第50話

第22話:Who are you? 其の二


一人の少年がもう一人の少年を軽く叩く。

子供の喧嘩だ。

着物を着た女性はそれを愛おしそうに見つめながら、話しかける。

「お母さん、これから少し遠くへ行くわ。我慢できる?」

子供達は少しの間顔を見合せ、それから"お母さん”と言った女性へ顔を向ける。

「全然平気だ!」

と一人がいい、

「…は、早く帰ってきてね…」

ともう一人は少し寂しそうに言った。

女性は小さい二人の頭を撫でると、旅行鞄を手に取った。

そして背を向け、歩き出す。

が、しばらくして小さくなった二人の姿を見つめた。

泣きそうになるのを堪えながら。

ただもう一度向けたその背は、二度と振り向かなかった。


***


「…母さん?」

その声で菫は我に返る。

子供一一自分の娘、きいなが不思議そうに顔を見上げている。

少し心配そうだ。

きいなの頭をそっと撫でる。

するときいなは気恥しそうに、それでも嬉しそうにする。

きいなは2歳と言う歳の割に落ち着いている。

本当に良い子に育ったとは嬉しくなる。

「もうすぐ産まれるのよね!私のいもうと!」そうだ。

私は今、妊娠している。

「ええ。きいなに妹ができるのよ。嬉しいわ。」

白い紙に赤いクレヨンできいなが絵を描く。

どうやら妹を描いているらしい。

上手ね、と言いながら、昼下がりの暖かさに目を瞑った。


それから数ヶ月してきいなの妹、泉が生まれた。

泉は私そっくりだった。

菫色の目、少しくせっ毛の黒い髪。

きいなは妹ができて嬉しいのか、お姉さんぶっている。

微笑ましい光景に目を細ませる。

「一家の裏切り者が。」

不意に後ろから声がし、振り向く。

が、誰もいない。

低く、重みのある声。

…良く知っている声。

「…うあう…」

泉の産声で我に返った。

「…空耳…?」

冷や汗が流れる。

どうしよう、忘れていたのに。

忘れたかったのに。

暗い闇が開かれようとしていた。


***


「おめでとうございます!男の子ですよ。」

助産師が明るい声で話す。

肩で息をする。

汗を拭かれながら、生まれたての赤ん坊を見る。

(…結局あの人は来なかったけど…無事生まれてきて良かったわ。)

あの人、私の旦那さんは学者だ。

色々な事を研究しているらしい。

ここ最近とても忙しそうにしていた。

その研究にひたむきな姿に惹かれたのだが。

それでも少し、寂しい気持ちもある。

(…あの人も頑張ってるのよ…それに私は全てを捨てて今を生きているわ。)

