一章

第2話

1話:酒、飲まない?


春。満開の桜。入学式。

晴れて、大学生になれた日のこと。

俺は胸を高鳴らせていた。別に、親に行けと言われた大学だったし、自分も家から近い所が良かったと言う、どうでも良い感じで決めたので、そこまで喜びはなかった。ーーが。

「今年も一緒だね。宜しく。」

春風に短い髪が揺られながら彼女ーー水瀬なずなが笑う。

銀色の髪と目、ワインレッドの毛先と、桜の明るい色が良く似合う。

「大学も一緒になれるとは思わなかったよ。…放課後、古典が苦手な直人君に勉強会を催したかいがあったな。」

イタズラっぽく笑い、古典ノートを取り出す。

それこそ、二人で頑張って勉強してきた成果を表す物だった。

「なっ何で持ってんの!?」

「何でって…話のネタになるだろう?」

「ぬっ抜け目がない…。」

「「……ふッ。」」

お互い、笑った。

      それが、二年前の春。


「水瀬さーん!今日、一限一緒だよね?一緒に受けよーよ。」

大学の教室前。なずなと入ろうとしていた処だ。声をかけてきた人達を見る。

同じゼミの女学生だ。にこやかに笑い掛け、近付いてくる。後ろにも、二、三人いる。

相変わらずの人気ぶりだ。

「…すまないね。折角誘ってくれた処悪いが、生憎、今日は先客がいるんだ。」

そう言って、俺の左肩をなずなが左手で自分の方に寄せる。

俺となずなの顔が近くなる。なずなの美人な横顔が見える。チラリとこちらを見、小さく笑う。

イケ女とは、恐ろしい。

「また、今度誘ってくれ。」

本当に申し訳なさそうに断る。

「「はっは~い。」」

鶴の一声。なずなの対応と美人な顔に、頬を染めながら、女学生達は小走りに後を去っていった。

女性人をも、惚れさせるなずな。

我が彼女ながら、物凄いモテっぷり。

妬ける処か、尊敬の域に達する。

「…おっと、すまない。ずっと寄せていたね。」

パッと肩から手を離す。

ずっとしてても良いですよ、と言いかけたが、教授の「授業始めるぞー。」と言う声で、前を向き、授業に集中した。

      これが、一年前の夏。


「飲み会?」

キョトンとし、聞き返す。

「そう!飲み会!同じゼミの先輩がね、誘ってくれて。水瀬さんと朝日さんもどうぞ、って。」

楽しそうに話す。

「それは同じゼミの人同士で飲むのかな?」

なずなが口角を上げながら尋ねる。

「うん!そうだよ。だからどう?かなって。」

「酒、飲まない?」

上目使いでなずなを見つめる。

「どうする?直人君。私はいいけど。」

「俺も良ー」

「えっホントに!?やったぁ!」

俺が返事を返す前に喜びを表す。

「じゃあ、先輩に伝えとくね。…あ、呼びたい人いたら、呼んでくれて良いから!」

それじゃね!、と言って元気に走り出した。

「嵐の様に過ぎ去って行った…。俺の返事待たず…。」

「まあまあ良いじゃないか、直人君。酒が飲めるのだよ?喜んだ方が良い。」

「なずなは酒好きだからね。」

ウキウキした様子のなずなに若干呆れつつ、久しぶりの飲み会に俺も足を踊らせた。


   「乾杯~~!!!」

カチンッとグラスのぶつかり合う音で、飲み会がスタートする。

ビール、ハイボール、チューハイ、枝豆に唐揚げなど、各々好きな物を食べ、飲んでいく。

なずなは早速ビール、俺は手始めに"ほろ酔い"を飲んでいた。

「直人君、何かツマミ、いるかい?」

枝豆を食みながら、メニューを渡す。

「うーん。…今は良いや。なずなは?何かいる?」

「…そうだね。じゃあ、イカの塩辛とビールを頂こうかな。」

「分かった。…他、誰か何かいる?」

「唐揚げー」

「ビールとチューハイ。二個ずつ。」

「了解。」

途中他の奴らに注文を聞きながら、店員に頼んだ。

「…なずながこう言うのに参加するの、珍しいな。」

ふと、呟く。付き合いが悪い、と言えば悪くなるが、余り積極的なタイプではない。なずなだけでなく、俺も。

「…直人君と同じ大学に入れたんだし、こう言うのにも参加してみようと思ってね。…悪かったかな?」

小首を傾げ、小さく微笑む。その頬は少し赤く染まっていた。

酒なのか、照れなのか。どちらにせよ、可愛いのには変わらない。

「悪くないよ。…むしろ、嬉しい。」

「……そうか。」

どこか嬉しそうにしながら酒を飲む。

その横顔が愛しかった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「そろそろ、お開きにするかぁ。」「はーい、解散~!」「今日はありがとー!」

