第29話

小鳥遊先輩から映画を見に行かないかと誘われたのは、告白を受けて最初の週末のことだった。

特に用もなかったから「楽しみにしています」とだけ返信しておく。

やっぱりデートの定番は映画なのか、とベッドに寝転がりながら思った。

空と初めて出掛けた時も、映画を見に行ったから。



待ち合わせていた駅に向かうと、既に先輩が来ていた。

学校でも私服だから、あまり変わり映えしない。

大学生の恋愛はこんなものだよな、と思いながら声を掛けた。


「先輩、お待たせしました」

「あ、来たか」


先輩はわたしの服装を見て微笑む。


「可愛いね」

「ありがとうございます」


一応、ちゃんとお洒落してきたつもりだ。

普段は滅多に着ないワンピースを、クローゼットの奥から引っ張り出してきた。

出掛ける時に玄関でハイヒールを履いた。

だけど考え直して、ヒールのあまりないバレエシューズに履き替えた。


その選択は間違っていなかったようだ。

小鳥遊先輩だって背が低いわけではないけれど、わたしがあのハイヒールを履いていたら、視線が同じになっていたかもしれない。

出掛け際にちゃんと気付いて良かった、と胸をなでおろす。


「何観ようか? 咲彩ちゃんはどういう映画をよく観るの?」

「その時の気分によって、色々ですね」


この間観たアクション映画の名前を挙げると、先輩は驚いたようだった。

わたしのイメージではなかったらしい。

空に勧められて観たものだから、イメージじゃなくても仕方ないとは思う。


「小鳥遊先輩は——」

「あ、そうだ。その呼び方、変えない? 付き合ってるんだし、海でいいよ」

「……海、さん」

「うん、まあ、それでいいや」


慣れない呼び方に、なんだか恥ずかしくなる。

人混みの中を歩いているせいで、先輩が――海さんが、わたしの手を握った。

恋人なのだから、何もおかしくない。


「混んでるね」

「休日ですからね」


照れ隠しのように、海さんが目を逸らした。

この人もこういう顔をするのか、と不思議に思う。

先輩の横顔をまじまじと見ていたら、前を見ていなかったせいで、誰かと派手にぶつかってしまった。


「あ、すみません」


謝りながら急いで前を向いて、わたしは驚きで目を見開いた。



「……空」


ぶつかった相手も、わたしを見て固まっている。


「咲彩ちゃんどうした?」


わたしが立ち止まったことに気づいた海さんが、わたしのことを振り返る。

その声に気づいた空が、わたしの手を見た。

海さんと、手を繋いでいる。

そして彼の視線が海さんのことを捉えて、悲しそうな表情をした。


「あれ、君は……」


海さんが空に気づいて、驚いたような顔をする。

空はわたしのことを一瞥してから、踵を返して早歩きで去って行ってしまった。


「空、待って!」


海さんと繋いでいた手を振り払って、空のことを追いかけようとすると、海さんに手首を掴まれた。


「咲彩ちゃん!」


振り返って訴えるように彼のことを見ると、怒ったような顔をしていた。

そこで、わたしは海さんと付き合っていることを思い出す。


「今は、俺とデート中でしょ」

「お願いします。今だけ! 空と話をさせてください」

「俺との関係を言い訳してくるの?」

「説明してくるんです」


言い訳と説明の何が違うのだ、という目で海さんはわたしのこと見ていた。

だけど、わたしはどうしても今、彼と話さなければいけないと思った。


「ねえ、咲彩ちゃん。俺が、君の彼氏だよ?」

「その通りです」

「じゃあ——」

「だから、諦めてって、伝えないと」


その声は、自分でも驚くほど震えていた。

何で、わたしは泣きそうになっているのだろうか。


海さんの手が離れる。

勢いよく顔を見上げると、溜息をついて言われた。


「すぐ、戻って来てね」

「ありがとうございます」


わたしは空の背中を追いかけて走り出す。

心の中で、何度も海さんにお礼を言いながら、人混みを掻き分けて空を探した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る