第36話
その日、火影先輩は一度も会いに来なかった。
喜ばしいことのはずなのに、朝の様子を思い出して一抹の不安を覚える。
確かに自由時間が欲しいとは言ったけど、あの人が素直に、しかもこんなに早く、言うことを聞いてくれた試しが今まであっただろうか。
そういえば、わたしが「どうせ会いに来るんでしょ」と言った時、あの人は返事をせずに話を逸らして終わった。
まさか、と心の中に暗雲が立ち込める。
そして放課後、その不安は確信に変わった。
一日の授業が終わって、わたしが帰り支度をしていると廊下が騒ついていることに気づく。
わたしを呼ぶ火影先輩の声はまだ聞こえないし、そもそもあの人がわたしの迎えに来ることなんてもうみんな慣れているはずだ。
何かあったのかな、なんて他人事のように思いながら席を立つと、「神山ちゃん」とクラスメイトから名前を呼ばれる。
「どうしたの?」
「迎え、来てるよ」
そう言う彼女の表情は硬い。
どうやら、この騒ついているのはわたしの迎えに対してのようだった。
今更何を、と訝しく思いながら、わたしは準備を済ませて廊下に出る。
「遅せぇんだよ、ブス」
そこでわたしを待っていた人を見て、わたしは自分の目を疑った。
「……どうしてあなたが、ここにいるんですか……?」
そこにいたのはいつもの金髪ではなく、目つきの悪い黒髪――つまり、宮城先輩だったのだ。
まったく意味が分からず、混乱を極めている。
わたしが固まっていると、先輩は面倒くさそうに舌打ちをした。
「おい、早く行くぞ」
「いやいやいやいや」
そう言われて「はい、そうですね」と簡単について行けるわけがない。
わたしは歩き出そうとする宮城先輩を、思わず腕を掴んで引き留めた。
その瞬間、凄まじい形相で睨みつけられて、反射的に手を引っ込める。
そうだ、この人はただの“わたしのストーカーのお友達”なんかではない。
「どうして、宮城先輩がいるんですか?」
「別に。火影がいないから、俺が代わりに来た」
そんなの、理由になっていない。わたしが聞きたいのはそんな答えではない。
わたしは恐怖を押さえつけて、更に食い下がる。
「どうしてですか?」
「どうだっていいだろ」
「よくないです」
先輩は心底鬱陶しそうな顔で、わたしのことを冷たく見下ろす。
「だって宮城先輩、わたしのこと嫌いじゃないですか」
「おお、よく分かってんじゃん」
そんな目をする人が、わたしのことを心配なんてしているはずがないのだ。
火影先輩がわたしのストーカになってからはバラバラに行動することも増えたけど、火影先輩と宮城先輩が二人でセットだと言うのは校内中で周知されていることだ。
わたしも火影先輩に絡まれる時、その場に宮城先輩が居合わせているということは何回も経験している。
その度に向けられる冷たい視線を浴びて、嫌悪感に気づかない人間はいないのではないだろうか。
「そんな人が迎えに来るなんて、絶対に変です」
さっきから、背中に気持ちの悪い冷たい汗をかいていた。
まさか、という嫌な想像が頭の中を駆け巡っている。
「うるせぇな。火影に頼まれたんだよ」
「そんな程度で、あなたが来るわけないでしょう」
間髪入れずに指摘すると、宮城先輩はハッと息を短く吐くように笑った。
勿論、面白い冗談を言ったとか、そういう楽しい理由ではない。
「俺とあいつ、一応親友っていう
「知ってます。でも宮城先輩は、余程のことがないとあの人の言うことなんて無視するじゃないですか」
「じゃあ、報酬でも出たんじゃない?」
先輩はわたしの話を、まともに取り合うつもりなんてまるでないらしい。
そのくせに、わたしのことを送ると言うのだから、もはや笑えてくる。
「それでもあなたは動かないと思います」
「そうだな。当たってるよ」
「じゃあ、どうしてですか」
尚も尋ねると、宮城先輩は無表情のままさらりと答えた。
「お前に教えるメリットがない。だから教えない。以上」
わたしは頑なに理由を求め、先輩は頑なにそれを拒む。
だけどわたしには、どうしても理由を知りたい動機があった。
「じゃあ、質問を変えます。なんで火影先輩いないんですか? 朝は来てたじゃないですか」
「病欠」
「朝は元気だったし、風邪ではないですよね」
「脚の骨折って入院」
「そんなやわな骨してないでしょ。それに折れたとしても一日くらいそのまま過ごしそうですよね」
「火影に順応してる奴は面倒くせぇな」
それは、分かりやすい嘘を吐くあなたが悪いんじゃないですか。
そんな言葉を飲み込んで、わたしはより深く切り込む。
「朝も様子がおかしかったように思えるんですけど、どこに行ったんですか?」
「それをお前に教えて何になんの? 俺もだけど、お前にもメリットなんてねぇだろ」
「今この状況が気持ち悪いので、理由が分かれば納得できるかもしれません」
「じゃあ、気持ち悪いままでいろよ」
わたしは妥協する気なんてないし、それは向こうも同じらしい。
空気はどんどん険悪になっていく。
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