第10話

翌朝、学校へ向かう足取りが重い。

昨日は投げやりになってあんなことを言ってしまったけど、やっぱりやめておけばよかった。

上手く濁して逃げることだってできたはずなのに。なんであんな風に言っちゃったかなぁ。


もしあれで北村先輩を怒らせてしまっていたら、わたしはどうなるのだろう。

そう考えると、本当に不登校になろうかとも思った。

しかしあの人に振り回されるのも何だか癪で、わたしは覚悟を決めていつも通り登校した。


「詩乃ちゃん、おはよう」


靴を履き替えていると、そう声を掛けられる。

顔を上げなくても分かる、北村先輩の声だ。

声のトーンはいつも通りだけど、怒っていないだろうか。

不安になりながら、わたしは恐る恐る顔を上げる。


そして、ぎょっとした。


「先輩、それ……」

「どう、似合う?」


北村先輩の髪が、赤くない。

その異様な光景に、周りの人たちも思わず先輩のことを凝視していた。


「詩乃ちゃんが赤い髪嫌だって言うから変えてみた」

「それは、確かに、言いましたけど……」


先輩はえへへ、と照れたように毛先を触る。


「金髪にしてみましたー」

「そうじゃないだろ!?」


馬鹿か、馬鹿なのか!?

そうだ、この人はどうしようもない馬鹿だった。

わたしは朝から頭を抱えることになった。


わたしが言いたかったのは、そういうことじゃなくて!

髪を染めてチャラチャラしているような奴が嫌、といった意味合いだったわけで!

いや、別に髪染めている人全員を否定しているわけではないけど。

とにかく、赤だからダメ、金だから良い、ということではない、決して。


「えー、ダメ? これ結構時間かかったんだよ? ブリーチ何回もして」

「自分でやったんですか?」

「まあね。上手でしょ? おかげで頭皮死んだけど」


先輩はにこにこと笑顔を浮かべながら教えてくれる。

この馬鹿を相手に、わたしが悩む必要なんてなかったようだ。

多分、無駄に怖がる必要もない。

もう遠慮はしないことにして、わたしは大きく息を吐いた。


「先輩、わたしが言っていたのはそういう意味じゃありません」

「え、じゃあどういうこと?」


きっとこの人はわたしの言葉をポジティブに変換したわけじゃない。

ただただ、「赤い髪は好きじゃない」という言葉通りに受け取ったのだ。


「先輩は校則って知ってますか」

「うん?」

「髪は染めちゃダメ。ピアスも開けちゃダメ。眉も剃っちゃダメ。制服もちゃんと着る。校則に違反しているような人は嫌いです」

「えー?」


わたしが今言ったことをことごとく違反している先輩は、不満げにぷくーと頬を膨らませる。

そんなことをしても可愛くないぞ、とわたしは首を振った。


北村先輩は尚も「やだやだ」と駄々をこねる。

もちろん、わたしも彼が直すとは思っていないし、改善したところで好きになれるとも思えないので狙い通りだ。


「それじゃあ、わたしはこれで失礼します」

「えー、待ってよー」


わたしは一礼してそそくさとその場を去ろうとする。

しかし先輩はそこであっさりと通してくれるほど優しくない。


「じゃあ、どういう人が好きなの? 結局あの時答えてもらってなかったよね?」


どうして馬鹿のくせに、そういうところには気づいてしまうのだろうか。


「ね、詩乃ちゃんの理想のタイプ、教えてよ」


どうせ言ったところで、あなたとは正反対なのに。

それに、あなたは変わろうとしないんでしょう?

教えたって無駄な気がする。

だけどわたしを引き留める腕の力は強く、振り払おうとしてもビクともしなかった。

北村先輩の顔を見れば、珍しく真剣な表情をしている。

離してもらうために仕方なく、わたしは口を開いた。


「真面目な人」

「あー……」


自分は該当しない、ということくらいはちゃんと分かるようだ。

ほんの一瞬だけ顔を曇らせるけど、先輩はすぐに笑顔に戻る。


「他には?」


分からないかな、あなたには無理だって。

これ以上聞いたって、先輩に当てはまる項目なんて一つもないのに。


当たり障りのないことを言ったって、この人に対しては意味がない。

もっと具体的に挙げていって、絶対に自分は無理だと思い知ってもらわないと。

わたしは自分の理想像を思い浮かべながら言葉を続ける。


「大人しくて、優しい人」

「うんうん」

「背はあまり高くなくても良くて、顔も普通で良いけど、笑顔が素敵な人」

「それから?」


頭の中にぼんやりと思い描いていたイメージが、だんだんと輪郭を鮮明にさせていった。

そして、はっきりと個を持つ。


「黒髪で、読書好きで、たまに……眼鏡かけたりもして」


あれ、これって、もしかしなくても。


「……詩乃ちゃん?」


わたしが口を噤んだのを見て、北村先輩が心配そうに名前を呼んだ。

その声が、妙に遠くに聞こえる。靄がかかったみたいに、くぐもって聞こえる。


「どうしたの? 大丈夫?」


何で、あの人が出てくるの。

もう嫌いになったはずなのに、どうして。

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