第5話

4話:松村さん


「…学校〜!学校〜!がーっこう!」

ふんふーん、と鼻歌を歌いながら千里は優雅に朝を迎える。

ウキウキで制服に着替えていた。

グレーのスカートに白のシャツ。

その上に青色のジャケットを羽織った。

ボタンを止めようとし…

「…あ、ネクタイ忘れてた。」

思い出した。

ボタンを握っていた手を離した。

ネクタイは赤色だ。

学年で色が違う。

一年は赤、二年は黄、三年は青だ。

いちいち結ばなければいけないスタイル。

千里はあまりネクタイを結んだことがない…それ故、結べなかった。

結べたどころか、こんがらがった。

「…あ、あれぇ?」

出来たのはぐちゃぐちゃの何か。

もう一度!と意気込んでいると…

コンコン

ドアをノックする音が聞こえた。

「…千里?いる?…て、どうしたの、それ?」

がチャリと開けて入って来たのは、千冬だった。

そして来て早々、千里のネクタイの出来に気づき、驚く。

「…千冬っ!良いところに!!」

早く早くと急かす。

腕を引っ張る。

「…ん、なに…」

鏡の前まで来たあたりでクルリと千冬の方を向く。

「ネクタイ!結んで!」

シュルシュルと解き、千冬に渡す。

「…えぇ、なんで」

呆れたように呟く千冬。

「…何でってなんでー!早く結んでよ。学校遅刻しちゃう。」

これはもう、千冬が結ぶかで遅刻が決まる。

「…分かった」

同時にネクタイをもらう。

そして千里に一歩近づく。

千冬を見上げる千里。

何だか千冬は気恥ずかしく、目をそらす。

幼なじみだからと言って、千冬だって思春期である。

少しドキドキすることなど当たり前だ。

「…千里、目瞑っててくれない?」

「え、なんで?」

キョトンとする千里。

「…なんでって…気になるから」

「…?ふーん?」

そう言い、目を瞑る。

千冬はホッと息を吐いた。

そして、シュルシュルとネクタイを手馴れた手つきで結ぶと、手から離した。

胸に手がつかないように気をつけた手が、少し汗ばんでいる。

「…はい、できた。」

こんがらがっていない、綺麗な形。

「…おぉー!すごい。これが出来たらなぁ」

ネクタイを見ながら嬉しそうに呟く。

「…毎日やってたら出来るよ。…と、それは良いけど早く行くよ、遅れる。」

千冬が鞄を持ち、ドアを開ける。

「…あー!待って!!」

千里も素早く鞄とジャケットを持ち、千冬の元に駆けて行った。


***


「…やったー!ギリギリセーフ!!」

千里は歓喜の声を挙げながら、教室に入る。

同時に、チャイムが鳴った。

「…あはは!千里ちゃんおっそい笑」

「ホントにギリギリじゃん!」

少し仲良くなったクラスメイトが笑ってこちらを見る。

「…えへへ。ネクタイ結ぶのに戸惑っちゃって。」

鞄を机に置いた。

でもね、と話を続ける。

「…千冬が結んでくれたからさー本当に助かった。」

「…ゴフッ!」

噎せた。

千冬は飲んでいるカフェオレの持ち手に力がこもる。

ザワザワとクラスが騒がしくなる。

千里…人前で言ってはいけない事を話す。

「…え?」

ただ一人、この状況についていけていない千里は間抜けな顔をしている。

千冬は少し顔を赤くしながら席を立ち、千里に話しかける。

「…千里、それは誤解をーー」

「千里ちゃん!?どういうこと!!?」

「…松川くんとなんの関係が!?」

ほら、と言わんばかりに千冬が呆れたため息をつく。

クラスの女子達が騒ぎ始めた。

「…え?…え?」

千里はただただ女子達の悲鳴などに混乱している。

ここで一つ、説明を加えよう。

千冬は、イケメンである。

これあるのみ。

それが入学早々ネクタイを結んで貰った、などと公表すれば、面食いの女子達が騒ぐのもおかしくない話だった。

千冬はまぁ、そんな事言えば変なウワサが立つと思って止めた訳だが。

もう遅い。

「…千冬〜」

千里が千冬を見、情けない声を挙げて助けを求める。

その間にも女子達の質問は続き…


「…たっただの幼なじみですーー!!」


とうとう千里は叫んでしまった。

ガラッ

「…おい!うるせーぞ、鈴鳴千里。んな馬鹿でかい声は挨拶に使えー。」

タイミング良く先生が入り、ようやく教室は静かになった。

だが千里だけは、

「…もう少し早く来て欲しかった…」

一人別の意味で顔を赤くしていた。


***


「…あーここは歴史名高い跡地で…」

絶賛歴史の授業中。

千里は夢うつつだった。

怖いと分かってても寝かけるのが千里である。

そしてとうとう体制が崩れそうになったその時…

カツンッ

何かが床に落ちる音がした。

千里の目が覚める。

コロコロと転がったそれを見、拾い上げる。

先っぽに可愛らしいクマの人形(?)が付いたペン。

(…このクマ…どっかで見た事あるような…?)

