【弍】なけなしのプライドは善良にもある

 〈SCENE 005〉


 ───目が覚めた。

 まず最初に見えたのは、アーチ状に曲った、大きく一部が割れた、格子の模様が入ったガラスの天井。そこから見える、曇り空。二度目の天井であったのと同時に、先ほどまで何が起こっていたのかを整理するため、大きく息を吸って、吐く。秋にしては不思議と湿った空気が肺を満たす。


「・・・お兄ちゃん、大丈夫?」


 白髪の少女がしゃがみ込んで、僕の安否を聞いてくる。病衣は赤黒くなってしまっているが、それ以外に目を向ければ、美しくか細い声で心配する、美少女。まるで天使で聖女のよう

 ───とはならない。だって、


「大丈夫も何も、藍ちゃんのせいでこうなったんだと思うんだけれど・・・」


 そう。僕は見事なことに利用されてしまい、目の前の少女───アイの犠牲にされてしまったのであった。

 愛の犠牲なんてそんなロマンチックな物ではなく《あいの犠牲》。


 目の前の少女の名は、あい

 僕の片割れであり、そしてとても邪悪(こんな言い草は咎められそうだが、断じて訂正するつもりはない)である。


 どれくらい邪悪かと言えば

 まず片割れを犯罪者呼びする。

 七回ほど。

 そしてヘンタインと言う何とも無様なあだ名を付けようとし。

 先ほど、十五メートルから落下する際への緩衝材に、僕を選ぶくらいには邪悪だ。


 この出来事は僅か三十分で繰り広げられた。


 つまり二十四時間過ごすとするならば───

 七百二十メートルから落とされ、

 三百三十六回犯罪者呼びされ、

 四十八あだ名をつけられることになる。


 うん。

 これは流石に詭弁か。

 内心で誇張した悪態をついていると───内心が表情に出ていたのか、優しい言葉で鋭い反論を喰らってしまう。


「んっ、いや、私は何にも言ってないよ?ただ、落ちようとしただけで。」


「くっ・・・」


 確かに、藍はただ落ちようと

 ───病室の三階の窓から飛び降りようとしただけである。


 そこで自分の中の《湧き上がる想い》?が出て、助けようと同時に飛び降り、粉骨砕身ふんこつさいしんの想いを奮わせ抱き寄せ───結果的に下敷きになり、藍を守りながらも背骨を粉骨砕身ふんこつさいしんしたのである。


 それだけだ。

 故に、言い返せない。


 しかしそんな沈む思考と、気分とは裏腹に、藍は微笑しながら仰向けになっている僕の顔を覗いた。僕は少し驚いて、ぴくりとする───立とうにも立てない、覗かれ、穏やかな表情で見つめられる。


「んふふ、惚れちゃったよお兄ちゃん。さすが、お兄ちゃんだね」


 えっ。

 照れるなあ。

 優しい声でそんなことを言われたら、命をかけた甲斐があったとしか思えない。藍はその血色の薄い唇をおしとやかに動かして、言葉を紡ぐ。


「うまく操られ、んんっ。・・・うまく助けてくれた。」


 えっ、うーん。

 照れないなぁ。

 怪しい発言でそんなことを言われたら、命をかけた甲斐があったのか疑問だ。先ほどまで緩まっていた顔の筋肉が引き締まった気がする。

 のと同時に。

 一つ重要なことに気付いた為、話の流れは無視して単刀直入に聞くことにする。


「・・・はいまぁ、嬉しい褒め言葉は受け取るとして」

「藍ちゃん、喉の傷ないけど」


 《喉の傷》。

 来訪者らいはうしゃ真田川さなだがわ 三雪みせつによる、手から出る刀で斬られた、喉の傷である。深くまで切られ出血、その上 喀血かっけつまで起こっていたはずだ。手当の心得があっても、治療なんて無理な程の重傷であったはず。それなのに藍は平気そうに、首筋に傷一つ残さず

 ────僕たちは平気で、喋っていた。


「お兄ちゃんを引き摺って、ここについたら、治ってたよ?私の喉だけじゃなく、お兄ちゃんの背中の方もね」


 覗き込む藍の顔を避けるように、もがき左にずれ、そのまま身体を起こしてみる。

 背中には、硬い床で寝ていたことによる痛みが残るだけだ。


「本当だ。・・・うぅん」


 真田川が出したキーワード《妖怪》。

 そして僕たちを、彼女は《退治》すると言って切り付けた。


 もしかすると、僕らは

 ────妖怪なのだろうか?

