第1話

第一章 君は桜のように舞って散る。


「…僕はあの桜が咲く頃に居なくなるよ。」


あの日、言われた言葉が未だに忘れられない。


***


カタカタ、とパソコンに文字を打つ。

文字を入れていく毎に文書が完成していく。

紙を文字で埋めながら、春瀬 桜はため息をついた。

桜は横隣の窓を眺める。

今はもう春だ。

どこから降ってきたのか、桜の花弁が風に運ばれて飛んでいる。

ヒラリ。

しばらく眺めていると、一枚、窓に花弁がくっついた。

桜はその花弁を見つめる。

そして、ふと昔の事を思い出した。

あの春の思い出と、一人の少年の事を。


***


「君もここに入院してるの?」

ある日、見知らぬ少年が話しかけてきた。

彼の名は、心木 晴人。

私と同じく、長期入院らしい。

彼は言った。

「僕はずっとここに居るんだ。」

と。

生まれてからほとんど病院生活で、医者とも看護師とも顔見知りらしい。

仲が良いそうだ。

まぁ、ずっと居たらそうなのかもしれない。

私は晴人の問いに答えた。

「うん。」

ずっと。と言いかけて、口を噤む。

ゴクン、と唾を飲み込む。

そうだ。

私は元々体が弱かった。

だから、ほとんど病院から出たことがない。

でも、彼の事は知らなかった。

ずっと部屋で引きこもっていたからかもしれない。

出る勇気も、元気もなかったから。

「…僕はね、隣の個室部屋に居るんだ。」

静かだからここが羨ましいよ、と柔和な笑みを浮かべる。

「そうなのかな…」

首を傾げる。

正直、個室の方が羨ましい。

ここは小児棟だから子供しかいないけど、夜中に泣きわめく子もいるし、叫ぶ子もいる。

暇で、ゲームの音を爆音にして遊んでいる子もいる。

毎日、では無いけど、日常茶飯事だ。

大抵これで寝れない事が多いのに。

これのどこが良いんだろう。

そんな感情を読み取ったのか、晴人は困ったように笑い、口を開いた。

「たまにそんな賑やかさが羨ましくなるんだよ。」

私にとっては普通すぎて分からなかったけど、何となく分かる気がした。

…時々、寂しくなるから。

私にとって、ここの生活は普通だけど、やっぱり"皆"とは違って。

"当たり前"がかけ離れている私は、時々その日常に寂しくなる。

そんな時、周りが明るかったら、その時は少しだけ嬉しい。

こういう事かな、と思いながら、晴人を見る。

晴人はニコッと笑い、

「…君の答えがでたら良いんじゃない?」

と言った。

それが、妙に心地よかった。

晴人は、片手を窓に置き、しばらく眺めると振り向き、こちらを見た。

「…そう言えばまだ君の名前を聞いていなかった。なんて言うの?」

「…桜。春瀬桜。理由は春に生まれたからだって。…あんまり好きじゃないけど。」

最後の言葉を言うと同時に目をそらす。

晴人の顔を見ていると、何だか見透かされそうだったから。

「…何で?」

「…何でって…。」

"羨ましくなるから"なんて、絶対に言えない。

同じ人間なら尚更。

また黙ってしまう。

そんな様子を見て、晴人は笑う。

「…桜は優しいね。」

「…なっ」

急に呼び捨てにされ、驚きと恥ずかしさで声が出る。

「…桜、良い名前じゃん。だってあんなに綺麗な花と同じ名前だよ。心地良い季節だしさ。」

…晴人には羞恥と言う言葉が無いのだろうか?

