第28話
20話:造花の嘘
昔から、生きていない"何か"が見えた。
皆が見えないものも、良く見えた。
そもそも気にしていなかったし、その度に無視してきた。
それなのに…
「…おやぁ?まだ、こんな時間に生徒が残ってんのか。」
彼女は突如現れ、目的を果たし、帰って行った。
無視もできたはずだ。
だが、出来なかった。何かに縛られたように、彼女から目が離せなかった。
瞬間。
悟った。あぁ、彼女には逃げられない、と。
だから、逃げる事も、無視する事もせず、話をした。
心の奥底で、好奇心が疼いたのかもしれない。
***
「…な、なずなっ!?ど、どうしたの?髪…」
朝。
クラスのドアを開けると、直人君…とそれ以外の皆も、目を丸くした。
ずっと伸ばしてきたから、当たり前と言えば当たり前かもしれない。
「…水瀬さん…髪めちゃくちゃ切ってる。」
「確か…腰あたりまであったよな?」
「…何の髪型でも合うって凄すぎ。」
「…さすが、美人。高嶺の花だよ。」
クラスの皆のヒソヒソとした声が聞こえる。
「おはよう、直人君。」
クラスの声に耳を傾けず、直人君の斜め後ろの自分の席に座る。
机に鞄を置く。
「…お、おはよう。イメチェン?なずな。…似合ってるよ。」
「…ありがとう。短い髪もなかなか良いね。髪が乾かしやすい。」
髪をかきあげる。
他に利点と言えば、軽くなった事だろうか。
そんな事を考えている間に、感嘆の声が上がる。
何故か、顔を赤くしている人もちらほら。
「…直人君、私何かしただろうか?」
原因が分からず直人君に聞くも、当の本人も顔が赤い。
「…なずな…今後は、髪かきあげるの控えた方が良いかも…?」
「…うん?それは…どう言う事かな?」
意味が分からなかった。
悟ったように、同情した顔の直人君が肩に手を置いた。
***
「…なずな?」
直人君の呼ぶ声がする。
ハッと我に返り、横を向く。
心配する顔がこちらを見ていた。
「…あ、すまない。少し考え事をしていた。」
学校帰りの道。
寒い風に吹きよられながら、帰っていた。
「…別に大丈夫だけど。何だか顔色が暗い気がしたから。」
「…本当に大丈夫だから気にしないでくれ。」
「…うん。で、大学の話なんだけど、やっぱり家に近い所になったよ。」
「そうなのか。…ん?となると、私と同じになるね。」
「…そうなの!?やったね!また一緒だ。」
屈託のない笑みで喜ぶ直人君を見て、思わず自分の顔も綻ぶ。
「そうだね。…これからもまた、一緒にいられるとは。……本当に幸せ者だよ。」
「…うん。」
直人君が指を絡めてくる。
私も、返した。
ヒュゥゥッと冷たい風が吹いた。
「…わっ」
「…冷たいね。もう、冬か。」
乱れた髪を手櫛でときながら呟く。
その時
フワッ。
目の前に何かが被さった。
マフラーだった。
「…?直人君?」
直人君を見上げる。
直人君はグルグルとマフラーを私の首に巻く。
「…寒いでしょ。俺は良いから着けといて。」
そう言う直人君も、頬や鼻が赤い。
「優しいね。ありがとう。」
キュッとマフラーを軽く握った。
密かな温もりを感じる。
また、歩き出す。
チラリと隣を見ると、ハーッと白い息を、手に吐いていた。
「…直人君、少し手を貸してくれないか?」
「…え?う、うん。」
不思議そうに手を差し出す。
直人君の手を取り、ハーッと息を吹いた。
「……!?!?」
直人君が驚き、足が止まる。
息を吐いた後、コートの右ポケットに手を突っ込んだ。
「…な、なずなッ…」
「…ん?何だい?私は手を貸してもらっただけだよ。…私が他に何かしたかい?」
反応が可愛い。
弄らせがいのある可愛い彼氏だ。
「…い、いえ。」
負けたと言うように、片手で顔を隠していた。
「…さ、もう十二分に温まっただろう?帰ろうか。」
「うん…。」
二人は同時に歩き出す。
手をポケットに入れたまま。
***
春。
満開の桜の中、大学の入学式に来ていた。
その中で、見慣れた後ろ姿が見える。
「…直人君。」
スーツを来ているが、心配と落ち着かないような感じが、滲み出ている。
直人君らしいな、と思いながら声をかけた。
「…今年も一緒だね。よろしく。」
それから直人君と受験期に頑張った古典ノートを取り出し、お互いに笑った。
「…なずな、スーツ似合ってるね。」
