第21話

16話:キスにツンデレ


毎週木曜日。午前は1時から。午後は5時から。パソコン室で。何時も通り、彼と資料作成をするだけだった。…それなのに。

「…何で、こんな事になってるのよ。バカっ!」

私は思わず叫んでしまった。

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最近、私に"彼氏"と言うモノが出来た。


かれ-し 〖彼氏〗 (代) 昭和初期の新造語

①彼。あの人。からかいや親しみの気持ちを含めて言う語。

②転じて恋人や愛人である男性の意。

(広辞苑より)


「…何時、広辞苑は変わったのかしら。」

「…は?」

スマホを片手に、ジュースを飲んでいた目の前に座る友人は、意味が分からなそうに私を見た。

「…何、なんか言葉の意味でも変わったの?」

心底興味なさそうだが、一応建前として聞いておこう、と言う感じだった。

一人言を呟いた私も悪いけど、失礼な人ね。

「…何でもないわ。」

そう言ってスマホの電源を切った。

今見た事は忘れないと。

友人は疑うように黙って私を見ている。

「…これは、何かあるなッ!」

かと思ったら、いきなり声を上げあろう事かスマホを取った。

「…な、何してんのよ!返しなさい。」

私も声を上げる。

取り返そうと手を伸ばす私を嘲笑うかのように右、上、下、左、上、と器用にスマホを持った手を振り回しながら交わす。

「…この、すばしっこいネズミが…!」

思わず、悪態を付く。

「…おーおー!口悪ーい(笑)」

こうして、彼女が親指で電源ボタンを押し、画面が明るくなった。

素早く画面を右スライドし、先程まで開いていたペーシが表示される。

「…何何…広辞苑…こんなもん読んでるの…検索が彼氏…フッ彼氏て……」

彼女は黙る。一言二言多いのよ、貴方は。

「……えぇ!?」

「…うるさいわね。ここ、お店よ。静かにして。」

ほら、店員にジロリ、と睨まれた。

「…えー、だってだって。彼氏♡いるんでしょ?調べてるってこ.と.で.しょ〜??」

「……う、うるさいわよ。」

顔が赤くなる。これは自然現象よ。自然現象。

血管の拡張により血流量が増大し、皮膚が赤みを帯びているように見えるだけ。

それだけよ。断じて、断じて彼の事が……その、…き、とかでは無いのよ。絶対。

「…で、ホントにいるの?」

ニヤニヤ顔で尋ねられる。

今飲んでる珈琲をぶっかけてそのニヤついた顔面を引っ摘んでやろうかしら。

言いかけて、言わなかった私に感謝して欲しいわ。

「…い、いな……ッ。…内緒よ。」

はっきり"居る"と言えない自分に腹が立つ。

一応、あいつが了承してくれたから…ただそれだけよ。

「…ずるーい。んもうッ!恋バナしようよぉ〜…まぁ?ツンツンデレデレ、ツン子ちゃんには出来ないかぁ。」