こんな事を平気で話せる人なんて、桜は見た事がない。

「…そうかもね。」

窓際に見える、大きな桜の木を見ながら、桜は呟いた。


***


それから晴人と仲良くなっていったんだっけ。

退屈だった病院で出会った思い出。

それが私の中で一番記憶に残っている。

晴人くん、良い子だったよなぁ。

ちょっと儚くて不思議な子だったけど。

今はもう、会えない。

連絡先を知らないとか、そんな次元の話じゃなくて。

彼は春にーー

「…皆!聞いてくれ。今日から入る新入りだ。」

突然、部長の声が響き、私は驚いた。

飛び出しそうな心臓を抑え、息を吐く。

皆も同じようだ。

ザワザワと辺りが五月蝿い。

声につられ、若い男が出てくる。

「…新社会人の心木晴人です。まだまだ未熟者ですが、精一杯頑張りますので、宜しくお願いします。」

丁寧な言葉で挨拶し、頭を下げる。

私は目を見開いていた。

信じられなかった。

だって…

「…さく、ら?」

「…え」

名前を呼ばれ、思わず声の主を見る。

彼もまた、同じように見ている。

なんだ、なんだ、と辺りがザワつく。

「…桜…やっと出会えた…でもこんなところで会えるなんて、運命だ…」

相手は感極まっている。

「…え、ちょっとまって桜。あのイケメンとどういう関係なの!?」

隣で友人の囁く声が聞こえるが、それどころでは無い。

「…なんで晴人くんが…だって晴人くんは、亡くなった筈じゃ…」

私は、遠い春の思い出を思い出した。


「…どう言うこと?晴人くん。」

桜は目を疑った。

それは信じられないことで、簡単に理解できる話ではなかった。

事の始まりは、私がまた来年ここで桜を見れるかな、と言った時だった。

晴人くんは一瞬驚き、悲しそうな顔をした後、何時もの柔和な笑みを浮かべ、口を開いた。

「…僕は桜が咲く頃に居なくなるよ。」

「…ッ!!」

腸が煮えくり返るような感情で一気に押し流されていく。

何故か、腹がたった。

「…晴人くんなんか知らない!」

気づけば病室から飛び出していた。

晴人くんの呼び止める声が聞こえた気がしたけど、一度も振り返らず、自分の病室まで走った。

ドアまで来て、持たれ、座り込む。

久しぶりに走って、息が上がる。

目がチカチカする。

胸が苦しい。

胸が苦しいのは、走ったからだけじゃない気がした。

届かないナースコールに手を伸ばしながら、ズルリと滑るように倒れた。


***


あれから、検診に来た看護師に助けられ、私は何とか命を繋いだ。

体が弱い人間にとって、過呼吸も命取りだ。

だからこそ、医者と看護師にこっぴどく怒られた。

「なんで急に走ったりなんてしたの。」

と言われたけど、黙ったまま話さなかった。

それから、晴人くんとは話していない。

喧嘩をしたまま。

まさか、本当に喧嘩別れするなんて、思いもせずに。


***


「…逝なくなったって…誰が?」

呆然気味に聞く。

「…晴人くんよ。晴人くん。三日前に。…そうね、丁度桜が咲く頃かしら。」

ほら、と窓を指さす。

そこには、二人で呆れるほど眺めた桜が満開に咲いていた。

「…そう、ですか。…ありがとうございます。」

震える手を抑えながら、同じく震える声を何とか出す。

「…そうよね。寂しいわよね。…ずっと一緒に居たもの。」

看護師が同情する声を上げる。

慰めるような口調だった。

頭がグルグルして、これ以上何も考えられない。

痛い。痛い。痛い。

心が、痛い。

「……う、……あ、」

看護師は気付かぬうちに部屋を出ていた。

自然と涙が零れた。

毛布をジワジワと濡らしていく。

口を両手で抑える。

自分の荒い呼吸が、伝わる。

部屋は暗い。

誰かが照明を付けたのだろう、カーテンがボンヤリと淡く光っている。

風が吹いている。

カーテンが波打つように揺れる。

月だけが桜を淡く慰めるように輝いていた。


それをきっかけに、私は生きる気力を失ったけれど、体はそれを反するように元気になっていった。

