第42話
42話:神楽と初恋
何てことない、何時もの日常。
そんな日に、巫女服を着た少女は神楽殿で踊った。
楽器も、飾りも、何一つない静けさの中で。
一人の少年のために。
「…きれい」
少年は目が離せなかった。
***
陽気な音楽とともに、祭りの開催の合図が出される。
今日は、神楽舞当日だ。
と言っても、神楽舞はメインイベントであって、その他にも出店や子供達の和楽器演奏会など、ミニイベントも開催されている。
つまり、舞以外は普通のお祭りと変わらないのだ。
「お~!ここでの祭りは二度目だな」
むしゃむしゃと、早速焼きとうもろこしを頬張るのは龍也。
と、その隣はもちろん日菜子ーー
「おい、龍也~焼きそば買ってこい」
「私はりんご飴お願い~」
ではなく…龍也の姉、清果と鳳蝶である。
「姉貴!自分達で買って来いよ!!しかも俺持ち確定してない!?」
自分達の財布を一ミリも出す気がない二人。
「私達は日菜子ちゃんとお話してたいんだもん~。女子の会話に入ってこないでよね~」
「はー?弟の分際で偉そうに言ってんじゃねぇ。なー?日菜子」
「え、あ、どっどうなんでしょう…」
日菜子はしどろもどろに答える。
左隣の清果には肩に腕を回され、右隣の鳳蝶にはがっちり腕にしがみつかれている。
そして、特にいらない情報だが、鳳蝶の持っている二つの”モノ”は大変ご立派だ。
それ故、日菜子の腕には柔らかい感触の何かがずっと当たっている。
それを言ったら、左肩も時々当たるのだが。
(きょっ距離が近いです…いい匂いがする…)
恥ずかしさで顔を真っ赤にするのは間に挟まれた日菜子。
それだけ描写すれば背景(バック)に百合でも咲きそうだが、現実は傍から見れば大人しそうな娘がヤンキーに絡まれている図である。
「せっかくの祭りなのになんっっっで二人きりじゃないの~」
シクシクと涙を流す龍也。
ピコンッ
そんな龍也の元に一通のメッセージが届く。
『様子伺って、二人でも回りませんか?』
メッセージを読み終えた瞬間、バッと龍也は送り主、日菜子を見る。
バチッと日菜子と視線が合った。
日菜子はスマホを口元に持ってきて、少し恥ずかしそうに微笑んだ。
「……ッっしゃ!!」
思わず、人気を気にせずガッツポーズをする。
「ママーあの人変なのー」「こらっしー!」
「龍也何、恥ずいんだけど」「男の子だもんね~叫びたいときもあるよね~」
そのおかげで周囲の人と、姉達の”変な人を見る視線”を食らってしまった。
***
「千冬くん」
「…霞草さん」
千冬はスマホを見る手を止め、寄りかかっていた神社前の柱から体を離す。
目の前にいる人物は、暁 霞草。
”兄の代わりに婚約者として付き合う”と言う関係を断ち切った今、二人は呼び方を元に戻していた。
霞草は別に今のままで良い、と言ったのだが、千冬は千冬として接したいから、と、昔のように”さん付け”に戻ったのだった。
そしてもう一つ、千冬にとって大きな進歩。
それは”マスクをつけなくなった”ことだ。
千冬は千春の死をきっかけに、表に表情を出すことが苦手になってしまった。
それにより十年間マスクを着けていたわけだが、和解し、過去への責任感もなくなった今、着ける必要はなくなったのである。
「霞草さんは千里に誘われたんだっけ?」
「えぇ、そうよ。お墓参りの時に誘われて」
霞草はその時のことを思い出す。
『変な人』
…話に区切りがついた後、千里はぱーっ!と顔を明るくさせた。
「そーだ!私、明日の神楽舞に出るんだ!霞草さんも良かったら見に来て!」
「神楽舞…」
霞草は思い出すように呟く。
「そう!」
「…貴方、踊れるの?」
霞草は、疑いの視線を向ける。
「神社の娘だよ!?踊れるように見えないのかな…悲しき」
冗談、と言う風に落ち込む千里。
「あぁ…千冬くんもそう言ってたわね、神社の娘って」
「そうそう!私は神社の娘なのです!」
千里は大きく胸を張った。
