第44話

結局、宮城先輩が家まで案内してくれることになった。

地図を見ながらもたもた歩くよりも何倍も早い。

むしろ歩くのが早すぎて、ついて行くのがやっとだ。


「このマンション。エレベーターを4階で降りて、右の一番奥の部屋だから」

「ありがとうございます。行ってきます」


家の前に着くと、先輩は街灯に寄りかかってスマホをいじり出す。

わたしが戻ってくるまで待っていて、帰り道も送ってくれるようだ。

深々と頭を下げて、わたしは小走りでエレベーターに乗り込む。


言われた通り4階で降りて右側へ進むと、一番奥の部屋に「北村」と表札が出ていた。

わたしは気持ちを落ち着かせるために深呼吸をしてから、チャイムを鳴らす。

すると、インターホンからの応答はなく、すぐにドアが開いた。


「はいはーい……って、え!? 詩乃ちゃん!?」

「こんにちは、先輩」


わたしを見て、火影先輩は信じられないように目を見開く。

わざわざわたしが来るなんて、思ってもみなかったのだろうか。


「……貴大は?」

「下で待ってもらってます」

「そっか……。騙されたな」


先輩は手に持っていたスマホをちらりと見る。

どうやらさっき宮城先輩がスマホをいじっていたのは、火影先輩と連絡を取っていたかららしい。


「すみません。迷惑でしたか?」

「ううん、全然。めっちゃ嬉しいよ」


その言葉通り、先輩は本当に嬉しそうに顔を綻ばせた。


「どうぞ、上がって」

「お邪魔します」


お言葉に甘えて家へ上がると、リビングに通された。ソファを勧められて、大人しく腰掛ける。

失礼だと思いながらも、つい部屋の中を見回してしまった。

綺麗に整理されていて、こんな家庭で火影先輩が育ったなんておかしな感じだ。


「意外?」

「そうですね」

「あはは、俺の部屋は期待を裏切らないと思うよ」


わたしと先輩が喋っていることを除けば、家の中はとても静かだった。


「ご両親は?」

「仕事。今いるのは俺だけ」


そう答えた火影先輩は、にやりと笑ってわたしの方を見る。


「それを聞いたら、帰りたくなった?」


わたしは黙って首を横に振った。

先輩は「大丈夫、冗談だよ」と言ってキッチンの方へ消える。


「ごめん、上手くお茶淹れる自信ないから、ジュースで良い?」

「気にしないでください。突然押しかけたのはわたしですから」


そう答えて、お見舞いも手土産も、何も持ってきていなかったことに気づいた。

自分でも気づいていなかったけど、わたしは随分と余裕を失っているようだ。


そう思っているうちに、グラスを持った火影先輩が戻ってくる。

先輩は少しだけ隙間を空けて、わたしの隣に腰掛ける。


「はい、どうぞ」

「ありがとうございます」


グラスをテーブルの上に置く先輩の手には、包帯が巻かれていた。

顔を見れば、包帯やガーゼこそはしていないけど、あちこちに血が滲んだ痕や痣がある。


この人が、わたしのことを守ってくれたんだ。

そのことを痛感した瞬間、目の奥がぐわっと熱くなる。


「本当に、すみませんでした」


どのタイミングで切り出そうか、どんな言葉で伝えようか、と散々考えていた謝罪の言葉が、心の底から溢れ出るように零れた。

それを聞いた先輩は、困惑したような表情を見せる。


「わたしの問題だったのに、関係のない先輩まで巻き込んで。先輩は怪我をして、停学にもなっちゃったのに、張本人のわたしは……」

「詩乃ちゃん!」


張本人のわたしは、何もしなかった。

そう続けようとした言葉は、火影先輩に遮られる。


「待って、違うよ。これは、俺が決めて俺がやったことの結果だから、詩乃ちゃんは悪くない」

「でも……」

「ねえ、俺はそんな言葉が聞きたかったんじゃないよ」


先輩は優しく微笑んで、わたしの手を握った。

きっと、すべてを自分一人で背負うつもりなんだ。

そうやって最後の最後まで、わたしを守り切ろうとする。

どうして、わたしのためにそこまでしてくれるんだろう。

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