君は海の白波のように波打って弾ける。

抹茶 餡子

第1話

第二章 君は海の白波のように波打って弾ける。


「…君、そこで何してるの?」


それが、彼女との出会いだった。


***


死のうとしていた。

高校三年生、最後の夏に。

今、俺は、引いては押し寄せる波をただぼうっと眺めていた。

まだ昼で、太陽が燦々と輝いている。

それを鏡で反射させるように、海がキラキラ輝く。

そんなキラキラとは反対に、俺の心は暗さを増すばかりだった。

何故、自殺するのに海に来ているのかって?

そんなの簡単だ。

入水するからだよ。

自殺しようとか、考えたこともない陽キャどもには分からないと思うが、海は十分自殺スポットになる。

だって、ドンドン海に歩いて進んで行くだけで、死ねるのだ。

まぁ、その分少しは苦しまなくてはいけないけど。

そんなの、生きているうちにした苦しい思いと比べたら、なんて事ない。

何で海を選んだかは、特にない。

あるとすれば、夏だったのと、歩いてて丁度見掛けたから、くらいしか理由がない。

ちなみに、今日は平日。

何が言いたいのかと言うと、学校を無断欠席して自殺しようとしている、と言う事だ。

だから、制服を着ている。

普通の黒のズボンに、白のワイシャツだ。

ボタンは苦しいので胸元は開けている。

…と、制服はどうでも良くって…。

人が来て自殺を止められないように、早く海に歩かなくては。

俺は、この世界から消えるんだ。

決意し、グッと足に力を入れ、立ち上がる。


「…君、そこで何してるの?」


そこで、彼女に出会ってしまった。


***


最っ悪だ。

折角人が自殺しようとしている時に、こんな茶々があってたまるか、と思ってしまう。

今来るなよ!

