第6話
わたしが新妻先輩のことをいくら引きずったところで、容赦なく時間は流れるものだ。
次の日も、また次の日も当たり前のように学校はあり、当たり前のように授業が行われる。
最初こそはみんなの興味を集めていた事件のことも、次第に興味を失われていき、一週間も経てば話題にする人も見かけなくなっていた。
まるで、最初から新妻先輩なんて存在していなかったような空間だ。
不安になって昼休み図書室に赴けば、当番表には彼の名前が刻まれている。
それはつまり、未だに引きずっているのがわたしだけだということで。
誰も来ない図書室のカウンターに突っ伏しながら、わたしは一人でうじうじと思い悩んでいた。
あんな人、好きでい続ける理由なんてない。最低だって、思ってるのに。
なのに、彼からもらった業務連絡のメモ一枚でさえ、捨てられずにいる。
目に入れれば思い出してしまうから嫌だ。だけど捨てることもできず、ただ箱にしまって押し入れの奥に封印するだけだ。
「……馬鹿じゃないの」
呟いたところで、聞いているのは自分一人だけだ。
もうやめにしよう、あんな男のことで悩むのは。恋なんて、もうしなければいい。もっと何か、他のことに集中すればいい。
そうやって何度も自分に言い聞かせているうちに、廊下が騒がしくなってくることに気づく。
何事だろう、と視線をやった瞬間、勢いよくドアが開いた。
思わず「げ」と口に出てしまったことについて、わたしに非はないはずだ。
飛び込んできた赤に、わたしは隠れるように顔を背ける。
「あれ、誰かいる。ごめん、匿って!」
何これ、デジャヴ?
どうして悪いことは立て続けに起こるのだろうか。
返事がないわたしに、彼は軽やかに近づいてきて顔を覗き込んでくる。
「あ、この間の!」
何で覚えてるの!
そう心の中で泣きたくなりながら、わたしは仕方なく北村先輩に笑顔を向けた。
「こんにちは」
「やっほー、また会ったね」
「奇遇ですね」
「今日は泣いてない?」
「大丈夫です」
泣いていたとしても、絶対にあなたの前ではもう二度と泣きません。
なんてまさか言うこともできず、わたしは彼が目の前の椅子に腰かけるのを黙って見ていることしかできない。
だけど無言でいるのも息が詰まって、わたしは何か当たり障りのない会話でもしよう、と話題を探す。
「また、先生から逃げてるんですか」
「そう。まーくんの通勤用の自転車、スプレーでカラフルにしてあげたらなんかめっちゃ怒って追いかけてくんの。ウケるよね」
いや、全然ウケませんけど。
まーくん、というのはこの間岩谷先生に向かってそう呼んでいた気がする。先生の下の名前なんて覚えてないけど、恐らく先生のあだ名なのだろう。
童顔だしナメられやすいんだろうな、とわたしはまたもや岩谷先生に同情した。
先生から逃げているはずなのに、その先生が彼を探すような物音は聞こえてこない。
わたしたち以外誰もいない図書室に二人きり。
何故か北村先輩はわたしのことをじっと見つめる。
何で見てるの?
何か気に触るようなことしましたか?
それとも普通に何かゴミでも付いてますか?
視線に耐えられずそう尋ねたくなるけど、この人相手に不躾に物を言える勇気なんてない。
わたしはカウンター内の整理をするふりをしながら、早くいなくなってくれることを願うしかなかった。
「そうだ、聞いてなかったよね。クラスと名前は?」
「わたしですか?」
「君以外に誰がいるの」
すごく、教えたくない。
名前を教えてしまったら、本当にこの人と関わってしまったことになりそうで怖い。
教えたところで、一体どうするつもりなのだろうか。
だけど渋ったらそれはそれで彼の機嫌を損ねそうで、わたしにはそっちの方が怖かった。
「2年A組の神山です」
「下の名前は?」
「詩乃です」
北村先輩は何故か嬉しそうな笑顔で「へえ、詩乃ちゃん」とわたしの名前を口にした。
あえて名字だけ教えるつもりだったのに、彼はわたしの胸の内など知らず、遠慮なく距離を詰めてくる。
「名前も可愛いね」
その言葉への反応に困り、わたしは「はあ、どうも」と中途半端な返答をするしかなかった。
中々いなくならない北村先輩にやきもきしていると、廊下から足音が聞こえてきた。
先生がようやく見つけたのだろうか、と思うけど、その割に彼は悠長に構えている。
わたしが不思議に思っていると、ドアが開いて誰かが顔を覗かせた。
「こんなところにいたのか、火影」
北村先輩の姿を見つけると、その人は静かな足取りでこちらへ向かって歩いてくる。
その人を見て、わたしは心臓が凍りかけた。
「
「いない。どっか行った」
「やったね」
この学校で関わってはいけないツートップのもう一人。
つまり、ツートップ二人がわたしの目の前に揃ってしまったのだ。
二人は仲が良いらしく、一緒に行動していることが多いからまさかとは思ったのだけど、本当にこうなってしまうとは。
「つーかお前、何してんの?」
宮城先輩はわたしのことを冷たい目で一瞥してから北村先輩に尋ねる。
「んー、ナンパ?」
「は?」
北村先輩の意味不明な恐ろしさとは質が違う。
正真正銘、本物の怖い人だ。
彼の興味から外れているのは嬉しいことでもあるのだけど、それはそれで凍てつくような恐ろしさがある。
お願いだから早くこの馬鹿を連れてどこかへ行ってください、とわたしは心の中で祈り倒した。
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