「…おい、鈴鳴千里。居眠りの次はペンと見つめ合いっ子か。授業に集中しろ。…私の授業に集中できないなら放課後特別授業でも良いが?」

教卓で、ヤンキー口調の声が千里に向けてかかる。

周りからは呆れと笑いの声。

「…ご、ごめんなさい…」

若干冷や汗を浮かべながら、千里は苦笑いする。

まぁまた後で誰のか聞こう、と千里は自分のペンに持ち替え、残り数分の授業に集中した。


***


「…ペン?ごめん、知らない。」

「うーん、誰だろ…分かんないな。ごめんね。」

千里は聞き回ったが、全員に聞けず放課後となってしまった。

移動教室やあれやこれがあり、聞けるタイミングを失ってしまった。

それで放課後、いる人に聞いて回ったわけだが…

「…誰も知らないじゃんー。」

手がかりなし、である。

机に上半身を預け、手を伸ばす。

「帰ろっかな…」

教卓に"ペン誰のですか"って書いて置いておけば誰か取るかなー、と考え、鞄を取る。

千冬には先に帰ってもらっている。

「…でも、それだとな。…よし!職員室に持ってこ!」

扉に向かって歩く。

ドンッ

扉から誰かが入ってきたのに気づかなかった。

ぶつかってしまう。

千里と、ぶつかった誰かはお互いに尻もちを着く。

イタタ…と頭を抑えながら、千里は前を向く。

「…ごめん!ケガ、ないっ?」

「…わ、私の方こそごめんなさいっそ、その、怪我とかないですか…?」

千里の突然の謝りに驚いたのか、慌てた様子で心配する。

「いや、私は大丈夫だよ。松村さんも無事なら良かったーー」

そう言いながら、視線を落とす。

そして、彼女の鞄から落ちた中身に目を見開いた。

教科書、ノート、筆記用具…

「…これ!!」

千里は思わず声を上げた。

千里の目線の先には、あのペンと同じクマの描かれたキーホルダーだった。

そして、良く見れば所々…他の持ち物もクマが描かれていた。

「…あっ」

松村さんが小さく呟く。

顔が赤い。

「松村さん、このクマが好きなの?」

「…あ、えと…はい。」

しどろもどろになりながら答える。

千里はペンを松村さんに見せる。

「これ、松村さんの?これだけ集めてるならそうかなって思ったんだけど。」

その時、松村さんの顔がパッと明るくなる。

だが、またすぐに目を逸らす。

「…は、はい。私のです…あの、これ子供っぽい、ですよね。」

恥ずかしそうに千里からペンを受け取る。

「そう?私はそう思わないけど。…確か今人気のアニメに出てくるキャラだよね?」

千里は記憶を辿る。

「はい。私、アニメを見ないので知らなかったんですが…この子に救われたんです。」

松村さんは小さく笑った。

今日、初めて笑った顔を見たと千里は思った。

「…中学三年生の時、受験シーズンで私はとても緊張と不安を抱えていたんです。その時、息抜きで見つけたのがこのクマだったんです。可愛いな、と思って買ってきたんですが…それからハマってしまって。…そしてこのクマを見てると落ち着いて、受験を無事終えられたんです。」

ペン先のクマを指で優しく撫でながら、松村さんは話した。

松村さん。

セミロングの黒髪を横に一つに縛り、丸メガネをかけた女の子。

大人しめ、と言う感じで、千里は今回初めて話した。

(…仲良くなれそうだな。)

千里は微笑む。

その様子を見ていた松村さんは千里に話しかけた。

「…あ、あの!」

「ん?何?」

「…あの、どうして私の名前、知ってたんですか?話した事もないのに…」

最後の方は小さく消え入りそうだった。

千里はキョトンとした顔で答える。

「…え?だって同じクラスでしょ、覚えるよ!当たり前、当たり前!」

「…え、えぇ…」

驚きで返答が思いつかない、と言った具合に目を見開いている。

「…自分なんか、覚えられてないと思ってたんですけど。知ってたんですね…嬉しいです。」

下を向きながら嬉しそうにはにかんでいる。

「…日菜子、私と友達なってよ!」

「………」

日菜子は驚いてしばらく固まっていたが、ポロポロと音もなく涙を流した。

「…え、あ!いきなりごめん!い、嫌だった!?」

狼狽える千里。

「…ご、ごめんなさい。そうじゃ、ないんです。その…嬉しくて。わ、私なんかと友達なんて…なりたいと言ってくれて…」

その言葉に、キュッと口を噛み締めると、千里は何時になく真面目な顔で話した。

「…私なんか、じゃないよ。私が友達になりたいから言っただけ。なりたいと思った人に誰かはないよ。」

ニッと笑って手を差し出す。

「宜しくね!日菜子。」

「…こちらこそ、お願いします。千里さん。」

キュッと手を握った。


***


(…やっぱり千里心配だし、戻ろ…)

千冬は足早に廊下を歩く。

やっと教室の前まで来たところで、声に気づく。

「…なりたいと思った人に誰かはないよ。」

千里と、女子の声だ。

そっと扉の窓から覗く。

同じクラスの松村さんだった。

(…千里と松村さん…?何で…)

向かいあって座る二人。

散らばる鞄の中身の数々。

そして、クマの絵…

(…そう言う事か。)

千冬はすぐにその場の状況を理解した。

松村さんは扉から背を向けていて、表情は分からないが、肩が僅かに震えているので泣いているように見える。

扉にそっともたれ掛かる。

静かに目を閉じた。

そして数秒後、ゆっくりと目を開け、静かにその場を後にした。

教室には、夕日に照らされた二人が微笑んでいる。

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