第5話
次の日の昼休み、わたしは屋上へ続く階段の前にいた。
柴田架が屋上にいるのは分かっている。
でも話しかけるのが怖くて、ここから先に行けずにいるのだ。
「書庫の鍵と過去問、書庫の鍵と過去問……」
呪文のように唱えて勇気を出そうとしていると、突然屋上のドアが開く。
わたしは驚いて固まってしまった。
まだ心の準備ができていないのに、柴田架が出てきてしまう。
「あれ」
ドアを閉めて階段を下りて来た彼は私の前で立ち止まると、不思議そうにわたしのことをまじまじと見る。
わたしより数段上に立っているのも手伝って、見上げるほど背が高い。
真っ直ぐ目を見るのは怖くて、わたしは彼のネクタイの結び目辺りに視線を移動させた。
「吉岡、だっけ。同じクラスの」
「あ、はい……」
同い年なのに、つい敬語で答えてしまう。
柴田架がクラスメイトの名前を憶えているなんて意外だった。
その衝撃で思わず視線を上げてしまう。
正面から見た彼の顔は、案外怖くなかった。
柴田先生の顔に似ているから、意外とイケメンだ。
「え、俺に何か用?」
「あ、えっと……」
凄まれるとか殴られるとか絡まれるとか、色んなことを想像していたのに彼はただ不思議そうに質問してくるだけだった。
これならクラスの他の男子と変わらない。
先生の言っていたことは正しかったみたいだ。
「柴田先生に頼まれて」
「えっ」
「お兄さん、なんだよね……?」
「何で知ってんの?」
彼は相当驚いたのか、階段を駆け下りてわたしに近づいてくる。
わたしはその勢いに思わず後ずさった。
「あいつが、言ったの?」
「うん」
「何で? あいつ俺のことずっと隠してきたくせに」
苦々しく言うわけでもなく、ただ純粋な疑問のようだった。
弟は、兄が自分と血が繋がっているのを隠していることに、嫌悪感を抱いているわけではなさそうだ。
「実は、柴田くんの世話係と言うのを提案されまして……」
「世話係って、何それ?」
「詳しくは先生に聞いたらどうかな」
わたしは説明が面倒臭くなって、ここにいない柴田先生に説明を丸投げする。
このくらいは許されるはずだ。
彼は眉をひそめると、ポケットから携帯を取り出して何かを打つ。
柴田先生にメッセージでも送っているのだろうか。
「え、吉岡が俺の世話係になれってこと?」
「まあ、そういうことみたいだね」
「面倒臭いなら俺から断っておくけど」
「あー、それが……」
書庫の鍵とテストの過去問が餌なんです。
そのことを小声で言うと、柴田架は数回瞬きをした。
「必要なの?」
「まあ、それがあれば受験に有利かと」
「へえ」
彼は携帯を仕舞うと、わたしに向き直る。
「それで、受けたの? 断ったの?」
「まだ決めてない。柴田くんは? 嫌じゃないの?」
質問をし返すと、彼は押し黙る。
今まで好きに生きて来たのだから、突然お節介を焼かれることになったら、面倒臭いとわたしは思う。
「朋希に、話聞いてから決める」
朋希というのが柴田先生のことだと気付くのに数秒かかった。
ああ、うん、とわたしは中途半端な返事をする。
「関係ないのに迷惑かけて悪い」
「いや、大丈夫」
彼の方から謝られて驚いた。
思っていたよりもずっとまともな人だ。
もしかしたら柴田先生の方が、悪い奴かもしれない。
「あいつ、いつも突拍子もないんだよな」
「意外だったよ」
「本性隠してて、外面だけは良いから」
柴田架はそう言いながら、顔を歪める。
兄のその点は、あまり良く思っていないらしい。
「要領が良いから、今まで失敗してきたことなんてないんだよ。だから、何でも上手くいくと思ってるんだ。人望もあるし」
「自分でも、そんなこと言ってた」
「自意識過剰なんだよ。ムカつく。お前もあんな奴に騙されんなよ?」
じゃあな、と柴田架はどこかに行ってしまった。
その場に取り残されたわたしは、しばらくぼーっと立っていた。
自分がさっきまであの柴田架と話していたという実感が湧かない。
みんなから恐れられて嫌われているとは思えないような人だった。
何なんだ、柴田兄弟。
表裏ありすぎじゃないか?
腕時計で時間を確認すると次の授業まで五分しかない。
急いで教室に戻ろうと歩き出した瞬間、廊下に予鈴が響いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます