第9話

隣の空き教室に入ると、岩谷先生は一番前の席を指差して、わたしたちに座るように言う。

わたしと先輩が並んで座ると、先生は教壇に寄りかかりながら口を開いた。


「火影、お前は何がしたいんだ?」

「何って?」

「噂で聞いてるぞ。ここ最近ずっと神山に付き纏ってるらしいな」

「付き纏ってるって嫌な言い方だなぁ。でも詩乃ちゃんと一緒にいるのは本当」

「それがどういうつもりなんだって聞いてるんだ」


岩谷先生は呆れた口調で尋ねる。

わたしは内心ひやひやしながら、二人を見守った。

案の定、北村先輩は不満そうな表情で先生に食ってかかる。


「お友達作って一緒に遊ぶのの何が悪いわけ?」

「お友達? 俺にはそういう風には見えないけどな」


そう言って岩谷先生はわたしのことをちらりと見た。

それにつられて、先輩もわたしの方を見る。


え、わたし次第なの?

わたしは知らないふりをして視線を泳がせた。


「あのなぁ、神山は真面目に勉強するために学校来てんだよ。お前のお遊びに付き合うためじゃねぇの。お前の相手なら貴大がいるだろ。あいつに構ってもらえ」


溜息まじりに先生がそう言うと、北村先輩は「はぁ?」と声を上げる。


「貴大じゃ代わりになんないよ」

「何でだよ」


先輩はわたしのことをじっと見つめた。

こんな人なのに、その瞳は澄み切っている。

それが何だか拒みづらくて、わたしは居心地が悪い。


「だって、好きなんだもん」


それを聞いて、わたしは開いた口が塞がらなかった。

わたしと先生は二人揃って「は?」と聞き返す。

北村先輩はあっけらかんとした表情で答えた。


「遊びっていう言い方が間違ってた? じゃあ言い直す。俺は本気だよ」


そう言って先輩は自分の椅子をわたしのすぐそばまで寄せる。

そして間近でわたしの顔を覗き込んだ。


「俺は本気で、詩乃ちゃんのことが好きだ」


何この人、わたしのこと好きとか言ってるけど。

あ、今までのって新手のいじめとかじゃなかったんだ。

言われてみれば、そうかもしれない。

あまりにも胃に悪すぎて、気づかなかった。

だけど突然そんなこと言われても、ついていけるわけがない。


「待ってください。なんでですか? 理由が思い当たらないんですけど」


知り合って、ほんの一週間と少し。

ここ二、三日は嫌と言うほど付き纏われていたけど、それ以前はほとんど会っていないに等しい。

多分、保健室で会った時だけ。

たったあれだけで、好きになられる意味が分からない。


「だって一目惚れだもん」


その質問にも、先輩はあっさりと答えた。

単純明快だ。

納得できるかと言われたらできないけど、だからと言って反論も思いつかない。


北村先輩は更にわたしに顔を寄せる。

最初から思っていたことだけど、この人の距離感はどうなってるんだ。

わたしが逃げるように仰け反ると、それを止めるように腰に手が回ってくる。

そして甘い視線がわたしの瞳を絡めとった。


「あの時どうして泣いてたのかは知らないけど、俺がこの子を幸せにしてあげたいって思った」


ごめんなさい、先輩。

驚くほどときめきません。


そこでようやく、先生が北村先輩の腕を掴んでわたしから剥がした。


「おいこら、待て」

「まーくん、邪魔しないでくれる? それとも何、教師は生徒の恋路を邪魔するのも仕事なの?」


先輩は鬱陶しそうに先生の腕を振り払おうとするも、岩谷先生も負けてはいない。

二人の攻防を他人事のように眺めていると、北村先輩がわたしに尋ねてくる。


「詩乃ちゃん、俺のこと嫌い?」


好きか嫌いかと言われたら、間違いなく嫌いだ。

しかし正直言うわけにもいかず、わたしは「ごめんなさい」と返した。


「じゃあ、どういう人が好き? 教えてくれたら、俺頑張るから」


地味に生きているわたしは、あなたみたいな人とは関わりたくないんです。

もう、うんざりなんです。


怒らせるとか嫌われるとか、もうどうでもよくなってきた。

わたしは息を深く吐いてから、はっきりと口を開く。


「少なくとも、髪が赤い人なんて好きにはなりません」


それじゃあ、と言ってわたしは、岩谷先生が先輩を取り押さえているうちに、空き教室を後にして自分の教室に戻った。

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