馬子はこの話しが、完全にツボにはまったらしく、少し笑いを堪えながらそう話した。



こうしてその後、この話しは椋毘登の耳にも入ることになる。

彼も方も斑鳩宮に行くついでであれば、構わないとのことだった。


こうして稚沙は、椋毘登の馬に乗せてもらい、自身の里に帰ることになった。

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