第18話
遊園地に行く約束をしていた日、時間通りに家を出ると、既にそこに空がいた。
「こんにちは」
「早いね」
「楽しみだったので、少し早く来ちゃいました」
彼は照れたように笑う。
わたしも微笑み返しながら、心の中では別のことを考えていた。
いつ、話を切り出そうか。
もうこんなことはやめよう、と。
「じゃあ、行こうか」
別れ際に言おう、と思った。
何も、今言う必要はない。
そう思いながら歩き出す。
だけど、いつも隣を歩く空が、ついてこなかった。
不思議に思って、わたしは振り返る。
彼は立ち止まったまま俯いていた。
「どうしたの?」
「咲彩先輩に、お願いがあります」
「何よ、そんなに改まって」
何を言われるのだろうか、と不安になる。
文句を言われることに、心当たりがありすぎた。
「今日は僕が全部奢ります」
「え?」
「だから一日だけ、手を繋ぐのを許してくれませんか」
思いがけないお願いに、反応が遅れた。
一日、手を繋ぐ。
それって本当にデートみたい。
まるで恋人同士のようだ。
「お願いします」
断ろうと口を開いた瞬間、彼が深く頭を下げた。
表情も、真剣だった。
いつものようにヘラヘラ笑いながらお願いされたら簡単に断れるのに、今日はそういう雰囲気じゃない。
どうしたのだろう。
「ここで断ったら、わたしは今日一日罪悪感に見舞われるんだけど」
「僕もテンション下がります」
今までのわたしだったら、こんな雰囲気でも容赦なく断っていただろう。
だけど今のわたしは、こいつに流されやすくなっている。
これで最後かもしれない、とも思う。
だから今日くらいは、こいつの言うことを聞いてあげよう、と思った。
「いいよ、分かった。本当に奢ってくれるんでしょうね」
「え、良いんですか?」
「何、嫌ならやらないけど」
「嬉しいです! 繋ぎましょう! ありがとうございます!」
いつものような明るい表情に戻った空は、笑顔でわたしに手を差し出してくる。
わたしは仕方なく右手を彼に預けた。
「恋人繋ぎしたいです」
「調子に乗らないで」
ぎゅっと握るだけ。
小さな子供が親と手を引かれる時のような繋ぎ方だ。
だけど恋人繋ぎをしていなくたって、手をつないでいたら傍からは恋人同士のように見えるよな、と思う。
「楽しみですね、遊園地」
「まあ、それなりに」
「今日はちゃんとスニーカーですね」
「流石にね」
初めて二人で出掛けた時、わたしがパンプスを履いていたから、水族館に行くのが急遽取りやめられたことを思い出す。
今日はアクティブに動ける格好だ。
そこまではしゃぐつもりもないが、スカートとパンプスで楽しめるとも思えない。
並んで歩きながら、空は落ち着きなく話し続ける。
「遊園地、久しぶりですか?」
「うん、そんなに行かない」
「そうですよね。俺は修学旅行でテーマパークに行った以来です」
「わたしも同じかな」
その時は半分以上の時間を待ち時間に費やしたから、あまりアトラクションを楽しめなかった。
絶叫系が苦手な友達と一緒に回ったから、あまりジェットコースターなどにも乗れなかった。
だからちゃんと遊園地で遊ぶのは中学生の時以来かもしれない。
「絶叫系とかお化け屋敷とか、先輩好きそうですね」
よく分かっているな、と思いながらわたしは頷いた。
「好きだよ」
わたしがそう言うと、彼が空いていた方の手で自分の口元を隠す。
よく見ると、口元がニヤついていた。
少し考えて、その理由が分かる。
わたしは呆れて息を吐いた。
「君ってつくづく変態だよね」
「気づいてない振りしてくださいよ」
「君のことが好きなんじゃなくて、アトラクションが好きなの」
「分かってますよ」
訂正すると、空は拗ねたようにじとっとした目でわたしのことを見てきた。
まるでわたしが悪いみたいだ。
「空は? そういうの好き?」
「好きとまではいかないけど、嫌いじゃないです。あ、咲彩先輩のことは好きですよ?」
「聞いてない」
彼はわたしの顔を覗き込んでくる。
それを避けるように肩を押し返すと、空は面白そうに笑った。
「残念ですか? 先輩は怖がってる人を見るのが好きそうですもんね」
「何で分かったの?」
「何となく。っていうか、先輩も僕に劣らず変態ですよ?」
「一緒にしないでよ」
繋がれた手の力が少しだけ強くなる。
彼の顔を見てみると、幸せそうな表情をしていた。
「そんな咲彩先輩も好きですけどね」
「気持ち悪い。流石に嫌いになりそうなんだけど」
「大丈夫です。僕は好きなので」
こんな男と今日は一日中、手を繋いでいないといけないのかと思うと、少し気持ちが重い。
空が今にも鼻唄を歌いだしそうなほど機嫌が良いのも、わたしとしては憂鬱だった。
他人の振りをしたくても、手を繋いでいてはできない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます