第30話
「嘘ばっかり」
目の前まで迫って来ていた新妻先輩に向かって、ぽつりと呟く。
わたしの中で争っていた二人の勝敗がようやくついた。
深呼吸をしてから、先輩を強く睨みつける。
「え?」
まるで、わたしが自分を信じると思っていたようだ。
その予想が外れて動揺しているらしい。
わざとらしい笑顔が崩れて、焦りが表情に出る。
「そんな話、信じられるわけないじゃないですか。仮に先輩の言っていることが本当だとしても、どちらにしろ軽蔑します」
わたしに優しくしてくれていたあの時も、この人には他の女がいた。
その女の子を妊娠させ、それを受け止められるだけの器もない。
他のことが真実でも嘘でも、この事実だけでわたしの恋はもう終わったのだ。
「噂には尾ひれが付くものだということは認めます。だけど火のない所に煙は立たない、とも言いますよね」
自分の立場をはっきりさせようと強い口調で言ったつもりだったのに、まだ少し声が震えてしまうのが悔しい。
そんなわたしの言葉を聞いた新妻先輩は、狼狽してわたしの腕を掴もうとする。
「そうは言っても、誤解なんだって」
その手を払って、一歩離れた。
もう、この人の思い通りにはならない。
わたしは新妻先輩の目を真っ直ぐ見る。
「気づいてたと思いますけど、わたし新妻先輩のこと好きでした」
正直にそう告げると、先輩は戸惑ったように「あー、うん」と返事をした。
最悪の場合はそのことを持ち出すつもりだったのに、先に切り出されて困惑しているようだ。
それでも何とか自分のペースに巻き込もうと思ったのか、先輩は再び笑顔を張り付ける。
「そうだね、気づいてた。俺も神山のことは、大事に思ってたよ」
もうそんな嘘には絆されない。
だけど嘘だと分かっているからこそ、胸の奥がチクリと痛む。
この期に及んで、まだそんな感情が残っている自分が馬鹿らしい。
「だけど、わたしが好きだったのはあなた自身じゃない。あなたが創り出した幻影と、そこにわたしが付け足した妄想だったんです」
「え、何、どういうこと……?」
「だから今の新妻先輩のことなんて、まったく好きじゃありません」
むしろ、大嫌い。
こんな最低男、好きだったことが恥ずかしい。
自分の心に言い聞かせるように呟いた。
「だから、もう二度とわたしに関わらないでください。さよなら」
それだけ言うと、背を向けて早足で歩きだす。
だけど「待てよ!」と言う声がすぐに追いかけてきた。
「なあ、信じてくれよ。もう俺にはお前しかいないんだよ。なあ、本当に誤解なんだって」
どれだけ逃げても、ぴたりとくっついて追いかけてくる。
このまま家に帰れば自宅を特定されそうで、それも怖い。
だからわたしは無視して逃げ回るしかないけど、埒が明かない。
泣きたくなって、信じてもいない神様に「助けてください」と心の中で何度も何度も祈った。
「なあ! 待てって!」
腕を掴まれて、もう逃げられない、と思った瞬間だ。
突然、夜の住宅街にスマホの着信音が鳴り響いた。
その音に先輩が驚いた隙をついて、掴まれていた腕を振り払う。
そして全速力でその場から逃げ出した。
スマホは尚も鳴り続いている。
その音を頼りに追いかけられてくるかもしれないと思い、咄嗟に拒否のボタンをタップした。
何回も角を曲がって、なるべくいつもの道順じゃない方法で家へと逃げる。
ようやく家の前まで着いてから辺りを見回して、新妻先輩がもう追いかけて来ていないことを確認してから家の中に入った。
ドアを閉めた瞬間、その場に崩れ落ちる。
怖かった。
怖かった怖かった怖かった。
安心した瞬間、涙がどっと溢れ出してくる。
「おかえりー」
リビングにいる母親が声を掛けてくる。
娘がこんなことに巻き込まれているなんて知らない、間延びした声だ。
心配させてはいけないと思い、なるべくいつも通りのトーンで「ただいま」と返す。
そして泣いていることが気づかれてしまわないように、真っ直ぐ自分の部屋へ向かった。
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