第14話
ちゅく……、と、耳の中に直接音が流し込まれる。決して急かすわけではなく、ゆっくりとしたモーションで耳へ舌を這わせると、それに伴い、びくびくと背筋が粟立つ。
──声が出てしまいそう。
時折通話口を胸元で抑えながら私は何とか耐えた。
「……や、やめてください」
「どうして?」
「宝良ちゃんの声が、聞こえないです」
内緒話をするようにそっと囁くと「じゃあ、こうすれば」と、久住さんは私のスマホを手に取り、あるボタンを押した。
「羽仁が好きなの塩顔じゃん?可愛いよりかっこいい系じゃん?あ、彼氏の顔が一番好み、は知ってるからなしよ」
スマホから宝良ちゃんの声が大音量で流れる。きっと、スピーカーにしたのだ。そしてソファーの上にポンと置かれた私のスマホ。
「……ほら、話さなくていいの」
意地悪な声が耳元で囁く。散々虐められた耳は少しの刺激にも敏感だ。
「……っ、」
腰に回されたその手で服越しに背中の窪みを撫でられると、仙骨のあたりを指で擽られ、身体が反応してしまうのは当たり前だった。
身体が熱を孕む。
「……っふ、くずみさ……」
私だって、他の人とも経験はあって、全てを知らないわけではなかった。
けれども久住さんと初めての日を私は鮮明に覚えている。あの夜、彼の指も唇も舌も、私のからだをとっくの昔から知っているように動いて、私はあっという間に書き換えられたのだ。
それ以降、知らない感覚を、丁寧に、徹底的に教えられている。
「それで今、いい感じの二人と飲んでるんだけどさ?羽仁もおいでよ」
宝良ちゃんの声で現実に引き戻された。
熱に浮かされる脳内であっても、それは無理な要望だと理解出来た。
「え……、む、無理だよ」
「ちょっとだけでいいから」
「でも……」
言葉を紡ごうとしたその時、突然、耳をかぷりと噛まれた。
「……羽仁」
じんと甘い痛みを伴う耳の中に、世界で一番かっこいい顔をした悪魔がやさしく囁く。
一度でもいいから私に縋って欲しい。
これはただの不純な願望。
行くなよ、なんて、その目で私を見つめて、掴まえて欲しい。
そうしたら、私は貴方に駆け引きをするの。
どうしようかな?なんて、あざとく首を傾げて、久住さんを振り回してみたい。
──「行くなよ」
ここまで私の思惑通りである。
ほら、言え。言うんだ。
どうしようかな?って、たったそれだけでいいでしょう。
「俺と一緒にいようぜ?」
しかし、思惑は結局妄想どまり。
「ごめん、もう家だから、行けない!」
私は久住さんにとっての"良い子"だから、久住さんが嫌うことは出来ない。
「そう言うと思った」
電波の向こう側で、宝良ちゃんが苦笑した気がする。
大丈夫だったかな……。
数種類のどきどきと共に、スマホの電源を落とした。
"別れる理由・出張先の天気の心配をしたから"も嫌だけど、"別れる理由・二人で会っていた時に電話に出たから"これも最強に嫌だ。泣くと思う。
悶々と悩んでいれば、頭にぽんと手を置かれた。
「良い子良い子」
久住さんはそう言って、煩わしそうに、自身の襟元を結ぶネクタイを解き始めた。慌てて目を逸らす。
なぜなら、昔、久住さんがネクタイを解く仕草が好きだと言ったら、最高にウザいと言われてしまって、それ以降、見ては駄目だと私の中でルールが敷かれている。
しかしこうも近ければ、ネクタイが揺れ動くその様が嫌でも目に入るというもので。
見たい、見ちゃダメ、すこしだけならいいかな……?
「あの、久住さん」
「なに」
前回に引き続き、今日の久住さんも甘め(当社比)と判断した私は、ある賭けに出る。
「み、見てもよろしいですか」
「どうぞ?」
お許しを得てしまった。ご褒美とおしおき、そして再びご褒美。
パッとすばやく見あげた。
しかし、既に久住さんの首元はネクタイから解放されていた。
「(お、遅かった〜……!!!)」
がっくりと肩を落とすと、久住さんの肩がくつくつと楽しそうに揺れ動き、それから。
「……羽仁、」
久住さんの喉仏が動き、私の名前を紡ぐから、脊髄反射のごとく「……はい」と頷く。
「何落ち込んでんの?」
「久住さんの仕草を脳内保存出来なかったことに対して、落ち込んでるだけです」
「へえ、両手出して」
「……はい」
意気消沈のまま両手を差し出すと、どうしてか、久住さんは私の両手首を、たった今解いたネクタイでぐるぐると巻き始めた。
「……え?」
「どうしたの」
「や、あの、なんで縛られ……、え?」
あっという間に両手の自由は奪われた。そんな私に、慈悲深い久住さんは正解を与える。
「お仕置」
見上げた先にいらっしゃる意地悪であまりやさしくない王子様は、極上の笑みを浮かべていた。
「お、お仕置って、さっきのは?」
「さっきの?」
久住さんが首を傾げる。私は勘違いにきづく。あれはただの悪戯だったのだ。
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