第4話

午後の授業は少しも集中できなくて、思い悩んだまま放課後になる。

考えると言っても、「断る」以外の選択肢が出てこないのだ。


帰る準備をしていると、七瀬が振り向いて申し訳なさそうな顔をしながら手を合わせた。


「美晴ごめん、わたし委員会あるから一緒に帰れない」

「分かった。頑張ってね」

「うん、ありがとう。そういえば昼休みの呼び出しって、結局何の用だったの?」


わたしは説明に困る。

他言無用。口外禁止。

あんなこと、釘をさされなくても言うわけがない。


「うーん……よく分かんない」

「えー、何それ?」


七瀬は急いでいたようで、詳しいことは聞かずに教室を出て行った。

わたしは一人で教室を出ると、ゆっくり廊下を歩いていく。

途中で現代文の先生に呼び止められて、作文をコンクールに出さないか誘われる。

少しだけ会話を交わしてから再び歩き出すと、図書室の開いた扉の隙間から柴田架が見えた。


彼はちょうど西日が当たる机で居眠りをしている。

昼休みが終わった時にすれ違ったけど、ずっとここにいたのだろうか。

せっかく学校に来たのだから、教室に来れば単位も取れるのに。


「気になる?」


突然後ろから声を掛けられて肩が跳ねた。

勢いよく振り返ればそこには柴田先生が立っている。


「ごめん、驚かすつもりじゃなかったんだけど」

「驚きました。友達にこんなところ見られたら、絶対に問い詰められます」

「俺で良かったじゃん」


図書室を離れて二人で歩き出した。

柴田先生といるとみんなが彼に声を掛けていって、最後に物珍しそうにわたしを見ていく。

柴田先生は人気者で、わたしは目立たない優等生だ。

一緒にいることは別におかしくないだろうけど、みんなが気になるのも仕方ない。

後で女子に呼び出されて関係を聞かれたらどうしよう、と心配になってきた。

近くに誰もいないことを確認してから、わたしは先生に小声で尋ねた。


「世話係って具体的にどんなことをするんですか?」

「そうだな。サボってる架を探して教室連れてきたり、課題を提出できるように一緒にやったり、テストで赤点取らないように勉強教えたり」

「かなりハードじゃないですか」

「そうだね。自分の勉強の他に不良の世話までするのは大変だよね」

「分かってるならどうしてわたしに任せようとするんですか」


質問して、昼休みに聞いた話を思い出す。

他の生徒に比べてわたしには余裕があるから、というのが答えだ。

わたしが溜息をつくと、先生は面白そうに微笑む。

まるで他人事だ。

血の繋がった兄弟のくせに。


「この話を受けてくれるなら、要望は出来る限り聞くつもりだけど」

「例えば?」

「第一図書室の鍵とか」


それを聞いて、わたしの足が止まった。


「それは本当ですか?」

「俺はこの学校の教師だよ?」


うちの高校の校舎は、何年か前に増築されたものだ。

旧校舎は古くなっているから、あまり使われていない。

折角新しい校舎を建てたのだから取り壊しても良いのだけど、そうするだけの予算がないらしい。


今わたしたちが使っている校舎には、新しくて綺麗な図書室がある。

さっき通り過ぎた場所だ。

だけど図書室は古い校舎にもあるわけで、そっちの方は「第一図書室」と呼ばれている。

新しい図書室が第二図書室と言うわけではないけれど、区別するための表現だ。


一般的に使われているのは新しい図書室で、第一図書室は閉架の書庫となっている。

文芸部に所属していて、大学も文学部を目指しているわたしにとっては、憧れの宝庫だ。

ただ、いつも鍵がかかっていて中に入ったことは一度もない。


「いいんですか?」

「勉強のためでしょ? いいんじゃない?」


第一図書室の鍵は、喉から手が出るほど欲しい。

だけど、それを手に入れるには柴田架の面倒を見なくてはならない。

わたしは葛藤する。


「もう一声、って感じ?」

「まだ何かあるんですか?」

「そうだな。じゃあ、テストの過去問は?」


魅力的なものを二つも目の前にぶら下げられて、わたしは頭を抱えた。

書庫の鍵と過去問、柴田架の世話係。

その間でわたしはぐらぐら揺れている。

真剣に悩むわたしを見て、柴田先生は楽しそうに言葉を紡ぐ。


「もし断ったら受験のためになる本やその他興味深い本が山のようにある第一図書室の鍵は職員室に厳重保管だし、テストの過去問も土下座されたって見せてあげないからね? まあ大変だから断っても全くかまわないんだけど。吉岡が断ったから架が卒業できず退学して、最終学歴が中卒だから生活に困ったって、全然吉岡は悪くないよ?」

「なんか今すごく先生のことが嫌いになりました」


そうだ、もう一つある。

書庫の鍵、テストの過去問、そして柴田先生。

弟の世話をすることで、この顔がよく見られるならラッキーだ。


「お、傾いた?」

「先生」


殆ど腹をくくりながら、わたしは先生に尋ねる。


「柴田くんって怖いですか?」


柴田架の見た目は知っている。

THE・不良、というようなビジュアルだ。

だけど、話したことは一度もない。

目を合わせたくないから、彼を観察したこともない。

それはつまり、わたしは彼のことをよく知らないということだった。


「兄としては怖くないけど、同世代の女の子としてはどうだろう?」

「見た目は厳ついです」

「そうそう、見た目はね。でも結構、可愛いところもあるんだよ。根は俺なんかよりずっと優しいし」

「成る程。先生は良い性格をしているみたいですもんね」

「あ、褒めてくれるの? ありがとう」


皮肉は笑顔で受け流される。

そして、このお兄ちゃんは案外ブラコンなのかもしれない、と思った。


「少なくとも、何もしてない人をいきなり殴ったりはしないよ」

「マイルドヤンキーなんですか?」

「そういう言葉もあるね。でもちょっと違うかな。あいつは普通に喧嘩して、血まみれで帰ってくることもあるし」

「聞きたくなかった」


わたしの気持ちは大きく傾きながらも、まだ少し迷っている。

この話を、受けるべきだろうか。


「軽率に頷く前に、一度あいつと話してみたら?」


軽率に頷かせようとしているのは誰だ。

それでもわたしはその助言を呑むことにして、返事を先延ばしにしてもらった。


まずは本人と接触する必要がある。

見た目と噂だけで人となりは判断できない。

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