深夜12時手前。飲み会は幕を閉じた。

終了すると、一気に脱力感に苛まれる。

酔いが身体中に渡る。

「…俺達も帰ろう。」

「ああ。そうだな。」

なずなは駐車場へ歩き出す。

それは、全く酔いを感じさせない動きだった。

なずなは酒豪で、少しの量では酔わない。

俺も酷く酔ってないものの、やはり少しは酔っていた。

車を出す。なずなが心配そうに尋ねる。

「…大丈夫か?やっぱり代わろう。君は私より、酔っているだろう?だからーー」

「大丈夫だよ。安全運転、ゆっくり走るからさ。」

こくりとしっかりと頷いて見せる。

「…そう、か。でも、何かあったらすぐ代わるからな。」

「分かったよ。」

車を動かす。ハンドルを握り、アクセルを踏む。車は右に曲がる。そのまま、運転を始めた。

    これが三年の今、冬の初め。


"運転を始めた" この時、止めていれば良かったのだ。なずなの言う通り、運転を代わっていれば、"あの"様にはならなかったかも知れない。

今、後悔しても遅い事は今の自分が一番分かっている。

死神の嘲笑う顔が浮かぶ。「もう、遅い」と。


「今の処無事だな。」

「縁起でも無い事言うなよ。」

思わず苦笑いを浮かべる。

車は一通りの少ない道を走っていた。

酔いはまだ残っているが、少し抜けた気がする。

心地よい風に当たっているからだろうか。

もう、すっかり辺りは暗くなっていた。

どっぷりとした黒い闇が世界を包み、星だけがチラチラと輝いている。

街灯もぼんやりと光っており、チカチカ点滅し、今にも消えかけるのではないかと思わせる。

人は見かけず、遠くから鳥の声が、車の走る音だけが、辺りに響く。

「もう、1時だね。明日の講義はー…あぁ、明日は土曜日だったな。二日酔いには、持って来いだ。」

「なずなも二日酔いなんてするんだな。」

「当たり前だ、と言いたい処だが、君だよ。直人君。」

「俺?」なんで、と聞き返す。

「ああ。今日は飲んだだろう?二日酔い程ではないかもしれないが、まぁ、持って来いだろう?休日は。」

「まあ、そうか。」

確かに、飲んだ後が休日だと助かる気持ちは良く分かる。

「今回はまあまあ楽しかった。だがね、」

直人君、とグッと顔を近付けそのまま話す。

サラサラの髪が、少し開けた窓から入る風に揺れる。

「…今度は二人で飲もう。もう少し、独り占めしたいからね。」

フッと不適に笑うと顔を離した。

「……ッ。」

なんで彼氏側の俺がドキドキさせられてるんだ、と思いながら、跳び跳ねる心臓を抑える。

頬が火照る。折角引いたと思った熱が、別の形で再度、熱くなる。

(ああ、今酔いたい。酔ってしまいたい。)

ぐぁぁ~~!と一人心の中で格闘している俺を、ジッとなずなは見つめる。

「……惚れた?」

「…!もう惚れてる。」

「………そうか。」

自分で"惚れた"などと言ったが、俺の返答は想像してなかったのか、目を見開き少し赤くなっている。ーー照れている。

「……その回答はズルいね。普通に照れてしまった。…予想してなかったよ。」

完敗だ、とでも言うように笑う。

「…やったね。」

何時もはなずなが上手を行く。だからこそ、今回照れさせられて、嬉しかった。

「君も照れただろう?だからお相子だ。」

そして、俺と同じで負けず嫌い。

「そう言う事にしようか。」

「嫌な言い方だ。」

お互い笑いながら話した。

その時。フッと辺りが暗くなる。いや、ずっと暗闇だったのだが、街灯が消えたらしい。より一層暗くなってしまった。

車のライトと星の明るさで何とか運転出来る範囲は、明るさを保っている。

ここでトンネルに入る。

「しまったね。少し、暗くなった。…まぁ、注意を払って運転すれば、大丈夫だよ。」

心配になっていた俺を安心させる様に言葉を掛ける。

「…そうだね。」

この時、俺には途轍もなく嫌な予感がしていた。このまま何もかも、何かに飲み込まれそうで。何かを全て失ってしまう、様な…そんな気がしていた。

だが、俺の不確かな気持ちと予感でなずなを不安にさせる訳にもいかず、話はしなかった。

トンネルを抜ける。

暗い夜道が俺達を出迎えた。

そのまま細い少しくねくねとした一本道を進む。

今、ここに人がいなくて良かった。

今出会ったら、避ける自信がない。

だが、この言葉はすぐにどうにかしないといけなくなる。

右カーブに差し掛かる。

「…!!直人君、ブレーキ!!」

突如なずなが叫ぶ。急いで急ブレーキを踏む。

目の前に車が現れる。

死角が出来た所で見えなかった。

キキキーーー!!!

車のブレーキを踏む高音が響く。

向こうも気付いたらしく、慌ててブレーキを踏んでいる。

だが。間に合わなかった。お互いの悲鳴と音も空しく、車がぶつかる。

大きな衝撃が車を通して伝わる。

衝撃で車の前が潰れながら、俺達の車はガードレールを突っ切り、闇の中の崖に落ちていく。

相手の車は細い道でぐるぐると回転し、ぶつかりながら、でも落ちる事なく、ぶつかった少し先の道で止まった。

しかし、そんな事を俺達は知る由もなかった。

俺達は、深い闇夜に落ちていった。

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