第2話
その帰り道、私は来た道を頼りにバイクを止めた駐車場へと向かって、静かなビル街の通りを歩いていた。
人気がなくても電灯が照らすその道は明るくて、近づけばすれ違う人の顔がちゃんと分かるような歩道だった。
──そんな道で、私はその男に出会ったんだ。
赤髪のウルフヘアの片方をオールバックにしてピンで止めた男は綺麗な顔立ちをしていて、その辺にいる不良たちとは纏っている雰囲気が違っていた。
抽象的な言葉で言うと“オーラ”があった。
例えば、芸能人の圧倒的なスター性のような。お笑い芸人のひと目で分かる特徴のような。そんな、特別な
今まで出会って来た中で、上位に入るくらい整った容姿に私は見入ってしまった。
けれど、そんな男が私を見たとたんに驚いた表情をして、その反応には私は傷付いていた。
男が驚いたのは、外国でも珍しい白銀の髪と金色に輝く瞳の女性を見た時の驚きの反応ではなく、きっと私の正体を知っていての反応だと思ったからだ。
都内での私は結構有名だ。だから、仕方ないと言えばそうなのだが……。
なぜか目の前の男にそう云う反応をされると、胸を刺されたようにズキリと痛んだ。
それでも弱々しい姿を見せたくなくて、直ぐに気持ちを切り替える。
その時になってようやく他とは少し変わっていることに気が付いた。
歩いて来る男は私に気付いた後も平然とした様子で、避けることなく歩いて来たのだ。その行動は意外なものだった。
『夜叉姫』と云う通り名で恐れられている私に気付いても尚、避けることなくこちらへと向かってくる様子は普段なら絶対に見かけられない光景だ。
怖がる素振りもなく、堂々とすれ違おうとする男は最近では滅多にいなかった。
──しかも、何食わぬ顔で喧嘩も売らずに通り過ぎた男は、過去に一人だけしか会ったことがない。
だから尚更、その男に私は魅了されてしまっていた。
そよ風でなびく赤髪に、色素の薄いブラウン色の瞳。
切れ長の目とスッと通った高い鼻。そして、モデルのような高身長。
よく見れば耳には一つずつピアスをしているようで、赤色の石と金色の龍が男を象徴するように街光に反射して輝いていた。
お互いの横を通り過ぎる時、流し目で男を見つめた。
前を向いていた男は私に興味なんかないようで、私は落胆してしまう気持ちを抱えながら視線を前に戻した。
どうして落胆してしまうのか分からない。興味を向けられてなくても私はどうしても男の存在が気になって、すれ違った後の男の背中を追い掛けるように見ながら振り返った。
すると、すれ違う時には合わなかった男の視線が、いつの間にか私を見ていたようでパチリと合う。
通り過ぎた時には向けられてなかった瞳が、静かに見つめられていたことに驚いて立ち止まった。
脈打つ鼓動が少しずつ高鳴っていく。
驚いたのは気配が感じられなかったのもあるけれど、その視線を不快に感じなかったからだ。
名の知れた地位にいるだけに、周りからの視線に敏感なはずで、例え殺意がなくても見られていることには直ぐに気づけていたはずだった。
けれど、危機感も、警戒心も、その見透かすような瞳で見つめられると、不思議とそんな気が起きない。
寧ろ、男に触れてみたいと思ってしまう衝動が少し怖い。
知らない感情がずるずると引きずり出されて、新たな感情が芽生えてくるようだった。
初めて出会った人なのに、どうして見つめられずにはいられないのだろう。
──それにしても、静かな人だな。
「……ねぇ、名前は?」
無意識に私は聞いていた。自分が何を言ったのかに気が付いたのは、男がもう一度、驚愕した表情を浮かべたからだ。
私ってば何を聞いているの。
初対面で名前を聞くなんてナンパじゃん。
若干、自分自身に呆れつつ自己嫌悪に陥っていると、しばらくしても男は喋らなかった。
一言も喋るらず、ただ口を開いて固まっていた。
聞こえてなかったのかと思ったが、顔色を変えたのだからちゃんと聞こえていたはずで。
つまり、私の質問に答えるつもりがないのだろう。
失礼な奴だなと思いはしたが、しょうがないことだとも思う。
私は不良たちから畏れられている存在。突然、名前を聴かれれば怖がられて、警戒されても仕方ないだろう。
「やっぱりいい──」
そう背を向けて帰ろうとすると、しばらくしてから喋らなかった男が背後で囁いた。
「紅坂 來」
まさか教えてくれるとは思わなかった私は自分の耳を疑った。振り返って男を見る。
すると、ふわりと舞い上がった風に髪が晒されて揺れた。
「俺の名前は
男が微笑んで続ける。
「覚えとけよ」
「…………ぁ……あぁ」
呆然としたまま頷いた私に、男は「またな」と言って去っていった。
背中を向けてどこかへと帰って行く男は、その後、一度も振り返ることはなくどんどん遠ざかっていく。
その場で立ち止まったままの私は、男の顔を何度も思い出していた。
──燃えるような赤い髪に、
──色素の薄い茶色い瞳。
──そして、赤い石と金色の龍のピアス。
胸が焼かれるように熱くなっていく。
じんじんと手や顔が火照り、あの男に囚われたように視線を逸らすことが出来ない。
胸の心臓の鼓動が可笑しくなったように早まっていた。
──この滲み出した感情には覚えがある。
「……またね、來」
「またな」と、男は言った。
どこの誰かもわからない、はじめて会った人に。
きっと今日のことを私は忘れられないだろう。
不良たちから怖れられる夜叉姫の姿を見ても、笑った紅坂來のことを大人になってもきっと忘れることはない。
この先、またどこかで会えるかどうかなんて分からないけど、なぜだか裏の世界にいれば会えるような気がした。
面白い人だったな……。
來のことを思い出すと自然と頬が緩む。
この時の私は完全に浮かれていた。
翌日になってこれが“恋”だと自覚した時、私は全身の熱が冷めていくような感じがした。
──苦しくて。
──悲しくて。
──寂しかった。
何度も自覚させられる……。
私にはどうしても手離せない“大切な人”がいて、その人と交した“約束”があることを。
そして、この世界で私は有名になり過ぎていることを──。
あの日からずっと、私と那久はすれ違ったままでいて。 “自然消滅”と言うには未練が沢山あり過ぎて、“喧嘩別れ”と言うには程遠い言葉を貰った。
一方通行で、すれ違ったままの現状。
今だに離れられない人がいるのに、誰かに恋をするなんて……。
他の誰かを好きなるなんて……。
そんなことを、“恋”をする資格なんてない私が望んで良いわけない。
──そう分かっているのに、來のことが忘れられなくて、側にいたいと思ってしまう。
私はこの気持ちをどうすればいいんだろう……。
貴方のことを忘れたくないのに、隣りにいて支えてあげたいと思った人が出来たよ。
──ねぇ、那久。
私が誰かを想っても許してくれる──?
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