「…な、何がツン子よ!珈琲ぶっかけられたいの!?」

「…可愛いなぁ。でもさ、真面目に言うと、彼氏とそのままで良いの?」

ふと、真剣に尋ねられる。目がしっかり私を見据えていた。

そんな…目と口調で言われたら、黙っちゃうじゃない。

ふー、とゆっくり息を吐く。

落ち着いたわ。

「…そんなわけ、ないでしょ。い、一応…かの、…なんだし…。」

「…なんて言ったのかな?聞こえなーい。」

「…東京湾に沈めるわよ。」

さっきの落ち着きが、友人の一言で一瞬にして消えた。

「こっわ。さて、このやり取りは置いといて。彼氏をドキドキさせちゃおーう!」

「…そんな事、出来るわけないじゃない。」

「…どうして?」

分かってるくせに。

「…どうしてって…素直になれないのよ。言おうとしたら、つい言えなくなって。…それなのに、出来るわけ…。」

…今日の私、駄目だわ。こんな弱音を吐くなんて、私らしくない。

「…それが良いんだよ。彼氏もさ、蘭のありのままの性格が好きなんだと思うからさ。…イメチェンしよ。イメチェン。」

「…イ、イメ…?」

「うんうん。蘭が変身して、デートでもして見せつけてこい!それで言いたい事、言ってこい。」

「…デ、デートって。私、した事ないわ。」

「…は?」

呆れたと言うより、信じられないと言う顔で見ていた。

「…嘘でしょ!?付き合ってて、デートの一つや二つもしてないの?馬鹿ね。…これはもう、問答無用で行くしかないね。…何日空いてる?」

「…来週の、木曜日なら。…て、勝手に予定を組まないで!スマホも…!!」

「…もう、送っちゃった!」

「馬鹿ッ…。」

スマホを奪い返し、画面を見る。

画面には、彼のトーク画面が写っている。

ほとんど、彼が話し、私は必要最低限のトークしかしていない。

本当は、色んな話をしてみたい…と思ってる。

でも、いざ話そうと文字を打つと、急に恥ずかしくなってしまう。

要らない無限ループ。

こんな事を思っている間に、他の曜日の彼女達は彼と楽しそうにしてるのかしら、と思うと少しモヤモヤしてしまう。

…気持ち悪いわね。別に思ってないともいえなくもないわ。

もう一度、画面を見る。

…う、嘘でしょ?既読が付いているわ。

な、なんて返したら良いの?

取り敢えず、消さなくちゃ。

ピコンッ。

『良いよ!』

メッセージとスタンプ。

悩んでいる間に返信が来てしまった。

「…なんて言えば良いのよ。」

「…後はお二人さんで話しなー。よし、私達は来ていく服でも買いに行きますか!」

ガタッと椅子から立ち上がり、私の手を引っ張った。

「…ちょっと、勝手に止めなさいよ。」

外に出る。

晴れやかな空が、こんなにも憎いと初めて思ってしまった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「…なんでこんな事になってるのよ、バカっ!」

