花咲か鬼と灰被りの夜叉

根占 桐守(鹿山)

プロローグ

葉桜の樹の下で、魔の君と出逢う

 桜は苦手だ。


 か細い枝のあちこちに、ふわりと咲き誇る薄紅が淡く滲んだ白い花々は、確かに美しい。恋する誰かのように可憐で、素敵だ。

 しかし、あの淡く色づいた花々は、すぐに散ってしまう。

 ひらひらと降り注ぐ、花弁の雨を見ていると。大切な誰かを、散りゆく徒花に攫われてしまうのではないかと。そう、錯覚してしまう。


 桜には、恐ろしいほどの儚い美しさと共に、魔を秘めているのではないかと思う。

 だから、桜が苦手だ。

 あの魔の花は、かけがえのない、大切な誰かを連れ去っていくのだろう。


 そんな、途方もない確信が。己には確かにあったのだった。






「僕」は今、そんな桜の大樹の洞の中で、仰向けに倒れていた。

 そして、僕に覆いかぶさるようにこちらをじっと見つめる者が、目の前にいる。

 右側の額から耳の辺りにかけて、大小三本の角が生えた、人ならざる者——鬼だ。

 鬼は地につくほど長く、絹のように滑らかな黒髪を垂らして、目を大きく見開いている。


 その瞳は、淡い青色にも、灰色にも見えた。

 春のそらのような瞳だと、何となく思った。鬼の背後に広がる、五月の空は鮮やかな青が澄み渡っている。

 もう、桜の花はとうに散っているはずだというのに。鬼の頭上から、薄紅を纏った桜の雨がひらひらと降り注ぐ様が見えた気がした。


 濡羽色の髪に、春の宙と同じ灰色の目。

 そんな色を湛えた鬼の姿と、桜の雨の幻覚に、僕は内心で「ああ」と思いがけず声を漏らした。


(桜が……よく似合うヒトだ)


 いつかこの鬼も、桜に攫われてしまうのだろうか。

 僕は鬼に首を絞められているというのに、そんなことばかりを考え込んでしまって、仕方がなかった。

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