第25話

「良いですか、姫様。もし何かあれば直ぐに知らせて下さいね」


衣奈津いなつは彼女にそう念押しした。

今回の婚姻が思わぬ方向に進んでいる為、彼女の心配はさらに高まってしまった。


(とりあえず、先程聞いた皇子の娘通いの件は伏せておこう。そんな話しをしたら衣奈津がどれ程騒ぎ立てる事か……)


「えぇ、分かってるわ。お父様とお母様に宜しくね」


忍坂姫おしさかのひめもこれからの1ヶ月が物凄く不安に思えてきた。しかしここで根をあげるわけにはいかない。せっかく父親が熱心に勧めてくれた相手なのだから。


「姫様、私が言うのも何ですが、無理にこの婚姻を進めなくても良いですからね。無理なら無理で、また他を探せば良いので」


きっとこれが衣奈津の本音だろう。彼女にそう言われしまうと、何だか自分も、好きになる相手を間違ったような気がしてくる。


「有り難う衣奈津。とりあえずこれから1ヶ月間頑張ってみるわ」


忍坂姫は笑顔で彼女にそう言った。


そんな彼女を見て、衣奈津も後は本人に任せるしかないと思った。

この婚姻は彼女自身のものだ。


「分かりました。姫様もくれぐれもご無理のないように」


そう言って衣奈津達は、この宮を後にした。





「よし、ではとりあえずこの宮内を見て回ってみようかしら」


それから忍坂姫はこの磐余稚桜宮いわれのわかざくらのみやの中を色々と見て回ることにした。


この宮は元々先の大王が住んでいた事もありとても立派で、忍坂姫の住んでいる宮よりもだいぶ広い。


「さすが先の大王が住んでいた宮ね、私の宮とは大違いだわ」


忍坂姫がそう思いながら宮の中を見て回っていると、急に後ろから何かに強く押された。


(え、一体何?)


彼女が思わず後ろを振り向くと、そこには1人の男の子が立っていた。

見た目で言うと6、7歳ぐらいだろうか。


髪は耳上にみずらで簡単に纏められており、目のクリクリした、何とも可愛らしい男の子だった。


その男の子は忍坂姫を、物珍しそうにキョトンとした目で見ていた。


(わぁ、可愛い男の子)


「僕、この宮に住んでいるの?」


忍坂姫はその男の子が怖がらないよう、彼の目線まで座ってから優しく話しかけた。


そんな彼女に安心したのか、その男の子は特に緊張する訳でもなく、ニコニコしながら言った。


「うん、そうだよ」


そんな彼を見て、本当になんて可愛い男の子なんだろうと忍坂姫は思った。


「お姉ちゃんは誰なの?」


男の子は凄い興味津々に聞いてきた。


「私は忍坂姫って言うの。先日からこの宮に来てるわ。あなたは?」


そう言うと、その男の子は一瞬「うーん」と考えてから答えた。


「僕は、市辺いちのへって言うの。皆は僕の事を市辺皇子いちのへのおうじって呼んでるよ」


男の子は嬉しそうにしながら答えた。


(市辺皇子って言ったら……まさかこの子が!)


忍坂姫はそれを聞いて思い出した。市辺皇子と言えば先の大王の第1皇子だ。

今は雄朝津間皇子おあさづまのおうじがこの宮を管理しているようだが、本来なら先の大王の皇子であるこの子がこの宮の主だ。


とは言っても、この年齢でこの宮を管理するのはさすがに無理がある。だから雄朝津間皇子が代わりに管理しているのであろう。

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