と、心の中で叫びながら、声の主を見る。

普通の少女だった。

ただ、一つ、俺のクソのような学校にいる女子とは違い、彼女は美人の範疇に入る奴だった。

ロングの艶やかな黒髪に、黒曜石のような瞳。

それを引き立てるような白いワンピース。

サンダルに、つばの広い麦わら帽子を被っていた。

…まぁ、何と言うか、いかにも夏らしい印象の服装だった。

こんなに夏を代表するような服を着た奴は、後にも先にも見ないかもしれない。

彼女の服装をぼうっと眺めていると、

「何見てるのよ。…美少女に惚れちゃった?」

何たる自信。

後、そんな事一ミリも思ってない。

そんな俺の心をガン無視し、彼女は話し出す。

「綺麗よね。ここの海。」

帽子のつばを抑えながら、彼女は海に視線を向ける。

「………。」

俺も彼女と同じように海を見る。

自殺する者にとって、ある意味、違う意味で綺麗だと思った。

おかげで、ここで死ぬのも悪くなかったと改めて分かった。

「…ちょっと!何か答えなさいよ。折角人が話振ってあげてるのに。」

偉そうな口調で、不満げな声を上げる。

「……別に頼んでなんかない。それに、俺は君に早くここから居なくなって欲しいんだ。」

ぶっきらぼうにつぶやく。

イライラする。

早く、死にたいのに、彼女がいるからそれを阻止される。

別に人がいたって強引にいけば死ねるんだろうけど、自殺するのに人に見届けられるなんて、何だか気持ち悪い。

俺はそんなの絶対嫌だ。

気持ち悪すぎて、自殺する気も失せそうだ。

そんな事を考えながら、しかめっ面をしている俺に、ニンマリといたずらっ子が何か閃いたような笑みを浮かべる。

「あら?海は公共の場よ?貴方に指図されて出ていこうなんてそんな事、しないわよ。」

言い返された。

私、何かしたかしら?とでも言いたそうな顔だ。

勝手に表情を読み取り、言い返す。

「…君は俺の自殺を止めた。立派な理由だろ?」

話して、しまった。

早く出ていってほしくて、ポロッと自殺と言う言葉が漏れた。

彼女は一瞬こそ驚いたけど、そこまで驚いた反応をする訳でもなく、小さく笑った。

「…自殺、するんだ?」

顔があった。

いつの間にか近くに来ており、手を伸ばし後ろに組んで、俺の顔を下から覗くように見ていた。

「…そうだよ。何か悪いか。」

睨みつける。

どうだ。こんな変な奴とは居たくないと今すぐにでも出ていくだろう。

自殺だなんて言われたら、関わりたくなくて側を離れる筈だ。

「…うん。悪いよ。少なくとも私には。」

「…は?」

出ていかなかった驚きと、予想を斜め上に超えた答えに、思わず声を上げる。

「…私は"まだ"君には死んでほしくないわ。…そうね、私の目的が果たされるまで、君は、君を、死なせない。」

何かの宣言かのように、言った。

それは、俺にとって死刑宣告のようなものだった。

「…絶対やだ。俺だってお前に指図されて自殺を止めない。」

少し声が大きくなる。

今、自分が興奮していることに、自分は気づかない。

そんな俺を意味ありげに見つめると、彼女はサンダルを緩やかに、流れるように脱いだ。

そして、海に足を浸ける。

足首ほどしかなく、透明だ。

波が、押しては引く。

彼女は長いワンピースの裾を両手で持ち上げながら、足をクルクル動かした。

指をなぞるように、軽やかに。

それは一つの舞踏会のダンスのように見えた。

そのまま彼女は話す。

「…あら、君にとって良い話だと思うんだけど。…と言うか、好い加減に名前教えてくれない?ずっと君って言うの、何だか嫌なのよ。」

それとも君君マンになる?と、眉根を寄せて軽口を叩く。

唇を尖らせている。

…意外と子供らしいとこあるんだな。

「…ちょっと。別の事考えてたでしょ。」

「…考えてないよ。」

不満そうな声に今度は割と早く答える。

何でこう、女子はすぐ返答を欲しがるんだろう。

待てる余裕もないのか?

それなら質問をするなよ。

イラッとする気持ちを抑えるために近くにあった小石を投げる。

それはポーンッと遠くへ…割と浅瀬に、最悪な事に彼女の足元に着地した。

水が跳ねる。

「…何?何かの嫌がらせ?」

ムッとした顔をこちらに向ける。

「…他意はない。」

「…そ。なら良いけど。それより!名前を教えてよ。」

名前を聞く彼女に、半目の視線を向け、俺は話しかける。

「まず、名前を教えて欲しいなら、先に名乗るべきじゃないか?お前お前マンになりたいのか?」

そう言うと、彼女は一瞬黙り、それから微笑んだ。

「…そうね。確かに失礼だわ。…私の名前は白波 夏羽よ。白い波に、夏の羽。」

何処から拾ってきたのか、木の枝で砂浜に文字を描く。

少し丸っこい、女の子らしい字。

と言うか名前、夏に愛されたのかと言うくらい夏らしい名前だった。

「……俺は帆崎 湊。船の帆に長崎の崎。湊はさんずいに奏でるって書く。」

同じく文字を砂浜に描く。

尖っていて、少し歪な字。

「…ふーん。湊、湊かぁ。良い名前だね。私なんて……」

言葉を詰まらせる。

「…なんて?」

「…いや、やっぱり何でもないわ。…それより、ここって人いないの?こんなに素敵な海なのに。」

逸らした。

何処か意味ありげに、寂しそうな顔をしたかと思うと、今度は楽しそうな笑みを浮かべた。

「…田舎だし。それに平日の昼だからね。無断欠席か、不登校の奴しかいないんじゃないか?」

問いただす勇気も、権利もなくて、俺は何も聞かなかった。

それを解っているのか、彼女の方も何も聞かない。

それが良い。一番いい。

何事も、深く知り過ぎると面倒なんだ。

大体、初対面の奴の事情なんて知ったって、この場の空気が重くなるだけだ。

「…それ、湊のこと言ってる?それとも私?」

いきなりの呼び捨て。

…そう言うとこは強いんだな。

でも、他人に話しかける辺り、積極的でもおかしくないか。

「…どっちも、じゃないか?」

海を見る。

「…何で聞いたのにそっちが疑問形なのよ。」

彼女も海を見た。

俺らとは程遠い青春のように、キラキラと青く輝いていた。


***


「…風、強くなってきたわね。」

帽子を抑えつつ、サンダルを履こうとする。

だが、片手で抑えながらだとバランスが取れないのか、上手く履けていない。

(…そんな複雑なサンダル履くから…。)

男子が履くのをあんまり見た事ないような、お洒落なサンダルだった。

隙間にいちいち指が入り込んでいる。

「…ちょっと湊!履かせてくれない?風も強いし、上手く履けないの。」

「…何で俺が…」

(…女子の、しかも赤の他人の靴なんか。)

ダルそうに呟く。

「…ちょっとやってよ。お願い。移動できないから。」

その言葉に少し、目が見開く。

それは、ここから出て言ってくれるということか!?

