第76話

恵愛の必死な声を聞いた電話の相手は、



『……もしかして、川上さん?』



様子をうかがうように訊ねてきて、



「たけみん!?」



相手が武巳だと分かった途端、恵愛の声に元気が戻る。



『何だ。俺のこと、ちゃんと“松野さん”って呼べるんじゃん』



電話の向こうで、武巳はカラカラと笑っている。



その声を聞いただけで胸が熱くなり、恵愛の両目に再び涙が滲んだ。



『俺ね、まだ見習いだから営業時間中にカットとか出来ないんだけど』



「うん……」



『カットモデルは募集してるから、明日の閉店後で良かったらタダでカット出来るけど』



「あ、明日!?」



『急すぎるかな? 明日は俺、練習で居残りするつもりだったから丁度いいかなーって思って』



「行く! お願いします!」



『十九時に閉店するから、十分前くらいに店においで』



「分かったわ!」



明日、武巳と会うことが突然決まった嬉しさで、恵愛は元気よく返事をしたが、



『もしかして……泣いてた?』



「え」



武巳の心配そうな声で、黙ってしまう。



『何かあった?』



武巳に訊ねられると素直に答えてしまいそうになるが、もし自分の身の上を話して“汚い子”だと思われたら……と思うと、何も言えなくなる。



『まさか……外泊したこと、家族に怒られたりした?』

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