第30話

もう見えなくなっていた彼の姿は、すぐに見つかった。

周りより頭一つ分、背が高い。


「空!」


追いついて彼の腕を掴むと、空はわたしを振り返った。

顔に表情はなくて、どんなことを考えているかは分からない。

だけどいつも笑顔を絶やさない彼がこんな顔をすると言うことは、酷く傷付いているのだと思う。


「なんで、追いかけて来たんですか。あの人と、デート中なんでしょ」

「ねえ、お願い。話をさせて」


そう訴えると、空はわたしの手を掴んで歩き出した。

一本路地裏に入ると、一気に人がいなくなる。

わたしたちのことを気にしている人なんて、誰もいなかった。


空が足を止めて、わたしの腕を離す。

視線がこちらへ向くことはなかった。


「初めて一緒に出掛けたのを、知り合いに見られたって言ったでしょう」


空は小さく頷く。


「あれって、さっきの人のことなの」

「あの人、誰ですか」

「同じ学部の先輩」


彼が唇を噛むのが見えた。

悔しそうに顔を歪めて、血が出るのではないかと心配になるほど強く噛む。


「あの人の存在を、ずっと僕には隠してましたよね」

「ごめん」

「先輩が、あの人のことを好きだったからですか」


そうじゃない。

海さんのことを空に言ったら、空が悲しむと思った。

わたしが、海さんのことを好きだったからではない。

だけど、わたしはその質問には答えなかった。


「この間、あの人に告白された」


空が顔を上げて、わたしのことを見た。

今にも泣き出しそうな表情だった。


「それで、付き合うことにした」


彼は何も言わずにわたしのことをじっと見る。

耐えきれずに目を逸らした。

空は悔しそうにぽつりと呟いた。


「あの人の気持ちは最初から信用できるんですか」


空の気持ちは何度も聞かされて、毎回あしらってきた。

それなのに、海さんの告白は一度で受け入れた。


何が違うんだろう。

空に尋ねられて、自分でも分からなくなる。

だけどわたしは、迷いのない振りをして答えた。


「うん」


だから、わたしのことは忘れて。

わたしのことなんか嫌いになって。

わたしに縛られないで、もっと自由に恋をしなよ。


空は悔しそうに俯いている。

わたしは深呼吸をしてから、口を開いた。


「空の嫌いなところを一分以内に10個言ったら、わたしのことは忘れてくれる約束だったよね」


彼はゆっくりと顔を上げる。

そして、諦めたように微笑んだ。


「はい」


今まで、嫌いなところを10個言うタイミングはいくらでもあった。

それなのに、わたしがそれを言わなかったのは、空と一緒にいるのが楽しかったからだ。


「一分数えて」


だけど、もう空とは一緒にいられない。

わたしは、彼のことを突き放す。

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