第6話
柴田先生から再度呼び出されたのは次の日だった。
その日は午前中に数学の授業があって、先生は相変わらず面白く分かりやすい授業を進行する。
「じゃあキリが良いから今日はここまでにしよう。次の授業までに8ページの問題やって来いよ」
「はーい」
チャイムが鳴るまであと何秒かあった。
わたしは付箋に「課題」と書いて教科書に貼り付ける。
「あ、そうだ。吉岡は放課後、進路指導室な」
まるで当たり前かのようにさらりと言う。
わたしは返事をすることも出来ずに勢いよく顔を上げた。
その次の瞬間にチャイムが鳴って、日直が号令をかける。
先生はすぐに教室を出て行ってしまって、わたしが呼び止める間もない。
「美晴ちゃーん、抜け駆けはなしだよ?」
「そんなんじゃないって、本当に」
七瀬に絡まれながら教室を見回す。
今日も柴田架の姿は見当たらなかった。
放課後、進路指導室へ向かうとその前で柴田先生と出くわした。
文句でも言おうかと思ったが、その前に先生が口を開く。
「ちゃんと架と接触したみたいだな」
「結局どうなったんですか?」
「それを今から話し合うんじゃないか」
先生がドアを開けると、中には既に柴田架がいた。
目が合ってなんとなく会釈をする。
「屋上でサボってるのを見つけたから、放課後までここに突っ込んでおいたんだ」
「デコピンって体罰になる?」
「馬鹿、あれは教師としてじゃなくて兄としての躾だ」
本気で言っているのではなく、お互いに冗談を交わしているだけなのが分かる。
兄弟であることを隠してはいるけど、仲は悪くないらしい。
「今更、躾けられるような年齢じゃないんだけど」
「そんな年齢になっても、お行儀が悪いのは誰かな?」
「誰だろう? 分かんねぇ」
そんな中にわたしがいるのは、なんだかすごくアウェイだ。
「架、お前はずっと駄々こねてるけど、このままじゃ本当に卒業できないよ?」
「自分で何とかするって」
「それが無理だから俺が何とかするしかないんじゃん」
「先生が何とかするんじゃなくて、わたしが何とかするんですよね?」
「そうでした。ごめん」
膨れっ面の弟に、笑みを張り付けている兄。
そして部外者のわたし。
他の生徒が見たらさぞかし不思議な三人組だろう。
「つーか本当に俺のこと心配なら朋希がやれよ。吉岡は全然関係ないのに巻き込まれ事故だ」
「うーん、確かに吉岡には申し訳ないけど、俺は無理だよ。人気教師は多忙だから」
「女子高生と喋ってるだけだろうが」
「語弊があるな、教育指導と言え」
「ふざけんな性悪」
「言葉を慎めガキが」
「兄弟喧嘩はやめてもらえます?」
そのうち殴り合いになったら困る。
ほどほどのところで口を挟むと、二人は大人しく鎮火した。
「わたしはやっても構いません。自分の勉強と両立するくらいできます」
ようやく決めたことを口にした。
柴田架と話してみて、恐らくそこまで手を焼かないと思ったのだ。
その言葉を聞いて先生が誇らしげに弟を見る。
「ただし、本人の同意があったらの話ですけどね?」
柴田架は足を組むと先生のことを睨みつけた。
先生は肩をすくめる。
「別にお前が断りたいなら断ればいいよ。そしたらお前は卒業できず、俺は責任を取ってクビ。家庭崩壊だな」
「脚色すんな」
「確かにこれは脚色だけど、こうならないとは言い切れない。最悪の場合を想定するべきだ。お前はどうするんだよ。卒業できなかったらもう一年頑張るのか? 何年やったって一緒だ。だからお前は退学するつもりだろ? そしたらお前は中卒扱いになって就職も出来ず、ニートになって一生すねをかじって生きていくつもりか? 笑わせんな、俺は絶対に養ってやらないからな。野垂れ死ぬなら勝手に死ね」
「先生、それはさすがに……」
兄としての発言であって教育者としての発言ではない。
分かっていても、言い過ぎだと思った。
柴田架は余計に鋭い目つきで先生のことを睨みつける。
重い沈黙がしばらく続いた。
「俺だっててめぇみたいな奴にずっと養ってもらおうなんて思ってないし、自分のことは自分で何とかする。卒業すればそれで納得すんのか? じゃあ卒業すればいいんだろ」
「自分の力でできるとでも? とんだ過信だな」
わたしを柴田家の未来のキーにしないでほしい。
ここで柴田架がわたしの手伝いを断って卒業できず、それをわたしのせいにされても困る。
世話係をするのも面倒臭いけど、そっちの方がよっぽど面倒臭かった。
「分かったよ」
彼がぼそりと呟いた言葉で、わたしの高校生活最後の一年が決まった。
「吉岡に手伝ってもらえばいいんだろ? そうしないと、てめぇは満足しないんだもんな」
低い声で柴田架が先生に言う。
先生は右の口角を釣り上げた。
「言ったな?」
わたしの目にはもう柴田先生が憧れの先生には映っていない。
この人はただの意地悪なお兄ちゃんだ。
すごく大人げない。
「そういうことだ、吉岡。悪いけど明日から架のことを頼む」
「了解しました」
「第一図書室の鍵は用意でき次第渡す。過去問はテストが近くなったら言って。他にも必要なものがあったら言ってくれれば用意する」
「はい」
もう面倒臭くなって、わたしは返事だけした。
柴田架が立ち上がって部屋を出ていこうとする。
わたしが先生に確認すると、帰るように促された。
立ち上がって架の後に続いて部屋を出る。
「架、吉岡」
ドアを閉める直前に先生に呼び止められて、わたしは振り返った。
柴田架は足を止める。
「恨むなら、架の今までの生き方を恨めよ」
柴田架が踵を返して、勢いよく進路指導室のドアを閉めた。
もう兄の顔も見たくないし、声も聞きたくないということらしい。
その大きな音に、周りにいた人たちが反応する。
「ざけんな、あのクソ兄貴」
彼のその呟きは、きっとわたしにしか聞こえなかった。
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