第51話

第22話:Who are you? 其の三


国。

その全てを支配する者。

それは自由主義でないこの国に、切って切り離せないものだ。

そして、その掟ば"人間"以外にも存在する。

「今日も沢山の地獄行きが決まったな。」

背もたれの長い椅子に堂々とした振る舞いで座る男が呟いた。

手には高級そうな酒が並々と注がれたグラスがある。

その表情は眉間に皺を寄せた、深刻そうな表情だが、どこか楽しそうな口ぶりと雰囲気があった。

「そうですね。…今日で95人でしたか。」

お付の者が機械的な口調で答える。

手を後ろに組み、凛とした表情で真っ直ぐ前を見て

そして、グラスに酒が残りわずかになった事に気づくと、とくとくとくと丁寧な手つきで注いだ。

男は酒を煽るように飲む。

お付がまた酒を注ぐ。

「…失礼します。」

トントン、と扉を叩く音が聞こえ、柔らかな声が聞こえた。

声の主が部屋に入った途端、男の頬が少し、緩む。

「今日もお仕事お疲れ様でした、旦那様。」

お盆に落雁を乗せている。

「あぁ、ありがとう。…菫。」

声の主一一重はニコリ、と微笑んだ。

「…子供達は」

男一ーもとい、魔が言った途端、一瞬の顔が曇る。

が、しかし、すぐ微笑みを浮かべる。

「…沢山食べ、良く寝ていました。」

静かに呟いた。

彼女がなぜこのように話すのか、それは閻魔が本水は子供達に興味がないからだ。

本当に心配はしておらず、ただ作業的に聞く。

冷めていた。

夫婦の間には、見えぬ壁があった。

元々、一方的な恋愛だ。

閻魔の方がこちらを気に入り、菫はただそれに付き添っただけ。

閻魔がだんだん愛想が尽きていくのが分かっても、精一杯そうとした。

しかし、1度壊れたものは修復できない。

涙がでそうになるも、子供達のために、重は頑張っていた。


***


気晴らしだった。

普段の色々な疲労が溜まったのだろう。

酷く疲れていた。

だから、人間界に行ってみたかった。

この世界とは違い、とても明るく賑やかで、面白いと下級の悪魔達が話していた。

閻魔に尋ねると、

「視察にもちょうどいい。好きなだけ見てくるといい。」

と書類に目を通しながら言った。

お付に途中までついて行ってもらい、人間界へ足を踏み入れた。

そこは、菫が見ていた世界とまるで別物だった。

そこら中カラフルで、明るい。

人々が歩き、店が並び、美味しそうな匂いが漂う。

暗くて、どこか陰湿な雰囲気が漂う、世界とは全然違った。

「…本当に、素敵なところ…」

感動で、しばらく動けず、辺りを見渡していたが、少しして歩き出した。

どこまでも続く、陽の当たる道。

菫にとって衝撃的で、眩しいものだった。

羨ましい。

その一言につきなかった。

気づくと、菫は公園の近くに来ていた。

しかし、元の世界にはそんなものはなく、菫は知るはずもなかった。

「…何かしら」

ワクワク感が止まらない。

華は入ってみることにした。

そこが、菫の運命…人生を大きく変えることになるとは知らずに。

「…み、水…」

か細い声がした。

振り向いても誰もいない。

いや、違う。

下に倒れていた。

菫は驚き、目を見開く。

青年....いや、大人だろうか。

短い髪に、白衣をまとっているのが第1印象だ。

だが、じっくり観察している暇はなく、男の申く声で我に返った童は、声をかけた。

「…だ、大丈夫ですか?」

男は地面に付けていた顔を少しあげ、菫と目線が合う。

「…水をくれないか。」

それだけ言って、また力尽きたようにうなだれた。

「お水...」

菫はそう呟き、辺りを見回すと、近くにあった井戸を見つけ、水を汲んだ。

水を入れる桶は井戸の近くにあったのでそれを使った。

「お水を持ってきたわ。どうぞ飲んで。」

菫は、桶を地面に置き、男の体を起こす。

そして蓋を開け、男に飲ませた。

飲ませて少しすると、男はこちらに顔を向けた。

まだ体調は良くなさそうだが、少し回復したらしい。

ありがとう、と礼を言った。

「ほんとにありがとう。助かった。そうだ、礼をしなければ…」

「そんな、礼だなんて…」

菫は断るが、男は首を横に振る。

