第36話
その日の夜に夢を見た。
直ぐに夢だと気づけたのは建物がぼやけて見えるからだ。
雨雲に覆われた薄暗い街中を歩いていた私は、ふと見慣れた景色にどこへ向かおうとしていたのか思い出た。
そうだ、那久……。
この道は好きな人が住むアパートへ向うのに良く通っていた道だ。
だから、那久に会うんだと思って自然と歩くスピードが早くなる。
近くの踏み切りまで来た時に、ふと先日言われた言葉を思い出して、その歩みはゆっくりになった。
そうだった……。距離を置こうって言われたんだ。
連絡も取ってないし、まだ数日しか経ってないのに会いに行っていいのかな。
そう思うのに、意思とは違って歩みを進める足は止まらない。
一目だけで良い。遠くから見れたらそれだけで良い。
願うなら一言だけ話したいし、近くで会いたい。
それなら時間も掛からないうちに見慣れたアパートに着いて、階段を登った。
すると、那久の部屋のドアが開いていることに気づいた。
多分、閉めようとして閉まらなかったのかもしれない。
とうとう扉も壊れちゃったかぁ……。
もともと古いアパートだったからそんな風にしか思わなかった。
築年数もかなり経っているオンボロなアパートだ。しかないと思う。
私は閉め切ってないドアノブに手を掛けると、会いたい気持ちが勝って扉を開いた。
『那久、いる?』
中に入ると玄関から呼び掛ける。
けれど、返ってくる声はなくて、私は靴を脱いでもっと奥へと入ってみた。
けれど、見慣れた空っぽの部屋があるだけで、誰かがいる気配がない。
『那久、どこ?』
ベランダや浴室を覗いてみたけど、もぬけの殻で。
どうしようかと部屋の中を歩いていたのに、いつの間にか外に出ていて、見慣れない歩道を歩いていた。
その道は見慣れないだけで、どこか知っているように思う。
真上に広がってる空はさっきよりも暗くて、今にでも雨が降りそうな嫌な空だった。
もしかしたら雷も鳴るが知れない。
向かっている方角に真っ黒な雲が集まっていて、そんな天気だからか、余計に那久の場所が気になった。
だんだん焦りが心中から湧き上がって来る。
なぜだか、急がないといけない気がした。
那久に早く合わないとって、そう思って駆け足になる。
『那久……! どこにいるの……!?』
普段なら恥ずかしくてしないけど、焦りからくる不安で堪え切れずに街中で思いっきり叫んでいた。
だけど人ひとりもない街から現れる人はいない。
ふと、隣接したビルの中から見覚えのある建物を見つけて、そこかもしれないと、宛もなく探すよりは良いと思って建物を目指す。
まだ1キロも走ってないのに、普段より息が上がった。モヤモヤしている胸が苦しい。
──お願い、そこにいて。どこにも行かないで。
やっぱり那久のことが大事だよ。側にいたいよ。
だから距離を置こうなんて言わないで、ちゃんと話し合おうよ。
遠く感じるその場所は、近付くに連れてビルの形が変わっていた。
長い建物は後ろが見えると横にも伸びていたことが分かる。形からしてビルじゃなく、工場に近いかも知れない。
着いたのは、前に来たことのあるコの字型の建物だ。
左側の建物が大きくて、他は2階か3階くらいの低い建造物だった。
この場所は暫く前に一度来たことがある。
那久との思い出と、私が族の世界に足を踏み入れることになった因縁の場所でもあった。
入口は確かこっちにあった気がする。
記憶を頼りに扉を探して高い方の建物へ近寄った。
この小さいビルみたいに、少し高い建物は、この街に来たばかりの頃、サイトの書き込みから潰そうとした暴走族に宣戦布告し、この工場で激しい喧騒になった所だった。
そこへ駆けつけてくれたのが那久で、その姿は格好良った。
もともと人目を引く容姿と、カリスマ性があったけど、あの喧嘩で初めて恋心を自覚したと思う。
そして、異端派として恐れられていた敵の暴走族を倒し、私は『夜叉姫』と云う通り名が定着した。
今でも忘れられないほど、私にとっては思い出深い場所で、ここに那久がいるかは分からないけど、探してみる価値はあると思った。
唯一知っている扉から建物の中へと入って行くと、足はまるで目的の場所があるようにスタスタと進む。
階段を登って、2階に来ると一つの部屋が気になった。
その部屋へ引き込まれるように部屋に近づくと、中からガタッと音が鳴って、直ぐに呻き声が聞こえた。
その声色は探していた人の、愛しい人のもので。私は慌てて扉を開ける。
『那久……!?』
開けた先、部屋の中にいたのは那久だった。
黒髪のざんばらの髪に、高身長なスラッとした筋肉質な身体。
いつもは年上らしく背筋を伸ばして、周りが見惚れるほど綺麗な顔立ちをしているけれど、今の那久は項垂れて、苦しそうに首を掻いていた。
何事かと思ったけど、直ぐに天井の梁からはロープが垂れて、那久の首に巻きついていることに気づいた。
その光景にドクッと心臓が歪な音を立てて息が止まる。
『あ……、なに、して……』
足元の近くには転がった椅子があって、身体が冷えていく感覚が身体を巡る。
──あ、ダメ……。どうしよう……。
足元にある椅子を見て、近くのテーブルにのった業務用のハサミが視界に映る。
突然遭遇した事態に、私はハサミに飛びつくように走って、那久に近寄った。
『い、今切るから……!』
椅子に乗ってロープを切ろうとすると、いつの間にかロープは切れてて、那久の身体が私に倒れ込む。
一緒に倒れるんじゃないかって思った時に、足元には椅子がなくなっていることに気づいた。
なぜか私の足はコンクリートの地面についてる。
どうなっているのか、理解するより前に寄り掛かっていた那久の身体がずるずると下がっていくのを、支えていた私もその場所にしゃがみ込んで身体を見た。
首に残った痛々しいほどのロープの痕に目を細めつつも呼び掛ける。
『那久、那久しっかりして、なんでこんなことしたの!?』
身体を支えながら理由を求めると、ふと腹部に温かい液体みたいな感触がして言葉が止まった。
ぬちゃっと音がしたような気がして、思わず手を見ると指先が真っ赤に染まっていた。
『え……?』
那久の身体をひっくり返しながら地面に寝かせると、着ていた服は赤く湿っていて、その光景に私は息を呑む。
広がっていく鮮血と、冷えていく身体。
────え、?
なんでこんな真っ赤になってるの?
どうして那久の身体からこんなに──。
『い……、いや……』
違う。
──これはなにかの間違いだ。
ドッと心臓が鳴ると、「いやぁぁぁ……!」と叫ぶ声に飛び起きた。
重たい身体を捩らせて藻掻くように上半身を起き上がらせる自身の行動に目が覚めた。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
息が荒い。
喉が乾いて引き攣るように痛む。
パニックになっていた私はしばらく息を整えることに夢中になった。
ようやく落ち着いたころに見渡すと、マンションの自室の使い慣れたベットの上だと分かる。
着ていた服は背中の辺りがびっしょりと濡れていて、今のが夢だったと思い立った。
最初に自分でもそう思った筈だ。なのに……、いや。夢だと分かっていたからかも知れない。
現実と夢の境があやふやで、手には濡れた感覚がまだ残っている。
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