第83話

この店では、待ち合い席で順番待ちをしている客や、パーマやカラーリングで薬液が浸透するのを待っている客にドリンクが提供される。



現在、パーマをあてている客の前にもコーヒーカップが置かれているのだが、それはトレーに乗せられたまま、砂糖やそれを混ぜるためのスプーンも一緒に用意されている。



しかし、今、恵愛の目の前に置かれているカップはテーブルに直置きされていて、砂糖やスプーンはなし。



(相原くんと喋りながらだったから、忘れちゃったのかしら……?)



苦いコーヒーは苦手だが、何だか言い出しにくいので、恵愛は色々と諦めてカップに口を付けた。



(あ……甘い)



苦いのを覚悟していたのに、芳醇なエスプレッソの香りと、程よい甘さが口の中に広がる。



恵愛が甘めのコーヒーが好きなのを知っていた武巳が、砂糖を混ぜた状態で持ってきてくれたのだと、この時になって初めて知った。



ほんのちょっとしたことなのに、それがまるで恵愛だけが武巳に特別扱いをされているような気分になって、嬉しいような、そわそわと落ち着かないような、不思議な気持ちになる。



幸せな気持ちでカプチーノを飲みながら、武巳がせっせと働いている様子を静かに見守る。



他の美容師に施術してもらっているにもかかわらず、彼に声をかける女性客はとても多い。



しかもその顔には皆、恋する乙女の表情を浮かべている。

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