第9話

「柴田先生にだから言うんですけど」


わたしがそう話を切り出すと、先生は不思議そうな表情をしながら顔を上げた。


「不良って、何もしなくても見た目だけで嫌われるじゃないですか」

「うん」

「うちの両親はそれで悔しい思いをしたことも少なくないみたいで。だからわたしを自分たちとは正反対な優等生に育て上げたかったみたいです」

「それって、とばっちりじゃね?」


先生は煙草を指の間に挟めたまま笑う。

わたしも、笑い捨てた。


「幼い頃から暇さえあれば本を読まされて、学校に上がったら勉強漬けで、テストで100点を取らないと怒られたんです。シャツのボタンは一番上まで閉めたり、スカートの丈は膝下だったり。今では流石にそこまでではないですけど」


乾いた笑いが出る。

あの頃は、少しも笑えなかった。

先生は眉をひそめている。


「放課後に友達と遊びに行ったり、誰かと恋愛をしたりなんて、わたしは許されませんでした。そんなことをしている暇があったら勉強をしなさい、って」

「俺は教師だけど、流石に同情する」

「わたしはこんな生き方が嫌です。だから大学は親元から離れたくて、少し離れた場所を選んだんです」


わたしは立ち上がると、持っていた本を元の場所に戻した。


「わたしは、架くんが羨ましい」


そう呟くと、その思いがじわじわと広がっていく。

口にしないでいたうちは、まだ心の片隅で思っていただけだった。


「喧嘩に明け暮れるのが良いことだとは決して思わないけど、彼は自由に生きてるじゃないですか」

「お前の目にはそう見える?」

「はい」


柴田先生は携帯用灰皿をポケットから取り出すと、煙草を押し付けて消した。


「それで?」

「だから、彼には勉強を押し付けたくないのが、わたしの本音です」

「あまり気が進まない、と?」

「そういうことです」


遠くで予鈴が聞こえた。

旧校舎まではチャイムは鳴らないようだ。

先生は立ち上がって窓を閉める。

わたしも近づいていって、それを手伝った。


「それを俺に言ってどうするんだよ。架の世話係はやっぱりやりたくない、って? この部屋の鍵を用意してやったんだから、条件が違うんじゃない?」

「そうじゃありません」


窓をすべて閉め終えて、わたしたちは第一図書室を出た。

誰もいない旧校舎の廊下を先生と並んで歩く。


「頼まれた世話係はやります」

「うん」

「だけど、わたしはそんなに優等生じゃないですよ」


渡り廊下の手前で、わたしは足を止めた。

先生がわたしのことを振り返る。


「わたしは好きで優等生をしているわけじゃないです。本当は勉強なんて好きじゃないし、真面目にやるのも疲れます。だから架くんの世話係が、本当にわたしに適任なのかは分かりません」


そう言うと、柴田先生はつまらなそうな顔をした。

予想外の反応だ。


「そんなの、どうでもいいよ。普段の俺が爽やかで人気者な教師であるように、普段のお前は真面目な優等生だ。俺にとってはそれで十分、架を任せる理由になる」


先生は再び歩き出す。

わたしもその後について行った。


「お前、息抜きできなくて疲れるだろ」

「はい」

「俺もそうだったよ、昔は」


今はこんなに裏側をわたしに見せている先生でも、わたしと同じような悩みがあったらしい。

そのことに驚きながら、先生の横顔を見上げた。


「俺とあいつを、逃げ場にして良いから」

「はい?」

「俺も本性見せてるんだから、お互い様だ。あいつも、そんなこと気にしない」

「はあ」


まさかとは思うが、先生は分かっていてわたしを選んだのではないだろうか。

架くんのためだけじゃなくて、わたしのためにも。

考えすぎだろうか。

これはちょっと自惚れすぎだろうか。


「柴田先生」


教室へ向かう前に、先生のことを呼び止めた。

先生は面倒臭そうにわたしを振り返る。


「煙草の匂い、残ってますよ」

「お前、それを早く言え」

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