第15話

 そんな時である。知らない男性が稚沙の前にやってきた。


「女の子の泣いてる声がすると思ってきてみれば、君どうかしたのか?」


 稚沙はいきなり知らない男性がやってきたので、思わず泣くのをやめて相手を見上げる。


(この男の人は一体誰だろう……)


 だが何をどう話して良いか分からず、口から思うように言葉が出てこない。


 するとその男性は稚沙に再び話しかけてきた。


「私は厩戸皇子うまやどのみこ、炊屋姫の甥にあたる大和の皇子みこだよ」


「え、大和の皇子様?」


 12歳の稚沙でも、皇子がどのような身分かは理解出来ていた。その彼にこんな場面を見られたとなれば、叱られてしまうかもしれない。


「み、皇子様、申し訳ありません!

 私は少し前からこの宮に、女官として仕えております稚沙と申します」


 そういって稚沙は慌てて立ち上がった。


「それで今日ちょっと仕事で粗相があり、少し気を紛らわしてました。べ、別に仕事をサボっていた訳ではなくて……」


 稚沙なりに必死で考えを巡らせて、そう皇子に説明した。


 そんな稚沙の言葉を聞いた厩戸皇子は、思わず吹き出して笑った。


「君は、中々面白い子だね。誰だって辛いことがあれば、隠れてこっそり泣きたくもなる。別に私は他の者にいったりしないから、安心しなさい」


 厩戸皇子はそういって、稚沙の頭をぽんぽんと撫でてくれた。そして彼はそんな彼女に優しく微笑みかけてくれる。


 ただでさえ、宮での生活に慣れておらず、寂しい思いをしていた稚沙である。厩戸皇子のその優しさに、彼女はとても癒される感じがした。


 そしてその日を機会に、厩戸皇子は小墾田宮おはりだのみやを訪れるたびに、稚沙を心配し良く声をかけてくれるようになった。


 そんな皇子に稚沙もすっかり心を開き、徐々に好意を持つようになった。


 だが彼は既に複数の妃を娶っていた。


 そんな中で、年の離れた稚沙に皇子が特別な感情を抱くこともなく、彼女の儚い片想いとなってしまっていた。



「分かってる。皇子が振り向いてくれるなんて、恐らくはないってことぐらい……」



 それから稚沙は「よし、とにかく今は気持ちを切り替えて仕事よ!」といって再び倉庫に向かうことにした。





 そして稚沙が倉庫の近くまでくると、1人の青年が歩いているのを彼女は目にする。


「あ、あれは蘇我椋毘登そがのくらひと……」


 稚沙は先日のことをふと思い出し、思わず身震いした。


 あの時の彼は、稚沙を本気で殺そうとし、凄まじい殺気で彼女に刀を突きつけてきた。


 彼が自分とは2歳しか違わないのが、本当に信じられない。


 稚沙はそんな椋毘登を見て、どうして良いのか分からず、思わず固まってしまった。


 だが彼の方は、どうやら稚沙の存在には気付かなかったようで、そのままその場を離れて行った。


(あぁ、良かった。どうやら私には気付かなかったみたい)


 稚沙はそんな状況を見て「ほっ」と胸を撫で下ろした。


(とりあえずは、一安心ね)


 そして彼女は、蘇我椋毘登がいなくなったことを確認したのち、そのまま倉庫へと向かった。

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