【参】邪悪に依る貞潔な壊し方
〈SCENE 010〉
プライドを保ちたい。
その意思だけで───意地だけで僕は走っていた。
しかしガラクタの山は歩き辛く、足がもつれてしまう。落ち着け、落ちたらまずい、落ち着け───いや、落ち着けない。
なぜかって───
「あはっ、あはっ・・・あはははぁっ・・・!!」
藍は、笑う。
腹からおかしそうに、《
藍は、手から刃物を
───
─────《
それを藍は
───生後、間もない妖怪は使ってのけた。
何の前触れもなく何の予兆もなく、
当たり前かのようにいつも通りかのように、
─────妖怪を祓う凶器を、狂気と共に取り出したのである。
鞘はない。
つまり、すぐに攻撃に移ることができる。
そう考えていたら、攻撃に移った。
蝿が居るであろう方向に、蝿が視えない藍は
まるで型はなっちゃいない。
当然だ、知識として刀の構え方を知っていようが、その構えは少女が真剣を構える事を想定していない。
しかしだ。
しかし、漢字の通り、滅するほど多々振り、矢の如く数を放ち、豊漁の鱈の数に匹敵するほどの斬撃であったらどうだろうか。
藍はそれをしていた。
刀の間合いに入った生物を抹殺する型─────それを藍は、笑いながら、行っていた。
しかしだ。
さらに、しかしだ。
藍は蝿の姿が視えない。
音だけで感知している。
《羽音だけで》─────そう、蝿は《飛んでいた》。
四、五メートルほど身体を地上から離し、後ろに。
それは、そうだろう。
先ほど藍の背中に止まっていたが、しかし十五メートルはあるガラクタの山を登るとは考えられなかったし、蝿からしてもわかる。
制空権を有している方が有利なのだ。
ただそれは、敵が有効な───対空砲など───兵器を持っていない場合に限る。
しかし、さらに、なんと。
「ふーん、やっばりそうするんだぁ。んー」
「えいっ」
藍は────《刀を投げた》。
羽音の座標が変わっていくことに、藍が気づかないわけはなかった。
しかし分かっていたのは、退くように飛んだ───
と言うことだけ。
狙いは定まらない、視えないと言うことはあまりにも大きいハンデだ。
そして投げられた刀の行方は────事前に言っておこう。
聴こえるだけでよくそこまでと褒めるべきだ。
刀は───致死性宿る凶器は、蝿の脳天から、右に、八、七センチメートルずれて飛んでいった。
からん、からんと刀は白いタイルの上を滑り、転がって行った───手応えなしに。
その後、藍は小さく声を上げる。
糸が切れたように。
「うぁ、」
そして蝿は───そのまま直進する。
無力となった少女を、
活力切れでへたり込んでしまった少女を、
─────妖怪を祓い返そうと。
〈SCENE 011〉
僕は叫ぶ。
「う、おおお、おおお!!!!あ、あああああああ!!!」
これは自分の意思だ───忌々しい《湧き上がる思い》なんて言うものに後押しされてはいない。舐められたままは嫌なだけで、少女を、あの生意気で、愛らしくもない少女を助けてそして───
謝らせる。
もう僕は、飛び降りていた。
落下の衝撃で半分ひしゃげた足を動かす、動かせ、速く、もっと。
ああ、畜生───どうしてこうなるかな、一日に二度も落下を経験したくなかった。
だが、
肉体的苦痛で誇りが守れるなら、
守るだけで、誇りを苦痛に晒すことがないなら、
─────落下も打撲も骨折も上等だ。
藍の背中は、目前だった。
藍に覆い被さって、抱き締めた。
来るであろう痛みから衝撃から─────藍を守るために。
ぎゅうっと、抱きしめた。
〈SCENE 011〉
辺りは、静寂だった。
僕は、抱きしめる力を解く───手を立てて、四つん這いのまま覆い被さっているようになった。
藍の顔に、僕の顔で影が落ちる。蝿は、どうやらあの投擲で羽を切られていたようだ。足を使うことが滅多になかったのか、床でもがいている。
そして、水の滴る音がした後、低い嗚咽が静寂の中に漏れる。
藍が僕の顔を見て、口を開く。
唖然としたように───呆然としたように。
「ねえ、お兄ちゃん」
「なんで、泣いてるの?」
だって───
「痛いのは、嫌だから。」
それは、僕の中の《湧き上がる想い》も
─────僕もそう思っていた。
痛い思いをするのも、痛い思いをするのを見ているのも
────嫌だった。
泣いちゃあ、舐められたままだ
───でも嫌だったから、仕方ない。
「そっか」
「よしよし。」
邪悪なる、片割れなる少女は、
ただ優しく───微笑して、あやすように頭を撫でた。
僕は矜持を、貞潔に砕かれた。
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