第37話
「お邪魔します」
「どうぞ」
そう長くはない距離を歩いて、彼の住むアパートに着く。
部屋の中は想像よりはずっと片付いていた。
元々几帳面なのかもしれないし、今日わたしを招くために頑張って片付けたのかもしれない。
「今お茶淹れるね」
「何か手伝いましょうか?」
「いいよ、座ってて」
流れで好きでもない人と付き合って、また流されて家まで来てしまった。
自分でも最低だと思う。
彼の部屋で座りながら、自己嫌悪にさいなまれる。
「はい、どうぞ。紅茶で良かった?」
「ありがとうございます。いただきます」
隣り合って座りながら、他愛もない話をした。
話に中身が無さすぎて、タイミングを見計らっているのがよく分かる。
そのうちお互いに返事が減って、口を閉ざした。
海さんがわたしにキスをする。
少し長めのキスを終えてから、彼がわたしの表情を伺うように尋ねた。
「シャワー、浴びる?」
彼にそう勧められて、わたしはシャワールームを借りることにした。
シャワーを浴びながら、焦り始める。
わたしは今夜このまま、海さんに抱かれるのだろうか。
それで、いいのだろうか。
好きでもない人と、するのだろうか。
わたしがシャワールームから出ると、今度は海さんがシャワーを浴びる。
彼を待っている間、何度もここから逃げ出してしまおうかと思った。
海さんが戻ってきて、またキスをした。
唇と合わせるだけじゃない、深いキスだ。
そのまま二人でベッドに雪崩れ込む。
「いいよね?」
わたしは曖昧に頷いた。
まだ決心が固まってはいないが、今更後には引けない。
初めてではないんだし、減るもんじゃない。
「好きだよ」
服の中に彼の手が入ってきた。
あの日のことを思い出す。
空の手が這う感触、息遣い、首筋の痛み。
忘れたいのに、忘れられない。
消したいのに、決して消えない。
今は絶対にあの時のことを思い出しちゃいけない時なのに、頭から離れなくなってしまう。
わたしはぎゅっと目を閉じた。
今わたしに触れているのは海さんなのに、まぶたの裏には空の顔が映る。
「咲彩ちゃん?」
海さんの困惑した声が聞こえて、わたしは閉じていた目を開けた。
「あ……」
知らず知らずのうちに、わたしの手が、彼の腕を拒むように強く掴んでいる。
ただの恥じらいなんかじゃない。
嫌だった。
この人じゃ駄目だった。
「ごめんなさい」
「いや……」
一気に気まずい空気になる。
こんな雰囲気で続きをする気にもなれない。
わたしの気持ちとしても、彼とはそういう気が起きない。
暗い部屋の中に沈黙が訪れる。
「……わたし、帰ります」
いたたまれなくなって、わたしは乱れた服を整えて立ち上がった。
海さんが驚いたようにわたしを見上げる。
「本当にごめんなさい」
彼と目が合わせられなかった。
彼に引き留められる前に、飛び出すようにして部屋を後にした。
最悪だ。
本当に最低だ。
こんな反応をするなら、この部屋に来るのを断っていた方が、彼にとってもわたしにとっても良かったはずなのに。
好きでもないのにただ流されていた自分が、本当に大嫌いだ。
わたしは暗い路地に逃げ込むと、そこにしゃがみこんだ。
涙が出てきてしまって、声を殺して泣く。
遠くからクリスマスソングが聞こえてきた。
その陽気なメロディーに苛立ってしまう。
罪のない聖なる夜を恨んだ。
今はただ、泣きたい気分だった。
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