第3話

空と再会して数日後、大学の帰り道で信号待ちをしていると、後ろから誰かに肩を叩かれた。

振り返って、わたしは言葉を失う。


「何ですか、その表情は」


驚きすぎて言葉が出てこないのではなくて、呆れて物も言えないのだ。

そんなわたしの反応が気に入らないのか、空は拗ねたように顔をしかめた。


「どうして君がここにいるのかな」

「先輩と一緒に帰ろうと思って」


こいつはどうしてこんなにわたしに構うのだろう。

面倒臭いことこの上ない。

わたしは眉間に手を当てて、わざとらしく溜息をついてみせた。


「困るなぁ、空くん」

「あ、先輩、信号青に変わりましたよ」


一歩後ろにいたはずの彼は、ナチュラルにわたしの隣を歩きながら、ナチュラルにわたしの手を引く。

こういうところだ。

女慣れしている、と誰だって思うだろう。


「ねえ、せめて手は離そう」

「やっぱりそうなります?」

「そうなるよ、勿論」


繋がれた手を振りほどいて、わたしは彼から一歩距離を取る。

わたしは大学生で、空はまだ高校生だ。

制服を着た子と並んで歩くのは、なんだか犯罪っぽくて、若干気がひける。

だけど空はそんなこと少しも気にならないらしい。


「ちょっと今傷ついたんですけど」

「ごめん、隣に並びたくないの。君が私服だったら考えるけど」


その意味が分からないのか、彼は首を捻っている。

分からないうちは並んで歩くことはないだろう。


「どこまでついてくるつもり?」

「家まで送りますよ」

「一人で帰れる」


どれだけ断っても、空はわたしの隣から離れようとしない。

わたしは空の横顔を見上げて口を開いた。


「わたしの気持ちはこの間伝えたつもりだったんだけど、もしかしてもっとはっきり言った方が良い?」

「いえ、言わなくて結構です。僕の心が折れるので」


空は肩をすくめる。

そしてわたしが持っていた鞄を奪うようにして持つ。

今日はテキストが多くて重かったから、それは有難く任せることにした。


「遊びなら、ここまでしつこくする必要はないんじゃない?」

「ここまでしつこくされてもまだ遊びだと思ってるんですか」


空は拗ねたような表情をして、わたしの顔を覗き込んでくる。

わたしはその肩を押し返して距離を取った。


「さあ、どうだろうね」


遊びではないのだろうか。

こんな男でも、本気で人を好きになるのだろうか。

その相手がわたしだということが、本当にあるのだろうか。


「分かった。遊びじゃないという仮定で話そうか」

「仮定、って。事実なんですけど」


わたしの言葉に、彼は眉を下げて苦笑する。

それを無視してわたしは言葉を続けた。


「わたしは、君のことが好きじゃない」

「知ってます。はっきり言わないでください。心折れるって言いましたよね」

「今後、好きになる予定もない」

「どうでしょう? 先のことは案外分からないものですよ」


そろそろ本当に苛立ってきた。

自分の気持ちは押し付けておきながら、わたしの話の腰を折る。


「分からないかな。脈がないってこと」

「今のところはそうですね」


わたしが苛立っていることに、空だって気付いているはずだ。

それなのに彼はへらへらと笑っている。

わたしには理解できない。


「君さ、しつこい。うんざりする。鬱陶しい。面倒臭い」

「今、僕の硝子のハートが砕け散りました」


そういうことをけろりとした顔で言っているのだから、鉄のハートの間違いじゃないだろうか。

もしわたしが好きな人にこんなことを言われたら、絶対に耐えられない。

笑顔を取り繕えないくらい、悲しいと思う。


空はわたしとは違うし、わたしも空とは違うことくらい、ちゃんと分かっているつもりだ。

だけど今の彼の状況に自分を置き換えて考えてみると、彼のことが余計に信用できなくなる。


こいつはやっぱり、わたしのことを本気で好きではないのだと思う。


「知ってますよ。咲彩先輩が僕のこと嫌いで、鬱陶しく思ってることくらい。残念ですけど、嫌というほど」


ずっとわたしのことを見ていた彼は、視線を逸らして遠くを見つめる。

睫毛が長い。鼻も高い。

日に焼けて小麦色の肌は、毛穴が見当たらないほどきめ細かい。

こいつのことが好きじゃないわたしから見ても、はっとするほどイケメンなのは確かだ。

夏服の白いシャツから伸びる腕は筋肉質で、その腕に守られてみたいと1mmも思わないわけではない。


「だけど、ここで引いたらこの先一生、先輩は僕のこと好きになってくれないじゃないですか」


不意に空が視線を戻して、ばっちりと目が合う。

わたしは目を逸らして前を向いた。


「うん、好きになんかならない」

「それでも、先輩には僕のことを好きになってもらいます」


顔が勿体ない、と思う。

この顔で真面目な性格だったら、告白を受けると思う。

だけど軽い男に用はない。残念だけど。

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