 その妖怪が何なのかは分からない。ただ、頭に妙に引っかかる。しかし、妖怪、祓魔屋、二つだけ。明らかパズルのピースが足りない。角が欠けている。

 どうにか思い出せれば───


「ふふっ、お兄ちゃん。えいっ」


 上体だけ起こしていた僕の背中に、体重がかかる。僕はそのまま前に倒れ込み、僕と関節の悲鳴がデュエットする。


「ほぉっ!?ちょっと、ちょっ藍ちゃぁぃっ!?」


「んふふ。どうかな、妹のないすばでーは。」


 自慢げに藍はそう言って、背中に乗っかって全身をすり寄せてくる。

 藍の名誉めいよのため、先に断っておくと───藍が重いというわけではない。

 むしろ軽いのだが、意図的に、わざと、腰を殺すための体重のかけ方をしている───痛い。


 あとナイスボディを気にする余裕がないし、気にしたら真正しんせいの犯罪者だ。しかし、ひとつ。これは《嗅覚による五感による不可抗力》なので、伝えておくが甘い蜜のような良い匂いがすることは報告しておく。


 僕は身体を揺らした。何とか藍を振り払った。

 そしてしなびた顔をして、願う。


「はい!十分じゅうぶん堪能たんのうしましたのでもう引っ付かないでください!お願いします!」


 僕はきっかりと、はっきりと、これ以上の負傷をするわけにも行かずそう言った。そうしたら藍は可愛らしく、ことんと首を傾げ不思議そうな顔をして、怪訝けげんそうな声を出す。


「んっ、堪能・・・やっぱり犯罪者だったんだね。犯罪者のお兄ちゃんは、これぐらいだと足りないんじゃ?」


 僕は黙る。

 どうやら堪能は失言しつげんだった。


 〈SCENE 006〉


 堪能を数分 なじられ、マッサージと称し、ないすばでー堪能会と称した、人体破壊じんたいはかいを行われそうになったが何とか無事に逃れることが出来、とりあえずは、別の場所に移動してから堪能すると言う約束になった。


 別の場所に移動する理由は、先ほどの病院とそう遠くはないからだ。流石に二度目は生き残れるとは限らないし。


 移動すると言うことは、今居る場所を見ることになる。

 前後には外側から商店街の名前などが書いてあるプレートが付いた出入り口が一つずつあるが、逃げるなら逆側が良いだろうと言う立案から僕たちは、入り口から逆側に進んでいる。


 僕は治るとしても破壊されたくないため出来るだけゆっくりと、見回るようにこの空間を見ていた。

 ここ風景からわかることは、シャッター街と、知識はそう言っていた。


「寂れてるな・・・」


 商店街近くに大型のショッピングモールなどが出来ることで、客が吸われ営業することが難しくなり、取り壊すこともできないため、店のシャッターを永久的に閉める。


 商店街のほぼ全ての店舗がそうなってしまった場合の名を、シャッター街。

 ここは、それだった。

 ほぼ全ての店に大小あれど古いシャッターが落ちていて、清掃されず、くすんだ白いタイルはここの薄暗い雰囲気を感じさせた。所々に花壇もあるが、それには花も草も植えておらず、商店街全体で殺風景さを

 ───わびしさを感じさせていた。

 そして正直

 ───不気味とも思った。


「・・・どうしたの?藍ちゃん」


 そう思っていたのは、少女である藍も同じなのだろう

 ───後ろから病衣の裾を摘まれて、僕は反応を示し立ち止まる。


「あ。不安とかじゃないよ。そう思ってるのはお兄ちゃんで十分だから。」


 違かった。がしかし、立ち止まってから振り向いてみれば、僕らが歩かないと足音すらしない静寂の中で藍は訝しげな目をしていた。


「いや、ちゃんとした理由があってね、羽音がして────」


「羽音?」


 羽音。

 先ほども言ったように、ここは静寂の中にある。今聞こえたのは、閉鎖空間で少しだけ反響した僕たちの声だけだ。

 いやいや、羽音なんて。また嘘を

 ────と出口を目前に言いかけたところで、僕は気づき、裾を掴むこともなく


「外が、《視えない》。」


 深淵しんえんを見て、慮らず、こう言った。


 〈SCENE 007〉


 それはつまり、出られないと言うことであった。


 補足をしよう。

 僕たちが見たものは出口の先。つまり外だったが、その外が光を全く反射しない、先の見えない暗闇になっていたのだ。足を出すことはできるが踏めない。


「んー、透けちゃってるね。えいえい」


 藍は水遊びをするくらいの気持ちで、暗闇に足をちょんちょんとする。暗闇を背景にしていると、やはり、白髪の、白肌の色が良く見える。でもそんな見惚れている場合でもないので腕を掴んでこっち側に引っ張っておく。