俺なんか高校生が背伸びして来たみたいだ、と笑った。
「…だろう?今日のために新調したんだが、次着るのはいつだろうね。」
両手を広げ、直人君に見せる。
少し先まで考えたからか、少し袖が長い。
「たぶん就職の時じゃないかな。もうちょっと先だけど。」
「そうだね。」
そうか。
大学を卒業したら、また着る事になるのか。
直人君、今度は着こなせるようになっているだろうか。
「(…楽しみだ。)」
ポツリと誰にも聞こえない声で呟いた。
「…なずな、何か言った?」
少し先を歩いていた直人君が振り向く。
「…何もないよ。」
頭を振ると、直人君の方へ歩いた。
(…大学生活の三年間、楽しませてくれよ、直人君。)
なずなは微笑んだ。
複雑な寂しさを混じえた微笑みを。
***
最近、人生について良く考えるようになった。
そんな大層な事ではないが、残りの余生をどう過ごそうかと、不意に思ってしまう。
考えないようにはしているけれど、どうしても頭に過ぎる。
直人君といると、後三年後には一緒にいられない、直人君を隣で見る事はできないと思い、罪悪感を覚える。
考えたくないのに。
いつも通り、何もない普通の日々を過ごしたいのに。
思えば思うほど、考えれば考えるほど、どんどん沼にはまって行く。
これは絶対に表に出さない。
せめて、せめて…直人君の前では笑って。
普通に過ごせるように。
絶対に壊さない。自分で心で守れるなら。
だから、楽しく過ごそうと思った。
そんな矢先の事だった。
「…酒、飲まない?」
いつも通り大学の講義を受け終わった後、同じ講義の子から飲み会に誘われた。
突然の事に驚いたのか、直人君は困った顔で笑っている。
私も、どうしようかと思った。
行きたくない、と言えばそうでもないのだが、あまりぐいぐい行くタイプではなかったし、何故か一歩距離が空いた感じで誘われる事がなかった。
だから、こう言う時は少し困ってしまう。
さて、なんて答えようか。
あまり返事を待たせてはいけない。
チラリ、と直人君を見る。
直人君と…飲み会か。
行った事ないかもしれないなぁ。
ましてや、皆で行くものに。
急に好奇心が湧いた。
楽しんでみても良いかもしれないね。
この機会に。
「私はいいけど。」
「俺も良ー」
「えホントに?やったぁ!」
その子は喜ぶと、嬉しそうに駆けて行った。
飲み会。
楽しめると良いね、と思いながら、午後の講義に集中した。
***
「…なずながこう言うのに参加するの、珍しいな。」
ポツリと呟いた直人君の言葉に、肩を震わせる。
それは直人君もだろう。
そう、思いながら気持ちを思い起こす。
行きたくなった理由。
脳裏を過ぎる。
「…直人君と同じ大学に入れたし、こう言うのにも参加しようと思ってね。…悪かったかな?」
少し、嘘をつく。
本音を言えないと言うのは、なんともきついものだ。
それは相手を騙す事であり、良くも悪くも、辛い気持ちが押し寄せる。
それが、好きな人に対してなら尚更。
キュッと苦しくなる胸を抑えながら、苦しさをザワザワと騒ぐ周りの音にかき消した。
飲み会も深夜を回って終了し、今は車で帰っている。
深夜を回った冬の空は、肌寒く、どっぷりと黒の絵の具で塗りつぶしたように暗い。
街灯や車のライトが付いていないと、運転が不可能なくらい。
先程、直人君にちょっかいを出すと顔を真っ赤にしたが、逆に言い返され、私も少し照れた。
談笑していると、目の前のカーブに車がいる事に気がつく。
直人君には四角だったらしく、気づいていない。
「…!!直人君、ブレーキ!!」
そう、叫ばずにはいられなかった。
直人君もその声で気づき、急ブレーキをかけた。
しかし
間に合わなかった。
車はぶつかり止まる事を試みるも、止まる事なくガードレールに突っ込んだ。
『お前は、三年後に死ぬ。』
あの日
唐突に死神に言われた言葉を思い出す。
あぁ。この事だったんだな、と理解した。
***
「…ろ。きろ。起きろ、なずな。」
誰かに呼ばれている。
「…ん。」
目をゆっくりと開く。
ジワジワとピントが会い、視界がはっきりする。
そこにはーー
「…何時まで寝てんだ。せっかく起こしてやったんだしよ、はよ起きろや。」
ボンネットの上から声がする。
「…ハハッ。やはり、君か。」
