第10話

 アーサー様が旅に出て、早1ヶ月が経過しようとしていた。ここ最近のアナスタシア様は目に見えて元気がない。それもそうだ。今まで近くで支えてくれた友人、高めあってきたライバルがいないのだから落ち込んで当然だ。


「アン、来たわよ。」


 その時、そんな声が聞こえた。私が呼び出した彼女はクレアであった。


「すみません、わざわざ。」


「いいのよ。かわいい後輩の頼みだもの。」


 そうして私たちは大浴場へと向かった。


「やっぱりこの時間は誰もいないわよね。お休みもらって正解だわ。」


 いつも賑わっている様子とは変わって今は私とクレアの2人だけ。湯船に浸かりながら、ボーッと考える。


「それで、どうしたの?」


「…最近のアナスタシア様のことで少し…。」


「あーね…確かに落ち込んでるわよね。活気がない…ってわけでもないけど前よりパワフルじゃない。」


「アーサー様の存在の大きさが良くわかります。」


「そりゃあ、子供にとっての3年って言うのは長いからね。当然と言えば当然よ。」


「どうにかならないでしょうかね。」


「そうねぇ…難しいかもしれない。」


「そんな…。」


「人って言うのは、失ったものと同じものが帰ってこない限り傷は残り続けるものなのよ。想い人なら特にそうね。」


「想い人…結局アナスタシア様ってアーサー様のこと好きだったんですかね…。」


「まあ、そこまでは私もわかんないんだけどね。何となく、そんな感じだったじゃない?」


「…何となくですか…。」


「ああ。だけどこれだけは私にもわかる。アナスタシアには野望がある。」


「呼び方…。」


 そんな私の呟きを無視してクレアは続ける。


「何となくだけど、私はアナスタシアについていったら見たこと無いような景色が広がってるんじゃないかって思うの!」


「見たことの無い…景色。」


「私、これでもスラムの育ちでね。綺麗な世界って言うのに憧れてたの。だから…頑張ってお金を貯めてこの貴族の世界に入った。雇われでいろんな所を転々として…最後に流れ着いたのがここ、アーバスノット家だったの。」


 クレアも…どこか私と似ている。


「それでね、アーバスノット家にたどり着くまでに私の中にあった憧れって言うのは失くなったわよね。貴族の世界って全然、綺麗な世界なんかじゃなかった。腐った管理体制やら、悪政やら…なんならスラムのほうが白黒つける算段があってまだよかったわ。」


 貴族の世界…確かにそうだ。あんなものろくなものじゃないと…私も思っていた。


「でもさ、シーザーさんすごいいい人で…一時期はちょっと惚れちゃったくらいには居心地がよかった。対戦が終わって…エカテリーナさんとあんたと戻ってきたときはビックリしたなぁ…そんでアナスタシアが生まれて…今となっては立派な目をしてる。私はアナスタシアの作る世界を見てみたい…。」