「いやいやっ、危ないって」


 落ちればどうなるかはわからない。

 これらは、反対側───もう一方のゲートも同じだった。


 この事実は、僕を悩ませた。

 がその事実は、あっさりと解決されそうでもあった。

 第三の《出口》に心当たりがあったからだ。

 藍がこう言ったのも、僕の閃きを裏付けるものになった。


「言っておくけどねお兄ちゃん、嘘はついてないから」


 《羽音がした》

 ───あの深淵と対峙する前、藍はそう言った。

 つまりはこの中には、僕たち以外の生物はいる。

 そもそもいた可能性もあるが、とりあえずは入れる場所があると考えても良い。


 それを踏まえて脱出する方法を考えながら、そう言えば、と嘘五割本当五割の少女に質問をしてみる。何気に僕は、これについてずっと気になっていた。


「どうして助けたの?藍ちゃん」


 助けた理由。気絶していたし、いないといけないと言うこともなかったし、不思議だった。一縷の望みを賭け、何か特別なものがあるのかと表には出さずとも内心期待して質問する。


「んー・・・利用できそう、飼えそうだったから!」


 少し考えた後、明るい笑顔で、とても納得したようにそう言った。

 どうやら僕にはペットの素質があるらしい。


 〈SCENE 008〉


 そんな雑談をしていたら考えがまとまったため、僕たちは閉まっていた各シャッターを開く試みをし、そこで開いた場所を物色し(ほぼ空なことが多かったが)台車や本棚、段ボール箱をかき集めた。

 本棚を五つ抱え、台車で藍を運び、段ボール箱の中に隠れた藍を探す────妙に隠れるのが上手いせいで、本棚を運ぶ時間よりも探す時間の方が多かった。


「はっ、はぁっ、お兄ちゃん、ねえ、こういう時ってさ、ふつー無駄に、体力消費しないでしょお・・・」


「あいにく僕は、体力が有り余ってるみたいで、ごめんね」


「うにゃあぁ・・・もう動けないよぉお・・・やぁだぁ・・・」


 最初目覚めた時と同じように、仰向けになってぐったりとする。目を薄ら開け、薄い病衣を濡らし、汗だくにして息を激しくしている。

 どうやら、藍に僕のような体力はないようだが、力は僕と同等のようだ。半身ずつバランスを取っていると言うことなら、ここは、体力が無い代わり身軽さを持っていると言うことなのだろうか。