ダンッ。

机を叩く。あの後、友人に散々買い物に付き合わされ、LINEは彼の方から話しかけた事で何とか成立した。

…直接予定を組むよりはまだマシだったけど。

ガチャ。バッと音のした、後ろを振り向く。

「…どうした?なんか大声が聞こえたけど。」

悩みの原因、朝日直人が立っていた。

「…貴方のせいよ!朝日直人ッ。」

「…え、何!?八つ当たり?なんで、フルネーム?」

「…黙りなさい。」

それと、と言葉を続ける。

「…そ、その。八つ当たりは…ごめん、なさい。…でも、原因は貴方よ。分かったら、さっさと手伝いなさい。」

何だか分からない、と言う顔をしていたが、笑った。

「…分かった。今日はフランス語だよね。」

「…そうよ。いつにも増して多く書くから、覚悟しなさい。」

「ハイハイ。」

「…はい、は1回よ。」

「…はい。」

彼は苦笑いしながら、椅子に座った。

数分後、カタカタと文字を打つ音が響いた。

それを見つめ、自分もパソコンの画面を見る。

はァァー…とため息が出る。

なんで、あんな冷たい言葉しか言えないのかしら。

一言、言いたかったのに。

楽しみ、とか。ここ、どうだった、とか。

色々話したい事があったのに、ガラガラと口から出る前に崩れていく。

何時まで、私はこんな感じで、素直になれないのかしら。

私から…告白、したのに、いつも口下手に話して。


『…蘭ちゃんってさ、なんでそんなに口が悪いの?…酷いよ。』

『蘭ちゃんなんか、嫌い!』


いつの話か、昔クラスメイトに言われた言葉。

小学生の頃、まあまあ仲のいいクラスメイト…友人がいた。

遊んだりとかは、あまりなかったけれど、教室で軽く話すくらいには仲が良かった。

私は昔から、人と話していると素直になれなくて、いつもキツい言い方をしてしまう。

でも、しょうがない。しょうがないの。

私の心に蓋をして、"しょうがない"と何度も言い聞かせた。

私は大丈夫、私はだいじょうぶ、私は…ダイジョウブ。

でも、そうやって逃げる度、私の心はどんどん苦しくなっていった。

分かっている。本当は。

私がこんな性格だから、と諦めているだけ。

"しょうがない"と私に暗示をかけているだけ。

それでも友人は仲良くしてくれた。

こんな私でも、"友達"と言ってくれた。

嬉しかった。けれど、

その嬉しさと言葉は、一言で一瞬にして消えた。

それは友人が好きな男子に告白した時だった。

彼女は勇気を振り絞って告白した。

しかし、彼女は振られてしまった。

私と2人の友人が慰める。

「大丈夫だよ!元気だして。」

「好きなお菓子買お!ミセドのポンデリング食べよう!」

「…うん、あり、がとう…。」

泣きながらお礼を言う。

「…蘭ちゃんも何か言いなよ。この子、傷ついてるんだよ?」

「そうだよ。何か一言言ってもいいんじゃない?」

なんで、この2人から責められているんだろう。

そんなに…一言が、大事なの…?

私には、分からなかった。

でも、彼女が傷ついてるのは分かる。

だから…言葉を投げかけた。

「…当たって砕けろって言うじゃない。」

だから、大丈夫。

そう、続きを言おうとした。

けれど、最初の一言がいけなかった。

決して、嫌味で言ったわけではない。そう言う言葉があったから、述べただけ。

彼女達は驚いたように目を見開き、反応はそれぞれだった。

告白した友人は泣いた。

2人は罵倒した。怒って、彼女に味方した。

「…蘭ちゃんっさ、なんでそんなに口が悪いの?…酷いよ。」

「…蘭ちゃんなんか、嫌い!」

言われるだけ言われて、私は1人教室に残った。

私は何も反論しなかった。

私が、全部悪かったから。あんな事を、言ったから。

あの時、初めて涙を流した。

明かりの消えた薄暗い教室で、1人床に座り込んだ。

あれからずっと、私は変われていないままだ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「…蘭?大丈夫?」

手、止まってるけど。と後ろから声が聞こえた。

「…だ、大丈夫よ。少し、行き詰まっただけ。貴方は、何も気にしなくて良いわ。…仕事を続けて。」

「…。」

彼からの返事はなかった。

また…言ってしまった。弁解しようと口を開く。

「…な、……朝日先輩、本当に気にしないでください。私だって、一つや二つ考えます。…ですのでー…」

「蘭。」

下の名前で呼べず、先輩呼びになる。その反響か、敬語になった。

彼が、私の言葉を遮った。

「…な、何よ。」

「…蘭、君のそんな態度で何も無かったなんて思うわけないだろ?蘭は何か隠してる。それは、相談して欲しい。…けど、嫌なら話さなくても良いから。」

そう言って、私の隣に座った。

その言葉にハッとする。

どうして、どうしてそんなに私の気持ちに気づいてしまうのよ。

…でも、放って欲しく、ない。

"話を聞いて欲しい"

その、一言が口から素直に出たら、どれだけ幸せか。

どれだけ救われるか。

『…蘭ちゃんなんか、嫌い!』

脳に張り付く、あの日の言葉。

…また、逃げるの?