「…まぁ俺は二人が仲良くなって嬉しいよ。そろそろ祭りの方に行こう。すぐ混むから」
「えぇ」
二人はすでに賑やかになっている、屋台の並ぶ道に足を踏み入れる。
チョコバナナに焼きそば、ポテトフライ、ヨーヨー釣りに射的…
多くの屋台が並ぶが、二人は特に立ち止まらず、本殿がある方向へ進んでいく。
霞草は元々興味なし、千冬は誰かの付き添いで~と言う感じだ。
そんな二人が合わさったら、止まるはずがない。
千里が居たらあちこち行くのだが。
そんなことを考えていたら、今年の夏の花火大会を思い出した。
千冬は微笑む。
(千冬くん…)
霞草は、千冬が何を考えているのか、大体表情で察した。
「…改めて言うわ。ごめんなさい」
「だから、霞草さんのせいじゃないって言ってるでしょ。あの時、俺の身勝手な優しさで霞草さんを”許しちゃった”から。だから…」
「でも、その”許し”に甘えたのが私。『そんなの千春くんじゃない』って、あの時貴方に言って、止めるべきだった。でも、少しでも長くあの人と居たいと願ってしまって、貴方を…苦しめてきた」
感情的ではなく、凪のように静かに霞草は語る。
それは告白であり、独白だった。
「霞草さ…」
千冬が何か言いかけた時。
「おーい、千冬!こんなとこで会うとは奇遇だな~」
手を振りながら近づいて来る先輩。
その隣には、日菜子もいた。
丁寧にぺこりとお辞儀している。
「先輩…!?」
「おう…て、千冬。隣の人…」
龍也はすぐに気づいた。
この人は、千冬と付き合っていた人だと。
その視線に、霞草もすぐ気が付く。
千冬は簡単にこれまであったことを伝える。
先輩は納得したように頷いた。
二人の様子を見ていた霞草は小さく息をつくと、千冬を見た。
「千冬くん、ここからは私一人で行くわ。ここまでありがとう」
「え、うん…」
千冬は戸惑いながらも頷いた。
霞草は去ろうとして、足を止め、千冬にだけ聞こえるように言った。
「…こんな話してもキリがないから、これでお相子にしましょう。千里さんと結ばれること、祈ってるわ」
「………!」
そして、霞草は千冬の返事を待たずに、人ごみの中に消えていった。
「…ありがとう、霞草」
千冬は今ようやく、今までのしがらみが消えた気がした。
***
時刻は午後三時、神楽舞の時間だ。
多くの人が神楽殿で立ち止まり、始まるのを今か今かと待ち望んでいる。
中にはカメラを起動したスマホを横にして、待機している人もいる。
神楽殿にはすでに、神楽舞を行う人達が静かに座っていた。
奥には笙、篳篥、竜笛など、演奏をする人が。
真ん中には、神楽装束に身を包んだ巫女が、静かに時を待っている。
巫女の前には鈴立て台に神楽鈴が置かれていた。
(千里…)
「あれ、千里かー?きれいだな」
さらっと褒める先輩。
自分が思って言おうとしたことを先に言われ、千冬は無言で先輩を睨む。
「千里さん、頑張ってください…!」
日菜子が小さい声で応援する。
その時。
ドンッ…ドンッ…と、一定のリズムで太鼓の音が鳴った。
小太鼓や、神楽笛の音も徐々に響いてくる。
神楽舞始まりの合図だ。
千里が採物である神楽鈴を手にする。
もう一つの手は五色布を持って。
その五色布のついた神楽鈴を持ちながら、千里はゆっくりと立ち上がり、鈴をシャンッ…シャンッ…と横に鳴らす。
最初は遅く、段々速く。
鈴を鳴らしながら、千里は丁寧な所作で舞い踊る。
そこにはいつもの明るい千里はおらず、美しい一人の”巫女”がいた。
その光景を見て、千冬の幼いころの記憶が蘇る。
今の光景とは真逆の静けさの中、少女が躍っていたこと。
あの日の光景は目に焼き付いている。
「千冬は千里の舞、見たことあんの?」
過去に、と言うことだろう。
小声で隣にいた先輩が話しかけてくる。
「…まぁ、一度だけ。それが、俺が千里を好きになったきっかけなんです」
千冬は舞から目を離さずに、淡々と語りだした。
その日も、いつもと変わらない普通の日だった。
千里が突然神社に来てほしいと言うので、行くと…