「…分かった。」

そんな淡い期待を膨らませ、サンダルを履かせる。

彼女はいつの間にか近くにあった岩に座り、履かせるのを待っていた。

…座ったらもうできるんじゃないか?

しかし、自分がしないと出ていってくれそうにないので、仕方なく履かす。

ボタンをパチッと止め、立ち上がる。

自分で言うのも何だが、舞踏会で靴を落とした姫に履かせたような、そんなポーズだった。

全然ときめかなかったけど。

俺が立ち上がり、彼女も立ち上がる。

「ありがと。…さて、それじゃ、行きましょうか?」

"行きましょうか"

まるで誰かと行くようなニュアンス。

サーッと顔が青ざめる。

「…は、君一人で行くんじゃないの?それに、俺は今から自殺をーー」

海へ走ろうとする。

「待った。駄目よ、湊も行くの。それに言ったでしょ?私は貴方を死なせないって。」

ニヤッと悪戯っぽく微笑む。

俺の肩はガッシリと彼女に掴まれている。

嘘、だろ。

あれだけ居なくなるために付き添ったのに。

わがままに答えて、靴まで履かせたのに。

今日は彼女の願いで埋まってくのか!?

そんな青ざめる俺を、呆れたように彼女は見て笑った。

「…大丈夫よ。終わったら君は私が殺してあげるから。」

あまりに突拍子もない話に、脳が追いつかない。

「…それってどう言う…」

「…あ!」

彼女が声を上げる。

と同時に、強い風が吹き、彼女の帽子を吹き飛ばす。

帽子は風に連れ去られ、ブロック塀を超え、道路に落ちた。

「やだっ!すぐ取りに行かなくちゃ。」

彼女は走っていく。

その途中、振り向く。

「…湊も着いてきて!」

…俺はこの時、着いて行かなきゃ良かったんだ。

予定通り海に身を投げれば良かったんだ。

その時の俺はどうかしていた。

…死にたいと言う俺は、殺してあげると言う少女の後を追った。

自殺するはずだった海に背を向けて。


***


「…帽子っそれ私のでーす!」

車は通らず、引かれてペシャンコになる前に帽子は救出された。

そして、拾ってくれた人に向かって彼女は手を振っている。

その声に気づき、その人達はこちらを向く。

男女だ。

おそらくカップルなのだろう。

チッいるだけで目障りなリア充が。

ケッと悪態をつく。

「…あ、貴方のでしたか。…どうぞ。車通らなくて良かったですね。」

ニコニコと愛想良く微笑む女性。

髪を垂らしていたが微笑み、首を傾けた際、耳に付けているイヤリングが見えた。

反射してキラリと光る。

「…それ、素敵ですね。」

一応自分もここまで来たので、話しておく。

後、普通に気になった。

女性は少しキョトンとした後、照れたように髪を撫でる。

「…えへへ。そうかな?ありがとう。彼に貰ったんだ。…あ、本物の桜でね、ショップでイヤリングにして貰ったんだ。」

惚気話。

やっぱり聞かなきゃ良かった。

いつもなら絶対しない愛想を出すべきじゃなかった。

「そうなんですね!良いなぁ。」

彼女、白波は楽しそうだ。

今も、女性と話で盛り上がっている。

「…じゃ、良いデートを!」

少しばかり話した後、手を振って別れた。

後、女性の最後の言葉は余計だ。

何がデートだ。

こっちは自殺を保留にされた身なんだぞ。

「…湊、こーんなに良い女が近くにいるのに他の人は褒めるのね。…貴方、ああ言う清楚系が好み?」

クルッと振り向き、少しむくれたように頬を膨らます。

「…別に。イヤリングが少し気になっだけ。」

「…ふーん。ま、でも女の子が近くにいる時他の子を褒めちゃいけないわよ?…あーでも湊に近寄ってくる女の子はいないかぁ。」

少し間があって彼女は呟く。

何様なんだ、コイツ。

後、最後の一言は余計だ。

