第16話
翌日、廊下を歩いていると、屋上へ続く階段の踊り場にたむろしている先輩たちを見つけた。
北村先輩はこちらに背を向けていて、わたしに気づいていない。
それでもわたしがそちらに向かっていくと、それに気づいた宮城先輩が北村先輩の肩を叩く。
不思議そうに振り返った先輩は、わたしだと気づくとぱっと表情を明るくさせた。
「詩乃ちゃん、また会ったねー」
「こんにちは」
宮城先輩が、わたしをじろりと睨むように見る。
まるで「お前なんかが何の用だ」と言わんばかりの、刺さるような視線だった。
「えーっと、教室移動?」
「はい」
「授業ちゃんと出てえらいねー。じゃあ、頑張って」
先輩はそれだけで手を振る。
だけどわたしがそれだけのために、わざわざ近づくわけがない。
「北村先輩」
わたしが背を向けず、それどころか名前を呼んだことに驚いたのか、先輩は動揺したように「何、どうしたの?」と返事をした。
「わたし、また恋をしたくなっても先輩のことは好きにならないと思います」
北村先輩も、横で会話を聞いていた宮城先輩も、「は?」と眉を寄せる。
話の流れが読めない、と思っているのだろう。
「でも、ああ言ってくれて、嬉しかったです」
話の流れなんか、理解してもらえなくても別にいい。
わたしは感謝を伝えたかっただけだから。
わたしがにっこりと微笑みかけると、先輩は困惑したような表情でわたしの手首を掴んだ。
「え、俺何て言ったんだっけ」
「傷は放っておいても治るけど、薬を塗らないと痕が残る」
答えると、先輩は少し考えてから思い出したようで「ウソっ」と声を上げる。
そしてちらりと宮城先輩の方を見てから、バツの悪そうな顔をした。
宮城先輩の方は、まったく気にしていないようで「だから何だ」と顔に書いてある。
「聞いてたの?」
「はい、偶然」
何ちゃっかり掴んでるんだよ、とわたしは先輩の腕を振り払いながら言葉を続けた。
「気持ちだけでも充分です。とても嬉しかったので。あとは自力で治すので、薬は塗っていただかなくて結構です」
わたしが悲しみに暮れて目に映るものすべてに意味がないと感じても、この世界に一人はわたしを大切に思ってくれる人がいる。
それだけで、わたしはこれからをひたむきに生きていける。
「それじゃあ、授業があるので」
あれからずっと、先輩の言葉を聞いた時に込みあげてきたものは何なのか考えていたのだ。
正解は分からないけど、多分「生きる糧」のようなものだと思う。
北村先輩のことは好きじゃないけど、そのことに気づかせてくれたことには感謝している。
そのことを伝えられたことですっきりしたわたしは、次の授業に遅れないように、二人に頭を下げるとその場を後にしようとした。
「詩乃ちゃん!」
しかし次の瞬間、腕を後ろに強く引かれた。
視界に天井が映り、派手に転ぶことを覚悟した。
ぎゅっと目を瞑って衝撃に備える。
だけどわたしを襲ったのは床に打ち付けられる痛みではなく、後ろから強く抱きしめられた衝撃だった。
「……は?」
一瞬、何が起こったのか理解できなかった。
人に抱きしめられることなんて、まだ小さかった頃以来の経験だ。
混乱しているわたしの耳のすぐ後ろで、北村先輩の幸せを噛み締めるような「あー!」という声が聞こえて、わたしはようやく状況を把握する。
「ヤバい、めっちゃ嬉しい!」
「いや、離してください!」
理解した瞬間、全身に鳥肌がたった。
わたしは周りの目なんて気にせず、先輩の腕から逃れようと全力でもがく。
だけど北村先輩の腕はびくともせず、それどころか「あは、可愛いね」と余裕で言われる始末だ。
「火影、離せって」
見かねた宮城先輩が呆れたように先輩の腕を引きはがしてくれて、わたしはようやく解放される。
暴れまわったせいで、息が切れていた。
しゃがみ込んで息を整えていると、北村先輩はわたしの視線に合わせるようにしゃがんで顔を覗き込んでくる。
「ごめん。やっぱり撤回していい?」
「何を、ですか」
「待ってるって言ったけど、やっぱり俺、我慢できそうにない」
そう言って先輩は、愛しいものを見るような目でわたしに笑いかけた。
なんか、聞こえたくない言葉が聞こえたような。
わたしは顔を青くさせながら「……え?」と聞き返す。
北村先輩は手を伸ばして、暴れたせいで乱れたわたしの髪を耳にかけながら、ニッと笑って言葉を続けた。
「ということで、これからはどれだけ嫌がられても、愛情表現やめるつもりないから」
「やめてください!」
半分悲鳴のような声で叫んだ。
だけど先輩はそんなこと気にする様子もない。
「今日、一緒に帰ろうね。授業終わったら迎えに行くから」
「え、冗談ですよね……? あれで終わったんじゃなかったんですか……?」
「んー? ちょっとお休みしてただけだよ?」
ここ数日で徐々に再構築されていた平穏な日々が、先輩がちょんと突いただけでガラガラと崩れ去っていく。
「嘘でしょ……」と絶望の声を漏らすと、宮城先輩の呆れ切った声が降ってきた。
「お前、馬鹿だろ。お前から構いに来てどうするんだよ。こいつが調子に乗るのは目に見えてただろうが」
「でもわたしちゃんと断りましたよね、告白!」
「こいつがそんな簡単に諦めるような奴だと思ったのか?」
思ってないけど……そこまで考えていませんでした。
わたしが何も返せなくなると、宮城先輩は鼻で笑って言った。
「馬鹿認定」
その言葉と同時に、始業を告げるチャイムが響いた。
さよなら、わたしの青春。
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