今更、元気になったって、一番喜んで欲しい相手はもう逝ないのに。

…一緒に喜んで欲しかったのに。

「…退院おめでとうございます。」

小さな花束と共に渡された言葉は、皮肉にしか聞こえなかった。

両親は、「本当にありがとうございます。」と目に涙を浮かべ、もう何度かも分からないくらい頭を下げている。

私はその横で、花を抱えながら、ただ黙って見ていた。

花束を握る手の力が強くなるのを感じながら、この時間が早く過ぎないか祈っていた。


***


「…な、んで。逝なくなった…筈じゃ…」

声が震えている。

あの時と同じように。

彼は私の言葉が分かったように、柔和な笑みを浮かべた。

変わらないあの笑み。

「…僕を勝手に殺さないでよ。…あの日の言い方が悪かったって、思うけど。」

そう言いながら、私に近づいてくる。

目の前に立ち、再び口を開く。

「…あの日、その四日前、僕は大手術を受けたんだよ。…かなり命懸けのね。」

「…手、術?」

「うん。そこから、次の日目覚めて…三日後に退院する事になったんだ。…桜にも看護師を通して伝えた筈だったんだけど。…悪い方に勘違いしちゃったかな?」

僕は体調が安定しなくて直接伝えられなかったんだ、ごめん。と、彼は謝った。


『晴人くん、もう居ないのよ。』


看護師の言葉を思い出す。

看護師は"居ない"と言ったが、"逝ない"なんて一言も言っていない。

私が、勝手に勘違いしただけだ。

「…そ、そうだったの…?」

死んでいなかった安心感と、ずっと背負っていた喪失感が一気に解け、その場にへたり込む。

私は、どれだけの時間、彼との時間を無駄にしていたのだろう。

勝手に死んだと思って、でも、確認する事もしなくて。

勝手に、諦めて。

それで、ずっと喪失感に蝕まれていたなんて。

なんて、なんて卑怯者なんだろう。

「…ご、ごめんなさい…ごめんなさい…」

気づけば、言葉は漏れていた。

不意に、温かみを感じる。

彼が、被さるように私を優しく抱きしめる。

「…もう終わった事だから。大丈夫だから。…大丈夫。」

ポンポン、と優しく頭を撫でる。

それがあの日の彼と変わらなくて、重なって。

頭はあの日の記憶で染まっていた。

涙が止まらなかった。

人前で泣くなんて、何時ぶりだろう。

彼が抱きしめる温かみを、ギュッと抱きしめながら、しばらくそうしていた。


***


「…落ち着いた?」

彼…晴人くんが水を差し出す。

「…うん。ありがとう。…ごめんね、取り乱したりして。」

「…いいや。あれで取り乱さない方が凄いよ。」

優しい。

あれから、泣き止んだ私に、部長はもう今日は帰っていいと言ってくれた。

同僚からも、何があったかは知らないが今日はゆっくり休め、と気にかけてくれた。

その言葉に甘え、会社近くのベンチに座っている。

「…でも、奇跡だね。こんな形でも、また会えるなんて。」

顔を綻ばせている。

そうね。

そう返答しようとした時、ビュオオッと強い風が吹いた。

髪を抑える。

が、髪の事なんて、すぐにどうでも良くなった。

「…桜…!」

満開の桜の花弁が、風に運ばれフワフワり、と飛んでいる。

幻想的な光景。

その花弁の一つを、晴人くんは取った。

五枚の花弁がきっちり付いた、綺麗な桜。

「…これ、あげるよ。取ったやつだけど。…二人がまた、会えた記念に。この春を、忘れないように。」

桜を、差し出す。

桜はそれをそっと受け取った。

「…うん。絶対に、忘れない。」

視界が少し、歪む。

また目に涙が零れそうになる。

受け取った時に触れた彼の指先は、少し冷たくて、でも誰よりも温かかった。

この桜舞う、春のように。

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君は桜の花弁のように舞って散る。 抹茶 餡子 @481762nomA

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