第34話

水族館からの帰り道、家まで送ってくれると言う海さんと並んで道を歩く。

空と一緒に何度も歩いた道だ。

いつもあいつは黙ることを知らないようにペラペラと何かを喋っていた。

下らない事ばかりだったけれど、今思うと懐かしい。


「今日、楽しかったね」

「はい。すごく楽しかったです」


帰ったら疲れた足を投げ出してソファにダイブしよう、と心に決めながら、海さんとの会話を続ける。

彼が本当に楽しんでいたのかは分からなかったが、表情は嬉しそうだ。


「何が一番良かった?」


その質問をされるだろうと思ってはいたが、すぐには答えが出てこなかった。

わたしは海さんが楽しそうにして見ていたものを思い出す。


「ペンギンですかね」

「俺も。可愛かったよね」


チンアナゴと答えても、彼が覚えているかは定かじゃない。

ペンギンが可愛かったのも事実だし、罪はないはずだ、と自分に言い聞かせた。


「今度はどこ行きたい?」


何と言えば喜んでもらえるんだろう。

どんな回答が、彼女としては正解何だろう。

必死に脳を回転させて、わたしは笑顔を浮かべながら答えた。


「海さんと一緒なら、どこでも」

「嬉しいこと言ってくれるね」


海さんが顔を綻ばせた。

彼女として正解の回答だったようだ。


安堵していると、そっと肩を掴まれて、彼の顔が近づいてくる。

ああ、キスをされるのだな、と察したわたしは目を瞑った。

唇が重なる。


その瞬間に、また空のことを思い出した。

あの時、泣きそうな顔をしていたけれど、今は元気だろうか。

受験勉強は、捗っているだろうか。

わたしのことは、忘れてしまっただろうか。

他の誰かのことを、好きになっているだろうか。


唇が離れる。

海さんは、照れたように俯いた。


「突然ごめん」

「ううん」


これがわたしたちが付き合い始めてからのファーストキスだった。

海さんはわたしのことを考えて、ちゃんとわたしが心の準備が出来てから、と考えていてくれたのだろう。

さっきのわたしの言葉を聞いて「もう良いだろう」と思ったのだろうか。


それなのにわたしは、何を考えていた?



家まではまだもう少し距離があった。

だけどわたしは足を止める。


「ここでいいです」


海さんは驚いたような、困ったような表情をする。


「家の前まで送るよ?」

「大丈夫です」


自分の気持ちを、上手く消化できなかった。

頭の中がぐちゃぐちゃしていて、今はこの人から離れて、考えたい。

一緒にいるだけで、胸の奥が苦しくなる。

罪悪感でいっぱいになる。


「そっか、分かった」


海さんは、足を止めた。

こうやって、何も聞かないでくれるところが本当に助かる。

大人だな、と思う。

だけど助かる反面、また罪悪感が募る。


「今日はありがとう。また連絡するね」

「こちらこそありがとうございました」

「おやすみ」

「海さんも、おやすみなさい」


手を振って別れて、反対側に歩き出した。



家についたらパンプスを脱ぎ捨ててソファにダイブした。

妹に文句を言われるけど気にしない。


「あ、お姉ちゃん。靴擦れになってるよ」

「どうりで痛いわけだ」

「慣れない靴を履くからだよ。そんなにお洒落しちゃってさ。デートだったんでしょ」

「うるさい」


妹の追求から逃れるために、自分の部屋へ行った。

ベッドに寝転がって横を向くと、部屋の隅に置いてある紙袋が目に入る。

まだ返していない、空の服だ。

あの日からずっと、ここにある。



わたしは海さんといても、ずっと空のことを考えている。

デート中だというのに、彼の影を追ってしまう。

空がいなくなってから、わたしの日常に大きな穴が開いてしまった。


どうしてなのだろう。

キスをされても空のことを考えているなんて、本当に嫌になる。

空と過ごした時間は、わたしにとってあまりにも楽しすぎた。

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