乾いた笑いが漏れる。
そこには、三年前、死の告発をしに来た死神が立っていた。
「…死んだって分かってんのに随分と落ち着いてるな、お前。」
ま、私が一時的に蘇られたけど、と笑った。
「…そんな事はない。これでも驚いているよ。ただ、こうなるだろうと予想していただけさ。」
少し首を傾げ、体勢を楽にする。
隣では直人君がぐったりとしていた。
私も怪我が酷かったのか、血まみれだった。
ただ、痛くないので死神の力が働いているのだろう。
「…ふーん。さすが、と言ったところか。…それで、だ。私はお前に提案がある。」
「…何だい?内容によるよ。」
純粋に不思議に思った。
死神が提案を持ちかけるなんて、と。
「…んな難しい事じゃねぇよ。…お前の願いを三つ叶えてやるってだけ。」
その言葉に目を見開く。
「…それは、随分と。どうしてそう思ったか、理由を聞くとしよう。」
私の言葉に死神は笑った。
「理由は特にねぇけど。…言うとしたら…そうだな。お前が気に入った!それかな?…おい、何だその面は。何でんなやべぇもん見た顔してんだ。」
笑った、と思うと今度は怒り出した。
「…すまない。唐突で驚いただけだ。…で、願いとは詳しく言うと?」
「…一つ、お前が望むモンは大抵何でも叶える。二つ。…これが一番大切だな。死んだ人間は生き返らせる事は出来ない。」
これだけだ、と腰に手を当て得意そうにする。
「…そうか。…だが、生憎私は生き返るなんてそんな事は考えていないよ。ただ…そうだな。…直人君は生き残るようにして欲しいね。」
「…お優しいね、なずな様は。」
嫌味ったらしく呟く。
「…そんなのじゃないさ。私は良いから…どうせ、ここまでの命だろう?それなら誰か、役に立って欲しいしね。それに、」
「…それに?」
死神が続きを促す。
「…それに運命に抗うのは趣味じゃない。非科学的な物は信じない主義だからね。…直人君には申し訳ないが。」
直人君との、楽しかった記憶が過ぎる。
告白されたこと。
初めて手を繋いだこと。
家に上がったこと。
談笑しながら家に帰ったこと。
お酒を一緒に飲んだこと。
誰もいない教室でキスしたこと。
「…嘘ってのは、色んな種類があるよな。」
唐突に死神が話し出す。
「…都合の悪い事を隠す嘘。自己保護、罰を避けるための嘘。事故拡大、自分を良く見せようとする嘘。自分の利益のための嘘。誰かを傷つけるための嘘。…"誰かを守るための嘘"。」
最後を無駄に強調して言い、こちらを見るので目を逸らす。
「…何が言いたいのかな。」
目が合わせられない。
「…ま、つまりお前が誰かのために自分を犠牲にするお人好しって事。」
おちゃらけたように言う。
「…お人好し、か。あんまり言われた事はないね。」
「そうかねぇ。私が見てきた中では一番だと思うけど。人間ってのは分かんないね。」
"人間ってのは分かんないね。"
フッとそこだけ哀しく笑う。
「…あぁ。まったく。」
私も笑った。
「そいや、昔言った事覚えてっか?」
「…どれだろうね。その言い方だと、勧誘かな?死神の。」
そう言うと、ニヤリと不敵に笑った。
「…正解。…どうだ?ならないか?それとも、あの時から変わってねぇか?」
「…何故そこまで私に拘るのか分からないが、断るよ。」
目を少し見開き、意外そうな顔をする。
「…今、そう断る理由を聞いていいか?」
「…あぁ。私は直人君を待たなくてはいけないからね。そして、早めにこっちに来たら送り返さなければ、ね。」
死神は何も言わなかった。
それが分かっていたかのように。
「…おっと、そろそろ時間だな。良い子は寝る時間だ。」
そう言い、死神はしゃがむ。
「…そうだね。…では、宜しく頼むよ。」
「…おう。じゃあな。」
「……じゃあ。」
目を閉じる。
パチンッ
死神が指を鳴らした。
「……ぐッ」
痛みが戻り、くぐもった声が出る。
段々と意識が抜けていく。
「…ありがとう…すまない…。」
霞れゆく視界が歪み、頬を濡らした。
嘘と言うのは、いつも偽りで出来ている。
今回の彼女がそうだったように。
その名をーー
「…"造花の嘘"と呼ぶ。」
月に照らされたボンネットの上で死神は呟く。
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