第32話
休みが明けた、月曜日の朝のことだ。
「今ねぇ、小さい公園のとこー」
「じゃあ、そこの角を右に曲がってください。そしたらすぐなので」
「おっけー」
「家の前に出て待ってますね」
わたしは、朝から火影先輩と電話をしていた。
家まで迎えに来ていい、という約束を実行するために、いつも送り迎えしてもらっている大通りから家までの道順を、わざわざ説明していたのだ。
こんな危険人物に家を教えるなんて非常に不本意だ。
だけど、一人で出歩くのが怖いという気持ちの方が勝ってしまう。
電話を繋げたまま溜息を吐くと、角から金髪が姿を現した。
「あ、詩乃ちゃん発見! 電話切るねー」
そう電話越しに聞こえた次の瞬間には、既に切れていてツーツーという電子音が響く。
火影先輩は笑顔でこちらにブンブン手を振りながら、駆け寄ってきた。
「おはよう、詩乃ちゃん」
「朝から元気ですね」
「だって朝から詩乃ちゃんに会えるんだもん。元気にもなるよー」
こっちは充電した元気が一瞬で吸い取られていくようだ。
またこの人の相手をしなければいけない疲労困憊の一週間が始まるのかと思うと、月曜の朝は今まで以上に憂鬱になる。
「会えなくて寂しかったんだから」
土曜日にわたしの大事な休日を奪っておいて何を言う。
ハグしてこようとする腕から逃げて、わたしは学校方面へと歩きだした。
早朝の住宅街を並んで歩く。
こんな見るからに素行が悪そうな人と一緒にいるところを近所の人に見られたら、一瞬で両親に報告されてしまうだろうな、という不安はあるけど、案外人通りは多くない。
火影先輩はニコニコと嬉しそうな笑みを浮かべて、体をわたしの方に向けたまま歩いていた。
「昨日は何してたの?」
「特に何も。家でゴロゴロしてました」
「うわー、家でゴロゴロする詩乃ちゃんめっちゃ見たい!」
「別に普通ですよ」
「普通のことでも、俺にとっては詩乃ちゃんがしているってことだけで特別なんだよ」
何やら力説する先輩の話を適当に聞きながら、ふと土曜の夜の電話を思い出す。
そう言えばあの時「明日は会いに行けない」と言っていたけど、何か用があったのだろうか、と思ってわたしは尋ねてみる。
「火影先輩は? 昨日何してたんですか」
「おお! 詩乃ちゃんが俺に興味津々!」
「そういうことじゃありません。別に先輩が何をしていようとわたしには関係のないことですし」
「えー、そんなこと言わないでよー」
聞いたわたしが馬鹿だった、と思い、先輩を置いて足早に歩きだす。
すぐに追いかけてきた火影先輩は、わたしの質問にちゃんと答えようとするけど、「うーん」となぜか歯切れが悪い。
「ちょっとね。用があって貴大と一緒にいた」
「そうなんですか。仲良いですね」
「まあねー」
先輩のことだから、もっと鬱陶しいくらい詳細に教えてくるのかと思った。
だけど濁すということは、わたしに言えないようなことをしていたということだろうか。
きっとわたしの日常とは別世界の話なのだろうから、深くは尋ねない方が賢明だ。
取り留めのない会話をしていれば、すぐに学校に着いた。
校内にいる人は疎らで、朝早くからグラウンドで汗をかいている運動部くらいしかまだ来ていないようだ。そんな彼らを横目に、わたしたちは校舎へ入る。
靴を履き替えて階段の下まで来れば、ここで先輩とはお別れだ。
わたしは二階にある自分の教室へ、授業に出ない火影先輩はどこかいなくなる。
「それじゃあ、また」
「詩乃ちゃん、待って」
わたしがいつも通り自分の教室に向かおうと一歩踏み出すと、火影先輩に腕を掴んで引き留められた。
振り返れば、先輩は不自然な笑みを浮かべている。
「ちょっとお話しない?」
口元は弧を描いているのに、目元は笑っていない。
多分、少し怒っている。
だけどそれはわたしに対してじゃない。
「大丈夫、授業始まるまでには帰すから」
怖いとか面倒くさいとか、そういう感情は生まれなかった。
わたしは大人しく踵を返して、先輩の方へ一歩戻る。
「場所、移しましょうか」
「そうだね。こっち来て」
土曜の夜に、「月曜日に会ったら話す」と言った。
来る道でまったく話題に上らなかったから少し気になっていたのだけど、先輩には先輩なりのタイミングがあるらしい。
わたしは火影先輩に言われるまま、大人しく後ろをついていった。
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