第5話

岩谷先生は深い溜息をつくと、わたしに向かって窓越しに頭を下げた。


「俺が謝る意味も分からないけど、謝っておく。悪い」

「いえ!先生は何も悪くありませんから……!」


わたしは姿勢を正して、なんとなく自分も頭を下げる。

だけど自分が謝る必要はなかったことを思い出して、恐る恐る顔を上げた。

そして彼が去っていった扉の方に目をやりながら尋ねる。


「あの人、北村きたむら先輩ですよね」

「ああ。出来るならもう絶対に関わるな」

「出来るならそうしたいです」


北村火影。

うちの学校の関わってはいけない有名人ツートップのうちの一人だ。

トレードマークは真っ赤に染めた髪の毛。

今まで遠目から見かけたことしかなかったけど、いつも笑いながら全力失踪をしていた。

もちろん、先生から逃げるために。


「あの人、何なんですか……」

「あれは、何なんだろうな……。ただの馬鹿だ。馬鹿すぎて、何をしでかすか分からないところが怖い」


先生は「もう頭痛ぇよ」としんどそうに深く息を吐いた。

岩谷先生は三年生の担任だったから、もしかしたら彼も受け持ち生徒の一人なのかもしれない。

さっきの短時間だけでも、先生に深く同情するには十分の印象だ。


ふと、先生は気付いたようにわたしを見る。


「神山は体調悪かったのか? 邪魔して悪かったな」

「……そんなところです」


わたしはここにいる理由を思い出して、歯切れの悪い返事をする。

今起こったことがショッキングすぎて、その前から抱えていた衝撃を一時忘れてしまっていた。

岩谷先生は何かを察したようで「ああ」と苦い顔をする。


「まあ、そういう時もあるだろ」


岩谷先生とは国語の授業だけではなく、図書委員会の担当としても顔を合わせることが多い。

だからわたしが新妻先輩と親しかったことは知っている。

もしかしたら、わたしが先輩に抱いていた感情も、分かっているのかもしれない。


「無理はせず、でもあまりふさぎ込まないように」

「……はい」


わたしがそう返事をすると、先生は少し安心したように笑って、窓際から離れた。


「じゃあ俺は、火影捕まえてくる」

「頑張ってください」

「おう。おっさんの身には辛ぇよ」


岩谷先生がいなくなった後、しばらくベッドの上に座ってぼんやりとしていると保健の先生が戻ってきた。

惨状を見て「うわ、何事?」と驚いたような声を上げる。


「ツツジです」

「さては、また火影ね。ここ、あいつの通り道なの。もう、窓に柵でもつけようかな」

「猫みたいですね」

「本当にね」


ふふふ、と少しだけ笑みが零れる。

最悪が最悪で相殺されて、何だか少しだけマシな気分になっていた。

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