…事実だけど、事実だけども。

…ま、俺も女なんてこっちから願い下げだけどな。

「…さて、とそれじゃあ行きましょ。」

スルりと彼女が俺の手を握る。

あまりに自然すぎて、抵抗も何も出来なかった。

「…は、どこにーー」

「良いから着いてきなさい!後、逃げそうだから手は握らせて貰うわよ。」

俺の一つの疑問は解けて、もう一つの疑問は解けなかった。

「…分かったよ。」

「宜しい。」

ニッコリ笑った彼女は、小走りに走り出す。

俺は手を引かれるまま、彼女に着いて行った。


***


「…絶ッッ対嫌だ!!」

「何してるのよ!行くわよ!!」

…俺は今、彼女と引き合いっこをしている。

俺は来た道を、彼女は今から行く道を目当てに、ズリズリ足を向けていた。

しばらく睨み合い、引き合った結果、彼女が勝った。

普通に力が強い。

てか、女子に負けたのか。

何だか情けない。

まぁ、根っからのインドア派で体育系でもないし。

女子並か、女子以下だろうとは思ってたけど。

まさか、本当だとは。

「…よっわ。」

信じられない、と言う目を向ける彼女。

いちいち失礼な奴だ。

「…うるさいな。お前が強いんだよ。」

「失礼ね。」

言い返され、不機嫌な顔を浮かべた。

…自分から言ってきたくせに。

「…それより、ここに来る前に言ってた事ってどう言う事だよ。」

「…言ってた事って?」

首を傾げる。

「誤魔化すなよ。殺してあげる、そう言ったろ。」

俺にとっては聞き逃せない話だ。

このまま、シラを切らせられない。

「…あぁ。その事。」

「…その事って…」

まるで興味が無い、気にも止めていなかったような雰囲気だった。

彼女にとって、何気ない一言だったようだ。

おはよう、と身近に挨拶したような、そんな感じ。

そのニュアンスで彼女は、「殺してあげる」などと大口を叩いたのだ。

信じられない。

「…大丈夫よ。ちゃんとご褒美はあげるから。けど、それまでは私の犬としてちゃんと働いてよね。はいかYESか喜んで。これだけよ。」

ニッと笑い、再び歩き出した。

「…はいはい。」

面倒臭い。非常に面倒臭い。

「生意気ね。」

彼女の斜め後ろを歩く。

どうやら、しばらく彼女に付き合った方が良さそうだ。


「…で、ここは…学校だよな。………俺の。」

「…正解っ。湊の高校よ。」

「…知ってる。」

死ぬほど知っている。

昨日まで、通っていたのだから。

けれど、何で行き先が俺の学校なんだ?

と言うか、何で知ってる。

個人情報を漏らした覚えはないのだが。

「…何で知ってるのかって顔してるわね。簡単よ。貴方の学生証を見ただけ。」

ヒラヒラと学生証を揺らす。

「…はぁ!?」

今日一大きい声が出た。

彼女は学生証を俺に渡す。

バシッと勢いよく受け取った。

ポケットにつっこむ。

「返すのが遅くなったのは謝るわ。…でも、貴方最初から死のうとしてたでしょ?だから死人に証明は要らないかなって。」

小さく舌を出し、ごめんねと呟く。

これがあざといってやつか。

俺はあまり好きじゃない。

「…いや、それでも俺のだろ。上手く誤魔化すなよ。」

「…バレたか。」

ニヤッと悪戯っぽく笑う。

「…と、言うか、ここは高校一つ二つしかないでしょ。学生証なんか見なくたって分かるわよ。」

片目をつぶり、こちらを向いている。

人差し指は空中をクルクルと回っていた。

「確かに。」

思えば制服とかで分かるかもしれない。

彼女はどこの高校なのだろう。

知ったところでどうする事もないが。

俺はもう一度学生証を取りだし、見る。

そう言えば、名前を聞かずとも話しかける前から持っていたんなら名前を知っていたのではないか?