「僕が何かしたいんだ。…何が良いだろう?」男は真っ直ぐ菫を見つめる。

菫はあたふたした後、悩んで、しばらくして答えた。

「…それなら、ここの案内をしていただけないかしら。私、ここへ来たばかりだから。」

菫はニコリと微笑んだ。


***


男は祐介と名乗った。

やはり、研究者らしい。

祐介は本当に研究好きで熱心らしく、案内をする中でも楽しそうに語っていた。

無口そうなのに、研究の話の時だけは目を輝かせ、声が少し上擦っている。

菫はその話を楽しく聴きながら、街を見て回った。

それからは早かった。

1日で急接近した。

菫は泊まる場所もないと言うことで、祐介の家に泊まった。

祐介は堅実で、何もなかった。と言うのも、帰ってすぐ研究に没頭していたからだ。

菫は泊めてもらう代わりに、と夜ご飯を作った。

徐々に2人は惹かれあっていったーー。

それから重は1週間、人間界に滞在した。

でも、そろそろ帰らねばならない。

祐介もそれが分かっていたのだろう。

菫の手を掴んで、言った。

「このまま一緒に暮らしてはいけないだろうか」

と。

菫は驚きで目を見開く。

それから少し、哀しそうな顔をした。

「…私は人間じゃないわ。戻らないといけない。」

祐介は言葉を失った。

菫はその反応を分かっていたかのように、無言で出ていこうとした。

しかし、祐介が手を掴んで止めた。

「…それでもいい。君が人間だろうと、人間じゃなかろうと。それ以前に、君という人を愛してしまったんだ。」

菫は涙を流し、座り込んだ。


***


「…今、なんと言った?」

空気が凍る。

シンと静まり返るのに、そう時間はかからなかった。

菫はしっかりと答える。

「もう一度申し上げます。離婚させていただきます。」

ダンッツ!!

机を叩く音が部屋中に響いた。

お付の者が目を丸くする。

「ふざけるな!たかが面の良いだけのお前が口答えをするな!!」

牙を剥き出しにして、鬼の形相で怒っている。

「…それが貴方の本心なのですね…」

重は哀しそうに目を細め、静かに呟いた。

だが、表情は哀しみに満ちていない。

分かりきっているようだった。

「そう言って私が了承するとでも思ったのか?」

威圧するように睨む。

「了承しても、しなくても、私の意思は変わりません。…伝えに来ただけに過ぎません。」

凛とした声が部屋に響く。

その言葉で堪忍袋の緒が切れたようだ。

こめ筋に血管を浮かせ、閻魔は怒鳴る。

「…もう良いッ!一家の恥知らずが!!お前は悪魔から墜落させる!」

そして瞬く間に童に近づき、額に爪の先を向けた。

「…あ、あぁ、あぁぁぁぁぁ!」

菫は悲鳴をあげた。

黒い光が身体から放出させられる。

身体から悪魔としての力が抜けていくのが分かる。

痛みで意識が段々遠のいていく。

気づいた時は、人間界の見知らぬところで倒れていた。


***


そして数年後。

祐介とは結婚し、子供にも三人恵まれた。

幸せだった。

だから、予想出来なかった。

これから家族がバラバラになるなんて。

「…きいな…泉…優地…」

しばらく喪失していたが、長い年月をかけて前を向いて生きた。

最後は幸せではなかったかもしれない。

けれど、それ以上に幸せだった日々がある。

『…だから泣かないで、貴方。』

ハッと祐介は顔を上げる。

今、童の声が聴こえたような気がした。

そんな事絶対にないのに。

菫は子供達が悪魔に取られて数十年後に亡くなった。

最後まで明るく生きようとしていた。

…私に、最後まで寄り添ってくれた。

菫を幸せにできただろうか。

これから私は不死身の体で、永遠に罪を償い続ける。

罪を背負うのは私だけでいい。

「…いつか、いつか其方で出会えたら……また今度も、手を握って良いだろうか…」

なんて我儘な言葉。

祐介の言葉は風に吹かれ、誰にも届かず消えていく。

墓に献花を手向け、その場を後にした。

献花の花びらが散る。

祐介の後ろ姿を見つめながら、そっと花びらを取る。

長い黒髪が春風になびいた。

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