愛
第35話
あの事件以来、火影先輩のストーキングに拍車がかかった。
いや、もはやこれはストーカーの度を超えている。
わたしが先輩と一緒にいないのなんて、授業中と家に帰ってからだけで、それ以外の時はいつもぴたりと傍について離れない。
わたしを心配してくれていることは分かるけど、これはさすがに過保護だと思う。
あれから二週間近く経っても、新妻先輩が再び現れる様子はない。
もしかしたらあの日会ったのも、本当にただの偶然だったのかもしれない。
それならこんなに心配して、びくびく過ごすのもただの取り越し苦労のような気がした。
そう思ってわたしはある日の登校中に、以前にも増して距離を詰めてくる火影先輩に言ってみることにした。
「先輩って暇なんですか?」
「暇じゃないよー。詩乃ちゃんと一緒にいることで忙しい」
「そういうことじゃなくて。他にやることないんですか?」
冷たい口調で言ってしまってからハッとする。
仮にもわたしを心配してくれている人に、こんな言い方は失礼だ。
「すみません。先輩だって他に時間を使いたいことがあるだろうから、そんなにずっとわたしのそばにいなくても大丈夫だって言いたかったんです」
「あれ、俺のこと気にしてくれてんの? 嬉しーな」
わたしの顔を覗き込んでくる先輩は、ありとあらゆる表情筋が緩み切っていて、気持ちが悪いほどに幸せそうな笑顔だった。
わたしは彼に気を遣ったことを、ほんの少しだけ後悔する。
そんな苦い思いが表情に出たのか、先輩は「あ、いつも通りに戻っちゃったー」と何故かまだ嬉しげに言った。
「でもね、平気だよ。俺にとっては詩乃ちゃんのことが何よりも最優先だから。他のことは全部後回しでいーの」
先輩は目を細めてそう言いながら、手を伸ばして人差し指の背でわたしの頬を撫でた。
駄目だ、このままじゃこの人のペースに呑まれてしまう。
わたしは先輩の手を払いながら、諦めていつも調子で口を開いた。
「じゃあ、やっぱり正直に言いますね。たまには一人にしてください。自由時間が欲しいです」
「えー、心配だからダメー」
「大丈夫ですよ。あれから万が一のために防犯ブザーも持ち歩いてますし」
「あ、じゃあ催涙スプレーも持ち歩きなよ。市販のより威力10倍のやつプレゼントしてあげるからさ」
「結構です。それ持ってたとしても、被害に遭うのは多分火影先輩ですよ」
「怖いなー」
わたしのことが最優先だとか言いながら、わたしの言い分は1ミリも聞いてくれない。とんだ独裁者だ。
こうなることは予想がついていたけど、溜息を吐かずにはいられない。
「まあ、心配だっていうのもあるけどさ、結局は俺が詩乃ちゃんと一緒にいたいだけなんだよねー」
「それなら余計にどっか行ってくれませんか」
もう無視しよう、とわたしは学校へ向かう足を速める。
とは言えわたしの早足程度に火影先輩が置いて行かれるはずもなく、いとも簡単に前に回られてしまう。
「ねえ、今更だけど聞いてもいい?」
そう尋ねられたのは、校門の手前でのことだ。
登校時間だから当たり前だけど、周りには他の生徒たちがたくさんいる。
「詩乃ちゃんは、どうやったら俺のこと好きになってくれる?」
そんな中で火影先輩は、もう何度目か分からない質問を、馬鹿真面目な顔でわたしに投げかけてきた。
「わたし、何度も言いましたよね」
わたしは先輩に、そして自分の心にも言い聞かせるように口を開く。
「どうやっても、火影先輩のことは好きになりません」
「絶対に?」
「好きになりません」
いつも通りの、何度も交わされたやり取りだ。
もういいでしょう、とわたしが言おうすると、それよりも先に先輩が口を開いて遮られる。
「それじゃあ、もう一つ」
先輩はわたしとの距離を一歩詰めた。
こつんと額が当たって、目の前にいるのに先輩の表情はぼやけてよく見えない。
「俺が何をしたら、俺のこと嫌いになる?」
何、その質問。
先輩はわたしに何と答えてほしくて、そんなことを尋ねているんだろう。
「最初からずっと嫌いです。大嫌いです」
先輩の体を押し返しながら、そう言った。
だって正解が分からないから、わたしはいつも通りに答えるしかない。
「そっか」
それなのに火影先輩は、なぜか満足げに微笑んだ。
意味が分からなくて、気味が悪い。
「一体、何なんですか?」
「うーん、秘密」
「はぁ?」
だけど次の瞬間には、もういつもの火影先輩の表情に戻っていた。
何か嫌な予感がするのは、わたしの杞憂だろうか。
靄を抱えたままのわたしを置いて、先輩は陽気に歩き出す。
校内に入ったら靴を履き替えて、前はそこまでだったのに、過保護になってからは教室の前まで送り届けられるのが定型だ。
「じゃあ、バイバイ」
「バイバイって言っても、次の休憩時間にはまた来るんでしょう?」
「あれ? 詩乃ちゃん、俺に会いに来てほしいの?」
「そんなこと言ってません」
わたしの言葉を自分の都合よく解釈して、いつもの鬱陶しい火影先輩だ。
やっぱり心配することなんて何もないのだろうか。
わたしにも先輩の心配性が移ってしまったのかもしれない。そう思って、もう深く考えないことにした。
「詩乃ちゃん。お勉強頑張って」
わたしが先輩に背を向けて教室に入ると、後ろからそう声を掛けられた。
その声色に、何か違和感を覚える。
「火影先輩……?」
振り返ると、もうそこに先輩はいなかった
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