名前を知っているのに聞く利点が分からず、首を捻る。

まぁ、そんな事どうでもいいか。

彼女を知ったところで、何になる。

「…何してるのよ!早く行くわよー。」

彼女が急かす。

「…はいはい…て、えぇ!?」

「…は?何よ。そんな大声上げないでよ。聞こえるでしょ。」

彼女の眉根が寄る。

「…ごめん…と言うか、入るの、学校に。」

俺が驚いたのはそこだ。

学校に来た辺りから、何か嫌な予感はしていたのだが…

まさか、これとは。

「…当たり前でしょ。何言ってるの。ほら、バレないうちに行くわよ。」

彼女は物怖じせず、ズカズカと校門に足を踏み入れていく。

窓からバレるとか考えないのだろうか。

今はちょうど、午後の授業が始まった頃だろう。

それならば、寝ている人の確率が多いか…?

うーん、と悩んでいる間にも、彼女との差は広がっていく。

もう、彼女は真ん中辺りまで歩いていた。

かと思えば立ち止まり、「早く来い」と言わんばかりにこちらを睨んでいる。

どうやら、行く以外に選択肢はないらしい。

気の強い女だ。

「今行く」と、心の中で返事をしながら、彼女の後を追った。


「…うーん。ここからなら入れるかしら?」

僕と彼女は今、旧校舎の裏側の壁に反って中の様子を伺っている。

窓からは、古びた廊下と誰もいない教室、それから蜘蛛の巣ーー

「…うわっ」

「…え、何よ。」

突然驚いた僕に、彼女は少し驚きつつも、冷静な口調で質問する。

目が心底呆れたように見ている。

「…いや、蜘蛛がいきなり出てきて驚いただけだ。」

「…ふーん。虫、苦手なのね。」

弱みを握った、と言う顔。

「いきなり出てきて驚いただけで、虫は平気。」

強がりではなく、本当の事だ。

「そんな事はどうでも良いからさっさと行きましょ。…ここには人来ないわよね?」

「あぁ。多分。」

蜘蛛の巣を木の枝で払いながら答える。

蜘蛛の糸って強いな。

ベトベト張り付いて気持ち悪い。

「…はっきりしてよ。見つかったら私大変なのよ?貴方は制服来てるから良いけど。」

良くはないんじゃないか?多分。

だって授業中だし。

ズル休みしてるのだから。

犯人は犯行現場に戻る、と言うけど、正にそんな状況で笑ってしまう。

まさか、ズルして休んだところにわざわざ戻ってくるなんて、海では考えもしなかった。

「…よっと…あ、開いたわ。少し狭いけど…入れるわよね。」

そうこうしているうちに、彼女は窓を開け、中へ入ることを試みていた。

両手で力を入れ、その力で軽くジャンプし、入り込む。

体が滑るように入る。

入った反動でワンピースがめくれ、太ももが…

「…見ないでよね。」

「…誰が。」

ギッと彼女は睨むと、窓の向こうに綺麗に着地した。

俺も彼女が入ったのを確認すると、入った。

中は少しカビ臭く、埃で鼻がムズムズした。

彼女はまっすぐ歩いていく。

「…どこ行くの。」

「…屋上はどこ?行きたいわ。」

振り向いて尋ねる。

「階段登ったらある。」

「そう。」

一言呟き、歩き出した。


「…閉まってるわね。」

「だろうね。」

予想通りの事になった。

鍵が掛かっていた。

まぁ、当たり前だろう。どこでも閉まっている。

ガチャガチャとドアノブを回したりしていたが、諦めたように手を離した。

諦めよう!

そのまま帰ろう。

俺が心の中で呟いていると、

「…しょうがないわね。」

彼女は、帽子を取ると、帽子に刺していた花の髪飾りを取り外した。

安全ピンで取り付けるタイプの物だ。

…まさか。

「…ふふっスパイみたいね。」

「…笑ってる場合じゃないだろ!」

思わず叫ぶ。

いくら学校、旧校舎だからって勝手に入っていいわけはない。

それを、なんの躊躇いもなく開けるなんて。

彼女はそのまま開けると、スタスタ歩き出した。

花の髪飾りは、もう帽子に戻り、彼女は帽子を被った。

日差しが暑い。

「…いい景色ねー!」

彼女は、眩しそうに目を細める。

「…おい、ここで何をしようとしてるんだ?」

「…え?それはね。」

クルクルと宙を舞うように、器用に回る。

そして手を伸ばし、錆びた鉄の柵に触れる。

くるり、とこちらに向き、言葉を続けた。

「…私の事について話そうと思って。」

ドクンッ

心臓が跳ねる音が強く、大きく響いた。

鼓動が早くなる。

彼女の、事だって?

