第56話
After story:縁とリボン 其の四
「…ふぅ、こんなものかしら」
黄泉は額を拭う。
辺りを見渡した。
きいなと別れてから数年、辛い試験や出来事を乗り越え、ようやくカフェ・死神を実現させた。
今は、その最終チェックが終わり、安堵していた。
今日から、お客さんが来る。
ここは元は中級死神のおじいさんがやっており、受付のような仕事をしていた。
来るお客さんは、変わらず未練を持った者、生前の記憶が無い者である。
おじいさんの時は、おじいさんの魔術で思い出させ、書類を送るようなものだった。
だが、それに『料理』と言う一工夫をしたのが、黄泉だ。
高鳴る心臓を、ギュッと手で抑える。
自分は…ここで、
カランッーー…
決意を固めていた時、玄関の鈴の音が鳴った。
パッと黄泉は振り返る。
そこには。
「……泉…?」「……母さん?」
親子の、再会だった。
***
「…か、母さん…なんで…」
信じられず、目を開き固まる黄泉を、菫は抱きしめた。
「…泉…!会いたかったわ…!」
黄泉の腕の中で、ぽたぽたと子供のように涙を流す母の背中を黄泉は優しくさする。
自分も、涙を流していた。
しばらくして、母の方から体をゆっくり離した。
「…とりあえず、座りましょうか」
「えぇ…」
菫に促され、黄泉は1番近くの席に座る。
ついでに、お茶も持ってきて。
「…ど、どうしてここが」
一息ついたところで、黄泉は尋ねた。
母の様子をだと、ある程度黄泉がここにいるという確信を持って来たのは分かった。
菫は涙を指先で拭いながら、話す。
「…少し…伝手があったの」
菫は少し視線を外す。
様子から、あまり聞いて欲しくないようだ。
「どうしてここに来たのかは…お店を開いてる泉は、理解できるでしょ?」
ふと、菫は真剣な目を向けた。
「……!」
黄泉は、ゴクッと唾を飲み、言いたくなかった言葉を続ける。
「…母さんは、死んだのね?」
「……。」
菫は、無言でティーカップを見つめる。
それを、黄泉は肯定と受け止める。
「…そう、私は死んだわ。…けど、未練があるからここに来たんでしょうね」
どこか憂いを帯びるような、でも少し茶目っ気のあるような、微笑を浮かべた。
「…未練…」
つまり、生前の記憶はあるようだ。
色々生前について、今まであった事…きいなや優路についても語りたかった。
けれど、今は母の事に集中しようと、黄泉は決心する。
全部片付いてから、めいいっぱい話せばいい。
「母さんは、未練について心当たりはあるの?」
「…ん〜」
菫はしばらく視線を空中にさ迷わせた後、
「…やっぱり、貴方達の事かしら…。あのまま別れてしまって、何も話していないもの」
「母さん…」
それは、黄泉も同じ事だった。
「でもね、貴方が生きている事に安心した。…きっときいな達も生きているわ。」
私は、と菫は言葉を続ける。
「私は、貴方達とただ、話がしたかったんでしょうね。今、泉と話しているだけで…心のモヤが晴れていくもの」
ニコリと、穏やかな笑みを浮かべる。
その笑みにつられ、黄泉も微笑む。
「…それじゃあ、たくさん話をしましょう」
未練なんて忘れるくらいの楽しい思い出を。
「…それで、その時きいなが…」
「姉さん、そんな事したの?」
それから、黄泉と菫は、時間を忘れるくらい話し合った。
どこにでもあるような、日常と他愛もない話。
きいながフライパンを燃やしたこと、家族で初めて旅行に行った日のこと。
泉と父が喧嘩して、泉が家出したこと。
本当に、たくさん。
暗い暗い過去など、全くなかったと言うほどに、泉達はくだらない話をした。
今はその方が良かった。
過去なんて、良いじゃないか。
今は気にしなくても。
きっと信じていれば、いつか必ずまた会える。
「…ふふ、こんなに話したのはいつぶりかしら。」
可笑しそうに菫は笑う。
「本当ね、生前でもなかったわ」
生前、と言う言葉で、今来ていることを思い出したのか、菫は立ち上がった。
「…もう満足よ。これで心置き無く天国に行ける気がするわ」
「それは良かったわ」
泉は玄関まで菫を見送る。
「…母さん!」
母の背中を見た時、泉は言っておかなければ行けないことを思い出した。
菫は振り返り、不思議そうに首を傾げる。
「…私、カフェを開くことにしたの。それは、ここに来る人達が、少しでも穏やかに…楽しく、思い出の中で過去を思い出して、前を向けるように…」
すうっと息を吸う。
「私はここで、前を向いて生きていくわ」
その言葉に、菫はしばらく驚いた顔をしていたが、やがて泣きそうになりながらも、微笑んだ。
「…それが聞けただけで十分だわ」
そう言い、菫は黄泉に近づく。
「…頑張る泉に、贈り物(プレゼント)」
菫は自分の頭の後ろに手を当てたかと思うと、結んでいた大きな菫色のリボンを黄泉に渡す。
「お守り代わりに持っておいて。…これはきっと、きいな達を結びつけてくれるわ」
母親パワーが入ってるもの!と茶目っ気たっぷりに笑う。
その笑みは、生前と全く変わらない、穏やかで優しい母の微笑みだった。
「…ありがとう、母さん」
そして、菫はカフェを出ていった。
泉は静かに、母の出ていったドアを見つめる。
リボンをギュッと握りしめる。
この再会から、数十年後。
黄泉は、仲間と出会い、ある少年が仲間になり、姉弟、父と再会する…。
縁は消えない。途絶えない。
今日も、リボンは箪笥の中で大切に仕舞われている。
黄泉達のこれまでの…いや、これからの縁を願うように。
今日も、これからも、大切に結ばれていく。
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