第38話

 だが椋毘登くらひとの方は、そんな稚沙ちさの様子を見て、どうも少し感づいたようである。


「なる程、お前の想い人って厩戸皇子うまやどのみこだったのか」


 それを聞いた瞬間、稚沙に衝撃が走った。

 彼は稚沙が思っている以上に人を鋭く見ているようだ。


「そ、そんなのあなたに関係ないでしょ!」


「お前のその動揺からして、どうやら図星だな」


 稚沙はそれを聞いて一番動揺した。自身が厩戸皇子を慕っているのは、今まで誰にも話したことがない。


 それなのに寄りも寄ってその事を、この椋毘登に知られてしまったのだ。


 椋毘登はひどく可笑しく思えたのか、からかうようにして彼女に話した。


「別に誰かにいいふらすつもりはないが、流石に相手が無謀すぎるだろ?今のお前なんて、全く相手にもされないだろうに」


(ひ、ひどい……)


 彼にそこまでいわれてしまい、彼女ひどく激怒する。そしてそんな彼がどうしても許せなくなった。


 そして稚沙は感情のままに、彼の頬をその場で思いっきり引っ叩いた。


「私が誰を好きだろうと、そんなのあなたには関係のないでしょう!!」


 椋毘登はいきなり彼女に叩かれてしまい、思わず放心状態になった。そして頬は少しヒリヒリしている。


 そしてその瞬間、その場にはシーンとした空気が流れた。


 また椋毘登もひどく辛そうにしている稚沙を見て、自身が彼女をひどく傷付けたことを理解する。


「まぁ、確かにそうだな。お前が誰を好きになるかなんて、お前自身の自由だ。俺もいい過ぎた……」


 椋毘登もさすがにいい過ぎたと思ったのだろうか。意外と潔く謝ってきた。


「分かってるなら、もうこれ以上しつこく聞いて来ないで!」


 稚沙は泣きたいのを必死で堪えながら、彼にそう話す。

 彼にいわれたから悲しいのではなく、現実を突きつけられたのが、酷く悲しく思えたのだ。


「あぁ、分かったよ。お前の気持ちが報われると良いな」


 彼はそういって稚沙の頭を軽く撫でる。

 その仕草だけは、稚沙は何故だか少し優しく感じられる気がした。


「じゃあ、蝦夷えみしには俺から上手く説明しとくから、お前は仕事に戻れ」


 稚沙は椋毘登にそういわれて「うん、分かった」とだけいって、その場を急いで離れていった。



 稚沙がいなくなってから、椋毘登は酷い嫌悪感に襲われる。そしてその場で思わずボソッと呟いた。


「はぁー、俺は一体何がしたかったんだろ」



 こうして椋毘登の方も、その後蝦夷と合流し、自身の住居へ帰ることにした。


 だが帰りの途中も、椋毘登は何故か口数が少なかった。


 蝦夷が「何かあったのか?」と聞いても、「何でもない」と彼は答えるだけである。


 こうして、彼れは蘇我の住居へと戻っていった。

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