「…私はね、もうすぐ死ぬの!」

にこやかな、今日一番の笑みに、戸惑う。

あっけらかんとしている俺に、彼女は話し続ける。

「…生まれた時から心臓の病気でね、お医者さんに長くは生きられないって言われてたの。それであーあ、死ぬんだって思ったら、無性に海に行きたくなって。」

海、心臓、病気

頭にグルグルと単語が回る。

ドクンッドクンッ

話が、言葉が、聞こえる度に自分の心臓が波打つのが分かる。

…まさか。

「…もう大体予想着いたかしら?私はね、今日がその日なの。」

なんの日、と聞かずとも分かる。

彼女の命日だ。

「…予定だけどね。今日なの。…病院抜け出して…スパイみたいだった。」

「…でも、親はーー…ッ!」

"親"

そう言いかけて、言い淀む。

彼女が、今にも泣き出しそうな顔をしたからだ。

「…あはははははははっ…あはは、あは…あ、あぁ…」

狂ったように笑いだしたと思うと、それはいつしか、泣き声に変わっていた。

涙が留めなく溢れている。

「…親、入院してから一度も来てないの。私の事なんて、どうでもいいみたい。…役目を果たせなかった私なんて。」

「…役目?」

日常ではあまり使わない単語に、耳を疑う。

「…私には、姉がいたらしいの。けど、赤ちゃんの頃に亡くなって…その時付けようと思ってた名前が夏羽なんだって。…変わりなの、私は。姉として…元気に過ごすのが、私の使命だったの。」

『…私なんてーー』

あの時の、彼女の妙に寂しそうな顔を思い出す。

あの時の表情は、そう言う意味だったのだと理解する。

姉がいないからと、代わりのために名前を付けられたのだ。

自分はいらない、と言われているようなものだろう。

「…だから、一緒に死んでくれる人が欲しかったの。…1人は、寂しいから。」

「……。」

今までの彼女の明るさが嘘のように、今の彼女は弱々しい姿だった。

「…私、冬生まれなのになぁ…」

クシャッと泣きそうな、作り笑いを浮かべる。

ガキンッ

その時、同時に鈍い音が鳴った。

理解するより前に、彼女の体が後ろへ傾く。

彼女も目を見開いている。

必然ではなかったらしい。

「…クソっ!」

助けに行く、と言うよりは体が勝手に動いていた。

走り、彼女の元へ手を伸ばす。

彼女も手を伸ばした。

が、それでも届かず、俺の体も宙を舞う。

俺は、彼女を抱きしめるような形で、一緒に落ちていった。


***


「…白波…?…ごめんなさい。ここにはいないわ。」

俺は今、市内の病院にいる。

ありがとうございます、とお礼を言い、枕に頭を置く。

あの後、俺は彼女と屋上から落っこち、死んだーーかと思ったが、俺は助かった。

ちょうど、落ちたところが植え込みで、クッション代わりになったようだ。

腕や足、その他諸々を骨折するだけで済んだ。

もちろん、見つけた先生や警察からたっぷり怒られた。

立ち入り禁止と書かれているのに、入ったのだから当たり前だった。

しかも、欠席して。


白波 夏羽。

あれから彼女を見かけていない。

と言うより、いなくなっていた。

先生が来る頃には、もう彼女は居なくなっており、俺一人と言う事になっていた。

どうやって入ったのかなど色々聞かれたけど、彼女の帽子のピンで開けたんです、と言い張るしか出来なかった。

信じてもらえなかったけど。

早く会いたい。

二人分怒られたのを、二分の一にして欲しいし、願いも叶えて欲しい。

彼女との約束はまだ果たせていない。

『何してるの?』

不意に、彼女の声が聞こえ、顔を上げる。

だがそれは、気の所為で、彼女の姿も見当たらない。

俺にはまだ、自殺願望はある。

未だ、死ぬことしか考えていない。

けど、彼女が生きていると思えるうちは、死なないでおく。

それは、きっとずっと忘れないだろう。

白波のように消えた彼女の事を。

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