第37話
わたしたちのことを遠巻きに見ている人たちも固唾をのんでいるのが伝わってきた。
「先輩が理由をどうしても言いたくないことはよく分かりました。じゃあ、もういいです」
わたしは息を吐いて、肩にかけていた鞄を持ち直す。
「これ以上わたしも理由を聞かないので、先輩も今日は送っていただかなくて結構です」
そう言うと、わたしは宮城先輩に背を向けた。
すると後ろから盛大な舌打ちが聞こえてきた。
そして腕を強引に掴まれ、わたしは立ち止まらざるを得なくなる。
振り返れば、宮城先輩はかなり苛立ったような表情をしていた。
「そういうの、マジでいいから。送るっつってんだから、素直に送られとけよ」
どうしてそんなに嫌そうなのに、ここまで譲らないんだろう。
何がこの人をそこまでさせるんだろう。
考えれば考えるほど分からなくなり、わたしはつい声を荒げてしまった。
「何なんですか? あなたも火影先輩も、鬱陶しいんですよ。心配してくれてるのか何なのか知りませんけど、こんな昼間に何が危ないって言うんですか? 自分の身くらい、自分で守れます。むしろあなたたちみたいな馬鹿な不良と一緒にいる方が、同類だと思われて絡まれるかもしれないじゃないですか」
宮城先輩の眉がぴくりと動く。
こんなこと言ったらダメだ、と頭の中には警報が鳴り響いているのに、制御が効かない。
「調子乗ってんじゃねぇぞ、ブス」
先輩が低い声でそう呟いた。
と思った次の瞬間には、背中に強い衝撃が走る。
気づいた時にはすでに、わたしは突き飛ばされるように壁際に追いやられていた。
周りにいた人たちが思わず悲鳴を上げる。誰かが先生を呼びに急いで走っていく。
だけどわたしはその時、そんなことすら気づかないほど恐怖に怯えていた。
わたしの両手は先輩の右手だけで、頭上の壁に押さえ付けられている。
痛みに思わず顔をしかめてしまうほど、強い力でギリギリと締め付けられていた。
足掻いたところで勝ち目などないと本能が悟ったのか、抵抗しようという気持ちは不思議なくらい湧いてこない。
ようやく、自分がどれだけ愚かな真似をしてしまったのか理解する。
今わたしを睨みつけているのは、絶対に敵に回してはいけない男、宮城貴大だ。
「誰が自分の身は自分で守れるって? 馬鹿じゃねぇの。てめぇ如きの女が、男に力で敵うわけねぇだろ」
吐き捨てるようにそう言われる。
言葉だけ聞けば馬鹿にされているように感じるかもしれない。
だけどそれは紛れもない事実だった。
それなのにわたしは、震える声で尚も反論しようとしてしまう。
「その前に防犯ブザーで——」
「前? そんな瞬間あったか? 誰よりも自分が一番分かってんだろ」
先輩の言う通りだ。
そんな隙は一瞬たりとも存在していなかった。
自分がどれだけ生ぬるい考えを持っていたのか、痛感するしかない。
「お前さ、いつも火影と一緒にいるせいで、俺たちがどういう人間だか忘れてんじゃないの? 昼間だろうとブザー鳴らされようと、やる奴はやるんだよ。人が来る前に、この軟弱な腕の一本や二本くらい余裕でへし折れる」
そう言うのと同時に、わたしの両腕を掴む先輩の手の力がじわじわと強まった。
もう反論なんて出来なかった。
今この瞬間、わたしは強者に捕食されるだけの、か弱い小動物でしかない。
「火影に惚れられてるからって、怖いものなしか? 自分が上になったとでも思ってんの? 自意識過剰もほどほどにしとけよ、クソビッチ」
そんなつもりでいたわけじゃない。
だけど宮城先輩のその言葉が、わたしの胸に深く突き刺さって抜けなかった。
「おい、お前ら何やってんだ!」
廊下の向こうから怒声が響いた。
それを聞いた宮城先輩は面倒くさそうに舌打ちをし、ぞんざいにわたしの腕を離す。
わたしはその場に崩れるように座り込んだ。
駆け寄ってきたのは岩谷先生で、騒ぎの中心にいるのがわたしたちだと分かると、何とも言えない複雑そうな表情になる。
「貴大と神山とは、珍しい組み合わせだな。火影はどうした」
「いないけど?」
宮城先輩の返答を聞いた先生の顔には「意味が分からない」と書いてある。
張本人のわたしだって分からないのだから当たり前だ。
また面倒ごとになっていることを悟った先生は大きな溜息を吐きながら、わたしに「立てるか?」と手を差し出してくれる。
そして右手ではわたしに手を貸しながら、左手ではそっぽを向いている宮城先輩が逃げないようにと襟首を掴んだ。
「取り敢えず、こうなった理由聞かせてもらうぞ。二人とも指導室行きだ」
そうしてわたしたちは校舎3階の端に位置する生徒指導室に連行された。
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