あの日の私から。何時までも素直になれない私から。

…もう、嫌よ。私は、彼の為に私に、素直になる。

「……は、話を。話を、聞いて欲しいのよ。」

…言え、た。

彼とは…目を合わせては言えなかったけれど。

「…もちろん。いくらでも聞くよ。」

優しく笑う。

「…私、素直じゃないから。沢山…人を傷つけてきたの。勘違いもされたかしら。…違う。そうじゃない。そんな、事じゃないの。私は…素直になれない自分がーー私が嫌い。だから、私はッーー」

いつの間にか、視界が歪んでいた。

ジーンズに丸いシミがいくつかできている。

言いかけていた瞬間、暖かい感触に包まれた。

抱擁ーー抱き抱えること。また、抱き合って愛撫すること。

頭の中にいつの日か見た、広辞苑の言葉が流れ出てくる。

その瞬間、顔が熱くなる。

「…な、何してんのよッ!慰めなんて必要としてないわ!」

「…そうじゃない。慰めなんて必要としてない事なんて、分かってる。」

「…じゃあ、なんでッ…。」

「…俺がこうしたいだけ。それなら、良いだろ?」

「……貴方がそうしたいなら、勝手にそうしとけば良いのよ。」

「…ありがとう。」

「…それと、蘭。」

数秒の後、彼が口を開いた。

「…何よ。」

「…自分を嫌いなんて言わないで欲しい。…蘭の幸せは、俺の幸せで、蘭の痛みは俺の痛みだから。…自分を憐れむな。蘭は…蘭のままが、1番好きだ。何より、」

「…何より、何?」

「…何より、俺の彼女が自分を嫌いと言っているのが1番嫌だ。」

「…ごめん。1人分かったように言って。…けどさ、本当にーー」

「…だから、」

心臓が過去1番に大きな音を立て、顔が…体が熱い。

両手で、彼の体を私から外し、片手で顎を掴んだ。

そのまま、勢いのままに彼に近づき、触れた。

数秒の、短い接吻。


「"素直になれば、良いんでしょ"。」


彼の顔も、赤くなっていた。

ちょうど窓に照らされ、オレンジ色に輝く夕日のように。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

後日。

予定通りに、デートは遂行された。

どっかの誰かさんによって。

初めて、パソコン室以外で会うため、予定より30分前に来てしまった。

それよりも…早く来ないかしら、朝日直人。

恥ずかしいし、慣れてないのよ。こんな服。

目視で自分の服を確認する。

白のブラウスに、黒のタイトスカート。

靴は黒のヒール。

髪は…弄られていつもの三つ編みから、ポニーテールに変えられた。

別に…これで、悩みを言おうと思っていたから、デートなんてする必要ないけれど。

行きたそうにしてたから、行ってあげようと思っただけ。

断じて、行きたかったわけでは無い。

「…お待たせっ!」

そんな事を悶々と考えていたら、彼が来た。

声をかけた、次には黙った。

「…何、なんで黙ってるのよ。なんか言いなさいよ。せっかく、こんな格好してあげたのに。」

「…あ、ごめん。お、思わずッ…。見惚れちゃった。」

だからッ…

「…なんで、そんなに簡単に言うのよ!貴方は!」

「…だ、だって言われたしッ。思った事は、言わないと。」

「…いっ言わなくていいなんて言ってないのよ。ただ、躊躇いを持てって言ってるの。」

「……蘭、」

「…何よ。」

「…綺麗だよ。」

「…ッ。バッバカッ。」

この人、"躊躇い"の意味、分かってるの?

何か、仕返ししないと気が済まないわ。

いいえ。違うわ。そうじゃ、なくて。

"素直"になれたら。…素直に、なるの。

「…いや、そ、その。その…き、綺麗は?あ…ありが、とう。……な、直人。」

彼は驚いたように目を見開いた。

右手が引っ張られる。人の、温かみが伝わる。

「…はいはい。」

彼はどこか嬉しそうに笑った。

「…はっはいはッ…!」

「"1回"。ほら、行こう。」

「…〜〜ッ!」

何かと狡くて、優しい人。

そして"私"をありのまま受け入れてくれた人。

これだけは、大切にする。

例え、素直になれない時があっても。







…例え、いつか消えて無くなってしまうとしても。

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