 こうしてクレアの話を聞くのは初めてな気がする。


「私も…少しその気持ちがわかるかもしれません。行く宛がなくなり、途方に暮れていた私をエカテリーナ様が拾ってくれた…これ以上のものはないです…。」


「そういや、アンの話、私も聞きたいな。何せ、最初からあんな殺気だったやつ初めて見たもん。」


「あれは…ちょっと警戒していただけですよ!」


 昔の話だ。


「まあそうだよなぁ。ってなったら警戒もするよ。大戦終わった直後だったしな。」


「まあ…結果的にはよかったですよ。アナスタシア様に巡り会えました。」


「アンって昔アナスタシアのこと毛嫌いしてたろ?」


「ま、まぁ…苦手でしたね。」


「急に変わったよな。アナスタシアも…それだけの野望が出来たってことなんだろうけどさ。」


「ええ…。」


 アナスタシア様の野望。かつてエカテリーナ様が抱いていたような…深く強い野望。私もアナスタシア様にはついていくつもりであるし、支えていくつもりだ。


「あんたがアナスタシアの専属メイドになりたいって言ったときはびっくりしたよ。若干、寝首でも掻くつもりかとも思った。」


「まあ…思われても当然でしょう。」


「まあ…それだけすごいんだよな。アナスタシアの変わりようって。ちょっと心配になるくらいに。」


「本当に…でも杞憂に終わりましたよ。アナスタシア様は己の道を歩んでおります。」


「そうだな。強いやつだよ。アナスタシアって。きっと今の状況もすぐには…とはいかないが良くなるだろうよ。」


「そうですよね…なんだか、何とかしてくれそうな気がします。」


「あの2人の師匠も良くやってくれたよな。名前…あれ?なんだっけ?」


「…マルス…だったと記憶しております。」


「マルスの爺さんかぁ…あれもすげぇ強かったよ。1回だけ2人の修行風景見たことあるんだけどさ、あの爺さんの立ってる姿でわかったよ。勝てないなって。」


「そりゃあそうでしょう。剣術の達人ですよ。」


「いやあ、スラムでも腕っぷしはあるほうだったんだけどな…完全に勝てないって感じたのはあれで3人目だ。」


「なかなか、自分の腕に自信があるようですね。」


「自信がなきゃやっていけねぇんだよ。こういう場所だと特にな。あ、でも2人目はアンだからな?」


「な、なんで私なんですか?」


「勘だよ。」


「勘って…そう言うもんですかね…。」


「と、いうか、アン。その敬語やめてくれないかな…堅苦しくてちょっとムズムズする。」


「そうはいっても…歴はクレアのほうが長いですし。」


「いやぁ…頼むからよ。」


「わ、わかったよ…クレア…?」


「やっぱりぎこちないな…。」


「そう言い出したのはクレアのほうでしょ…?」


「まあ、そのうち慣れるか。そう言えば、アナスタシア、魔法にも興味持ってたよな?アン、教えてやんないのか?」


「なんで私なんですか…?」


「いやぁ、アンも使えるだろ?」


「私なんてアナスタシア様にも及ばないよ…。」


「…あっそ。でもまあ、魔法の師匠ってのもいいんじゃない?ほらちょっと遠いけど居たろ?アルフレッド様だっけ?いいライバルには…いや、なれそうにないかもな…。」


「アルフレッド様…噂だと随分と研究者気質があるようでアナスタシア様とはちょっと合わないかと…。」


「そうだよなぁ…まあ、アナスタシアにもやりたいことがあるだろうから、その通りに私らは動くだけだな。」


「だね。」


 あの欲望にギラついた目。そして美貌…実力…何をとっても申し分ない。これからのこの世界を担っていくような目だ。結局は何を選ぶかはアナスタシア様次第な部分はあるが…。


「にしても魔法ねぇ…あんまり詳しいこと解んないんだけど、今アナスタシアが使っているのが光魔法だっけ?」


「そうね、治癒術に長けた魔法よ。」


「でもさぁ、私思うんだけどあのイメージ。あれからしたら闇魔法の方が似合うよな。」


「闇魔法…それ口外厳禁だからね。場合によっては異端と見なされることもあるんだから。」


「あぁそうだったな。宗教観とか未だに良くわからないからさ。」


「まあ…私もそうだけど。少なくともこの国では闇魔法は異端扱いなんだよ。」


 それと同時に、悪魔と呼ばれる存在も同様だ。

 ものは使いようだが、使った先に何があるのかも考えなければいけない。それの最たる例が闇魔法である。

 人生における破滅へと導く悪魔石、それを介しての闇魔法と言うのは危険なものだ。それに、使用者の欲が大きければ大きいほどそれに見合った破滅が訪れる。


 アナスタシア様がそれをどう乗り越えるのか。この先どうなるのか…。


「まあ異端だったとしても私らのやることってのは変わらないだろ。」


「…そうだね。」


 アナスタシア様に仕え続ける。それだけだ。少なくとも私たちはアナスタシア様に惹かれている。きっとあの人なら…なんとかなる。

 理由なんて特にないのが一番の不思議だけど、そう思えるのだ。


「これからもよろしくな、アン。」


「ええ、クレア。」

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