小さくて温かい、赤ん坊の手を握りながら小さくある事を決意した。

「…兄弟のところ?」

きいなが聞き返す。

泉は不思議そうに首を傾げた。

「そう。兄弟のところよ。実はね、きいな達にはもう2人、お兄ちゃんがいるのよ。」

私の決めた覚悟ーーそれは隠された秘密の1部を子供達に伝える事だった。

全ては教えられない。

それはまだ子供達が小さいからじゃない。

大人になっても言えない。

…そう言う事だ。

「…どこにいるの?」

少したどたどしく泉が聞く。

最近言葉を覚えたのに、もう話せている。子供の成長は早い。

「…んーそれは言えないの。ごめんね。」

しばらくジッと私の顔を見ていたが、やがてお人形遊びに戻った。

子供ながらに大人の事情を感じ取ったのだろう。

それ以上何も言わなかった。

私もそれ以上何も言わず、ご飯の支度を始めた。

「…はい、ココアよ。」

食後。

子供達にココアを差し出す。

子供達がそれぞれ飲んだ事を確認すると、自分も口に付ける。

優地はまだ0歳なのでお預けだ。

「…眠い…」

きいながうとうとし、顔を上げて寝る。

泉もこくこくと首を揺らし、眠った。

「…ごめんなさい。会いに行くにはこうするしかなかったの。」

優地を抱く手が強くなる。

菫の後ろにあるキッチンには、透明な瓶に入った薬が置いてあった。

「…ん…」

しばらくし、きいなは目が覚める。

体が揺れている。

ボヤける目でゆっくりと辺りを見回す。

そこは暗かった。

肌寒く、地面はゴツゴツしていてそれくらいしか見えない。

母が付けているランプの灯りと、周りの松明の灯りでしか見えない。

カツーンカツーンコッコッ

岩を削る音が響く。

そしてそれを掘っているのは人間ではなかった。

異形。

鬼、と言うのだろうか。

童話で読んだような、鬼。

それ以上の恐ろしさがある。

びっくりしたが、不思議と怖くはなく、落ち着いていた。

母は私が起きていることを知らないようだ。

ゆっくりと歩き続けている。

その様子を周りの鬼達がヒソヒソと話している声が、ようやく意識がはっきりし、聞こえてくる。

「…なぜ、あの方が。」

「…シッ黙れ。どうせ人間界でやって行けなくなって前の旦那に悲願でもしに来たんだろう。」

「それにしても良く来れたものだ。」

良く意味が分からなかったが、悪い意味では間違いないようだ。

何やら知ってはいけない事のような気がして、きいなは静かに目を閉じた。

「…きいな、泉、起きて。」

母の優しい声がして目が覚める。

どうやらまた眠っていたらしい。

起き上がる。

固い感触がして、ふと見渡すと、ベットで寝ていた。

隣では泉が寝ている。

部屋は全体的に薄暗く、質素だ。

ドクロやらホルマリン漬けの目玉などなければだが。

本物のように見えて不気味だ。

外で話し声がする。

「…泉、泉!起きて。」

「…んん」

泉も目を覚ます。

「私達も行きましょ。」

泉の手を引き、ドアを開けた。

「あら、きいな。おはよう。それに泉も…」

少し緊張気味な顔で童が迎える。

母の前には...

「…おいっ!お前、誰だ!」

「…や、止めなよ陽。失礼だよ...」

強気そうな黒髪の男の子と、弱気そうな白髪の男の子。

黒髪の方は陽と言うらしい。

全く正反対な性格をしてそうだが、顔立ちは似ている。

双子だろうか。

それにしても…

「失礼ね!初めて会ったのにその言い方はないんじゃない?」

「…きっきいな….!」

きいなの強気な言い方にオロオロと菫は慌て出す。

「なんだと!お前。偉そうに!」

「アンタもでしょ!」

ムキーッと2人は顔を見合わせる。

「き、きいな~」

菫も加わり、止めようとする。

そこにポツンと残された2人。

泉と一

「…ぼ、ぼくは月!き、きみの名前は?」

勇気を振り絞ったような声がする。

声を向けられた先には、母親の後ろに隠れる少女がいた。

「…泉。」

恥ずかしそうな小さな声が返ってくる。

すると月はパッと嬉しそうにする。

「…い、泉ちゃんよろしくね!」

こくりと小さな笑みを浮かべて家が頷く。

「そうだ!ぼ、ぼく連れていきたい場所があるんだ!い、一緒に行かない?」顔が少し赤い。

泉の方も、また同じだった。

「…行き、たい!」

月が手を指しだす。

泉がその手をそっと握った。

「…こ、ここだよ!」

「わぁ…!」

フワッと広がる風と、広い大地。

大地には、一面に色とりどりの花が咲いていた。

街から少し歩いて行った所にある場所だ。

「…きれい…!」

泉は気に入ったようで、しゃがんで花を見てい

る。

それを微笑みながら見ていた月は花を摘む。

「…泉ちゃん!こ、これ…」

「え…」

月は目を瞑り、お辞儀をするように泉に花を差し出す。

「い、泉ちゃん花、好きそうだったから… と、取ってきたんだけど…い、要らなかった…?」

気恥しそうに、不安そうに見つめる。

泉はしばらく固まっていたが、やがて笑顔を向けた。

「…んーん!嬉しいわ!ありがとう。」

泉はそっと花を受けとる。

その言葉に月はホッとしたように笑った。

しばらくし、2人は家に戻って行った。

「泉!…月、くん。帰ってきたのね。」

仲良さそうに帰ってきた泉達に嬉しそうに出迎える菫。

陽ときいなはまだバチバチとしていた。

「…そろそろ帰りましょうか。…ねえ、陽くんお父さんは…」

「親父は帰ってねーぞ!仕事忙しいからな!」ベーゴマ勝負をきいなとしながら答える。

「そう…」

菫は少し寂しそうにしたが、またすぐに笑顔になる。

「…じゃあ最後にお茶でも振る舞うわ。台所、借りるわね。」

「おう」

しばらくして童が出てきた。

人数分のお茶を持って。

皆がそれぞれ口にする。

そしてーー

全員寝た。

ただ一人、童を除いて。

「…ごめんなさい…ここで会った記憶は残していては行けないの。」

菫は悲しそうに全員の頭を撫でた。

窓からすきま風が吹く。

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