第12話

久住さんの家に到着した。久住さんの家を見上げてみても明かりは着いておらず、インターフォンの反応もない。


バッグの中にある、特別可愛いポーチを取り出した。私が超ときめく形のポーチは、久住さんの家の合鍵用のポーチ様である。


「(使ってもいいかな……?)」


実は久住さんと出会った時の私は、とあるトラブルに見舞われていた。その際、一時期久住さんと一緒に暮らしていた過去がある。その流れから合鍵を預かったままなのだ。


でも……突然押しかけた上部屋に上がり込んでしまったら、厚かましいやつだとガッカリさせてしまうおそれがある。


久住さんの口の端がたった数ミリ上をむく。それだけで私の頬を染める要因となってしまう。しかしこれが続いてしまうと過剰摂取となって、発熱したように真っ赤になるから悩ましいところだ。



「よお、浮気者」


「!」



浮かれていてすっかり誤解を解くことを忘れていた。これも久住さんと一緒にいると起こる、一種の病。


「浮気なんてしてませんよ!するはずありません!」


「良い男居た?」


「居ました!」


「へえ」


「目の前にです!」


「目、悪」


「視力は両目とも2.0です!」


「良過ぎだろ」



久住さんが苦笑する。それもまた眼福だ。その写真をステッカー風に加工して、是非スマホケースを作ってほしい。なお、販売する際は枢木羽仁専売として頂きたい。


「久住さん、何されてたんですか?」


「飲んでた」


「そうなんですね!」


久住さんが飲み終わるタイミングと私がマンションにたどり着くタイミングがちょうど良かったなんて、もう、運命なんじゃない?と、都合のいい私は自分本位な運命を語る。



もう既に減点対象が多すぎるのに、罪を重ねてなるものかという、乙女の矜恃が囁く。



「(そんなのは嫌だ……!)」



あれこれと考えていれば、すぐ近くでザリッとアスファルトを踏む音が聞こえた。


聴覚だけで個人を識別できるのは声くらいで、靴の音なんかで特定して溜まるものかと視覚に叱られてしまうだろう。


なのに私の蝸牛は、この音だけで久住さんだって分かるの。


「久住さん!」


振り向いた。その先にいる久住さん。仕事帰りであろう、今日もスーツが良くお似合いの久住さんの御姿は実に2週間ぶりの眼福である。


私に絶望を与えるのも久住さんだけど、希望もまた久住さんによってもたらされる。プラマイゼロ、さらに、一緒にいればプラスになるのは確定されている。よって、今の私は無敵。


目が悪いっていう欠点も、飲んでたっていう私が知らない久住さんの予定も、もう、どうだっていい。



「つか、俺が何してたのかって確認すれば良いっしょ。見なかったわけ?」


「何をですか?」


「スマホの何とかアプリ」



久住さんがいう曖昧な情報は、私の脳内によって、位置情報共有アプリに変換された。


「昼間見ましたよ!職場にいらっしゃる久住さんを!」


胸を張って威張ると、久住さんは口から小さなため息を吐き出した。その姿も悩ましい。


「今度からスマホ置いて仕事行こうかな」


「で、できれば久住さんとの妄想を栄養として生きている私のメンタル維持のためにも、仕事中はスマホ持参して下さい!」


「うわー……」


うんざりされてしまった。


久住さんは、一度でも私の居場所を気にしてくれただろう。そんなこと言えない。というより、そもそも私の為に久住さんの容量を使うのももったいないので、アンインストールしてくれているとありがたい。


無敵状態の私は、ネガティブも勝手にポジティブへと変えることが出来る。



「──……羽仁」



久住さんの穏やかで落ち着く声が私を紡ぐ。私の世界が平和になる。


「入んないの?」


久住さんが半身を凭れているのは、開け放たれた部屋の扉だ。どうやら私が入るのを待ってくれているらしい。



「……入っても良いんですか?」



おずおずと見上げて伺いを立てるように訊ねる。久住さんの渇いた瞳がするりと逸れた。


「好きにしたら」


久住さんはずるい大人だと思う。だって、知っているのに知らないフリをするのだから。


「入ります!」


私に選択肢を委ねたら、おおよそ全て、頷くことが決定されている。


「久住さん、夕食はお済みですか!?私、なにか作ります」


「俺、飲んでたって言わなかった」


「言いました。すみません、調子に乗りました」


「まあ、腹減ってるから、作ってくれるなら軽く食べるわ」


「分かりました!何が食べたいですか!?」


「お茶漬け」


「……」


「カップ麺」


「あの……で、出来ればで良いのですが、作り甲斐のあるものをですね……カップ麺もできるだけアレンジしますが……ベースがカップ麺なので……」



ごにょごにょと口ごもっていれば、久住さんは楽しそうに口元を緩ませ、私の頭をぐるりとひと撫でした。

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