「…あ!千冬~!!」
こっちこっちと手招きするのは、小さな巫女さんだった。
「……千里?」
見惚れて、思わず反応に遅れた。
ドキッと心臓が跳ねた気がした。
「千里だよ!ね、見てみて!きれいでしょ」
千冬は頷く。
恰好は見慣れないけど、声と明るさは千里そのもの。
クルクルと回って楽しそうだ。
「今までいっぱい練習したんだけど、上手く踊れるようになったから、千冬に見てほしいんだ!一番最初のお客さんだよ!」
そう言って、俺の手を引っ張る。
連れてこられたのは、神楽殿と言う、神楽などを踊る場所のこと。
いつも本殿前で遊んでいたから、あまり来ることはなかった。
辺りを見回しても、誰もいない。
なんでここに呼んだんだろう、と不思議に思う。
「じゃー千冬は外(ここ)から見ててねっ!」
「うん」
千里はぱたぱたと足音を立てて消えていく。
しばらくして、鈴とイヤホンを持った千里が神楽殿の中にやってきた。
イヤホンに、神楽舞の曲が流れているのだろう。
千里は、真ん中に座っていた。
シンッ…とした空気が流れる。
先ほどまで、明るい声が響いていたのが噓みたいだ。
やがて、目を開け、静かに踊りだした。
その瞬間、千冬は千里の舞に意識を引き込まれた。
千冬には音楽は聞こえず、無音。
そのはずなのに、千冬には音楽が聞こえたーー気がした。
太鼓の、笛のなる音。
鈴の鳴り響く音。
着物の擦れる音…。
全てが一体となって、見えた。
千冬には神楽舞の良し悪しの区別はつかないが、千里はまだまだ未熟な方なのだろう。
たまに振りを間違えたのか、苦い顔をしている。
でもーー
「…きれい」
一言、呟いていた。
千冬の前で優雅に踊る千里が、いつもの何倍も輝いて見えた。
その後、舞が終わっても、余韻が残っていた。
胸のドキドキが収まらない。
「千冬ー!どーだった?!」
千里が靴も履かず、白足袋でそのままこちらにやってきた。
「…きれいだったよ。頑張ったね」
思ったことを、そのまま伝える。
「えへへ~でしょ!」
褒められた千里は嬉しそうだ。
その横顔を愛おしく感じた。
そして、その日はもう夕暮れ時だったので、舞が終わってすぐ帰った。
足袋を汚した千里が怒られたかを心配しながら。
帰って自分の部屋のベッドに倒れこむ。
さっきの舞の様子が、脳裏に焼き付いて離れない。
いつもの明るくて元気いっぱいな千里と、静かに、優雅で繊細に踊る千里。
ずっと、心の中に抱いていた淡い気持ちが、紙に落ちるインクのようにそっと、広がっていく。
(…あ、俺きっと千里のこと…ーー)
「…好きなんだって思ったんです。」
千冬は、踊り終わった千里に拍手をしながら言う。
千里はゆっくりとお辞儀して、神楽殿を退場した。
拍手が鳴り響いて止まない。
「……お前が恋バナするとは思ってなかったわ」
先輩は内容よりも、話したことに驚いているらしい。
「先輩にはなんだかんだ、お世話になったので。このくらいは話すべきかと」
少し照れた様子の千冬。
「おおーい!義務的にかよ笑…ま、いい話聞かせてもらったよ」
「それなら良かったです」
千冬は穏やかにほほ笑んだ。
***
「…千冬、なんか今日ご機嫌だね?良いことあった?」
千里達は拝殿の階段に座り、休憩していた。
祭り…神楽舞も無事終わり、神社は夜に似合う静けさをまとっていた。
千里は大役を担って疲れたのか、すっかりいつものパーカーとズボン姿である。
「うん。千里の舞、見れたから」
「わーい!嬉しい言うな~。…ね!どうだった?成長した私の舞は!!」
あの時と、同じ質問。
千冬は迷うことなく言った。
「…きれいだったよ。頑張ったね」
千冬は千里の頭を優しく撫でる。
「その言葉、また聞けて嬉しいっ!」
千里は笑顔で返した。
幼馴染の変わらない夜を、月はゆっくりと照らした。
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