 ちなみに僕がしたのは、煽ってきた声から探知して徹底的に、付近の段ボールを蹴飛ばしただけである。そこで逃げるところを捕まえて手伝いさせた。

 大人気おとなげないとは言わせない────片割れに大人も子供もあるものか。


 そして藍を尻目に、僕はその台車、段ボール、本棚の積み上がったゴミの山を登って行く。


 そう、《天井てんじょう》である。


 ここで仰向けになっていた時、一部が割れたガラスの天井の向こうに、曇り空が見えていた───と言うことはつまり、天井はあの深淵に閉ざされていないのである。

 そしてかき集められたもので稼がれた高度は十分にあった。

 だが、少女の身長しか持たない藍は届きづらい、そこで僕が上に登り手を差し伸べることで、無事脱出が可能という寸法すんぽうだ。


 僕は一足先に登って、天井から顔を出して藍に呼び掛けた。


「よいしょっと・・・おーい、届いたよ」


 藍は、はっとして僕を見て、そして落胆と絶望の表情をする────いや、違う。そびえ立つガラクタの山と、その先にある天井を見てだ。


「んえ、えうぇ・・・・・・うそぉ・・・む〜りぃ〜・・・だぁっこぉ・・・」


「わかったから、とりあえずこっちまで。僕が降りると、崩れるかもしれないし」


 そう言って、頂点に置かれた段ボール箱をぽんぽん叩く。


「んぁ〜・・・うん、わかったよ、仕方ないね。」


 まぁ、本音を言ってしまえば降りるのが嫌だった、疲れるし

 ────しかし僕は、結局また降り、登ることになる。因果応報、と言っても良かった。


「うんしょっ・・・ったくよー・・・お兄ちゃんはこれだから・・・」


 悪態を全身で表現しながら這うように登ってきて、そして藍は、ふと、本棚の角に手を付けた中腹あたりで後ろを振り向いた。


「───羽音、また」


 そしてその時、僕には《視えていた》。

 《はえ》。二メートルは優に越える、蝿が藍の背中にひっついていて、そしてその存在は、僕に

 ───《畏怖いふ》と《嫌悪けんお》を与えた。

 ───昔の、この感覚を覚えていた。三つ目のピース。


 僕は、蝿の不気味な黒い目が、振り向いた藍の綺麗な翠の目を検分して、か細い首に牙を当てがった所で思考を中断せざるを得なかった。


 飛び降りドロップキックを、蝿にぶち当てたから。


 〈SCENE 009〉


 僕はまた、無意識の間に動いていた。


 突き動かされる何かに突き落とされ、藍の背中に付いていた、約2メートルほどの蝿を、飛び降りながらドロップキックで───スタンプと言ってもいいかもしれない────で蹴り飛ばした。


 蝿は、ガラクタの山を転がり落ちていく。裸足だったため、気持ちの良くない感情が蹴り心地から加わった。


 しかし、残念かな。


「あっ・・・!まずっ」


 無鉄砲に───突き動かされるままに空中に飛び出たため、足の置き場も掴む場もないまま落ちていき、このままでは天井から床までの差約十五メートルの衝撃をまたもや受けることになる────若干の後悔と覚悟を抱きながら落下の衝撃に耐える準備をしようとしたところで、後ろから、首根っこを掴まれる。


「んん。なるほど。そこだね」


 そうだ。

 協力させ本棚を運ぶ時、藍は疲れてはいたが、しかし成人男性ほどの力と同等になっていたことはわかっていた。そして今考えれば───藍の性格からすればきっと、楽をして手を抜いていた言うことにもなるのだろう。


 成人男性───落下しかけの僕の首根っこを掴み、空中に浮かせられる程の力を藍は、有していた。そして藍は僕から手を離し、ガラクタの上でも安定した場所に座らせた。

 僕はへたり込んだ。そんな僕を置き去って、ガラクタの山をとんとんと、余裕を持って降りていく。


「今回は助けて貰ったみたいだし、これで借りひとつ、助けて貸しひとつ。これで合計ぜろ。」

「となると、ついでにその辺にいるであろう虫さんを殺してお兄ちゃんに貸しひとつだね、いいよね?」


 藍は、微笑み振り向き言って、降りて行く。そんな一方的な貸し借り認可できるか───と言う前に。


「あ、いや、でも藍ちゃんには視えないんでしょ?それじゃあ───」


 僕は視える───あの蝿の姿が。でも僕にはあの蝿の羽音が聞こえない。藍は視えない、しかし音は───羽音は聞こえる。それは、普通、視える方がいいんじゃないか?聞こえないと、戦えないんじゃないか?いや違う、それ以前の問題だ。

 戦わせたくない、この子を。


「じゃない、そもそも藍ちゃんは子供だし───」


「妖怪だよ。妖怪に、大人も子供もあるものなの?それに、起きてからずっと、私にしてやられているのにね」


 面食らってしまった。


 振り向いた藍は、あの顔をしていた

 ───底知れぬ悪意を持った、悍ましく美しい表情。あの顔をして、見透かすようにあなどるように、尊厳を踏み躙るように見つめていた。にたぁ、と笑って、正面を向いて、とんとん降りていく。


 僕は安全に、ガラクタの上で鑑賞する。それでいい。戦わせない理由なんてない。藍は、妖怪で、邪悪な片割れだ。助ける理由なんてない。


 それでもなぜか、僕を《突き動かすもの》とは別の感情が内で暴れていた。


 藍は、病衣を揺らしながら一直線に、蝿の位置に向かっていく。

 妖怪が視えないはずの少女が近づいてきたことに、蝿は怯えているのか、それとも少女とは思えない表情に怯えているのか牙を丸出しにして待っていた。


 多分、放っておいても、あの少女は死なない。

 寧ろ殺して、

 無事戻って、

 何事もなく、

 ───ここから共に、僕は下に置かれながら、逃げおおせる事ができる。


 それでもやはり、あの邪悪な片割れを、藍を戦わせたくないのは、

 この内で暴れる感情は、

 あの少女の思惑にこれ以上乗ってたまるかと言う、

 ペットとして飼われてたまるかと言う、

 片割れとして同等でありたいと言う、

 ────なけなしの《矜持プライド》なのだろう。

 

 自分の意思で、ガラクタの山から転げ、駆け出していた。

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