除法譚

井戸人

《EP1》犯罪者に非ず被害者に有る

夢を見ていた。

それは剣で、刀で、刃物で───身体を真っ二つにされる夢だ。


真っ二つ。


丁度分けられるように、丁度分けるように真っ二つに。

肉体が分離していく中、身体に痛みを全く感じなかったのだ。

その代わり、何か大切な物が失われていくような気がした。

命とか、能力とか、活力とかじゃない、もっと大事なもの。


地面に打ち付けられ、冷たいアスファルトの感覚で目を開ける。

そこには、少女がいた。

同じく地べたに寝転がっていた。


そして気付く。

目の前の少女こそが、真っ二つにされて失くしたもっとも大事な者だったことを。

大事な者も地面も、微睡んで自身すらも輪郭を得れなくなって、手を伸ばそうとし足音が聞こえて、そうして─────


意識が蕩けて行く。


━━━━━━

━━━




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〈SCENE 001〉


意識が再形成される。

瞼が上がる、視界が開ける。


背中が柔らかい物の上にある。

身体に布が掛けられている。

そして見える天井。

つまり仰向けに寝ていると言うことである。

───知っている天井だ。

《病院》と分かる。


知識として知っている。この天井は病院の天井だ。しかし知っているだけで、自身が歩んできた人生、名前、それらは全て《わからなく》なっていた。

《経験が、脳からすっぽり抜け落ちて》いた。


少し、考えてみる。

その結論は、これであった。


《重度の記憶障害》。

───致命的である。

自分の積んだ経験や交友関係、全てがリセットされてしまうのだから。

だがしかし、それならまだ手の付けようがあったんだろうけれど、ベッドから体を起こしてみて、思考を回してみて、新たな事実が判明してしまった。


知らない肉体。知らない思考。

ベッドの上に居るだけにも関わらず、自身の思考、自身の肉体に違和感を感じてしまう。

《私の体は、これではない》と。


もしや...《肉体喪失》?

いやいや、そんな病名はない...それはただ死んでいるだけだし。もう少し現実的に考えてみる───あれか、転生と言う奴なのだろうか。今の所、覚えていることは真っ二つにされた事云々なだけなのだから。


となれば近くに神(最近は多様な為、女神とも記しておく)が居て、何かスキルを貰えるのだろう。


私は落ち着く為にも無理矢理雑にこじ付け、周囲を、病室を見てみる。


そこでもまた、風景に落ち着くことのできない違和感が生じた。

左右に一つずつ、計二つ点滴をつり下げるスタンドと点滴があったのだ。


何故それに違和感を感じたのかを分かってもらうためには現在の状況を説明しなければいけないのだろうから、ベッドの上と言う一視点から病室を説明する。

ベッドは一つのみ。地味な白色の壁紙をしていて、左に扉、右に窓、ちょうど真上に掛け時計。


身を捩って見てみれば、時刻は十一時五十七分。お昼時だったが、寝ていたからか空腹はあまり感じなかった、それどころではないと言うのもあったし。


そこから自身の状態を確認してみると左手首に点滴の針、そして病衣、ついでに髪型、胸板で、男なことがわかった(健康面としては不調で、少し頭がだるかった)。


となると一人称は僕で決定である───おっと、脱線しかけていた。


そう、先程語った違和感と言うのは、《右手首に点滴の針はついていないにも関わらず右側にも点滴がある》ことだ。


右側の点滴の、透明のチューブをよく注視する。

───掛け布団の中に伸びている。ちょうど隣。

捲られ切れていない、余っている布団の右スペースへ。

ただ置き忘れて布団の中が濡れているだけか。

はたまた───人なのか。


僕は、意を決し捲った。


人はいなかった。

神もいなかった。


その代わりに─────《天使が居た》。


〈SCENE 002〉


────美しく、透き通った白髪。

ふわっとした前髪は短く、目にかからない程度。

横髪はくるりとカールをかけて唇のあたりまで伸びており、後ろ髪は長くベッドの上で乱れていた。


そんな髪を持った天使は、少女の見た目をしていた。

体躯はとても小さく、病衣から見える手足はか細く、はっきりと喉仏が見えるほどに肉は薄く、そして病的とも言える白肌。


顔立ちは端麗であり、目、鼻、唇に至るまでが繊細だ。少女でありながらも可愛らしさを感じさせない程、哀しさを感じさせていた。


それが身を丸め───儚く───芸術の如く美麗さを持って存在していた。


それと同時に、親近感を感じた。

何処か近い血縁のような、生き別れの双子のように感ずるものがあったのだ。そして一つ、脳内でしっくり来る単語が浮かび上がった。


「片、割れ」


《片割れ》。


そう声に出た。

予想以上に自身の声色は低かった。

本能が告げている、この天使は《片割れ》なのだと、あの夢の中の、もう半身の精神と肉体を持つ目の前の人物なのだと。

天使のような少女────これが自身の片割れ。

戦慄する。なぜかと言えば、僕をもう一方とするのであれば、僕はもしかしたら────


「...だれ...?」


意識が、はっと戻される。早まる動悸が治っていく。

心にまで入り込んで来るような、透明度を持つ声。

静かで、ソプラノチックな、か細くノックひとつで掻き消されてしまいそうな程、弱々しい声で。


その声の持ち主──少女は今、ベッドに手をつけ、身体を支え、無い体長を伸ばそうと精一杯頑張りながら、こちらをじっと、

宝石がそのまま嵌められた様な美しき、翠色の瞳で見つめているのだった。


「あ、ああ、えっと───」


僕はそんな少女に上手く対応することが出来ず、言葉に詰まってしまう。分かってくれるのだろうか?

片割れだと。

子供だし、見た目が違ければ知識が同じとも、精神が同じとも限らない。


難しい。


どう説明すればいい?できれば何もせず、感覚でわかってほしい。

分かってくれなかったら、叫ばれる事は避けられない事であるが。

しかしやはり大人、相手任せにならないように、叫ばれない様に、どうにか説明しようと息を吸い脳で文章を組み立てた所で

─────少女がまた新しく言葉を発した。


「...んっ、そういうことなのかな」

「きっと、そういうことなんだろうね」


少女は外見に反し、僕よりも流暢に、大人びた言葉遣いで目を細め、そう独り言の様に言ったのである。毛先を弄り始りながら、いつものルーティンかのような冷静さを持って。

少し唖然に取られながらも、文章を組み立て直す。


「...えーっと、分かってくれたかな。《片割れ》...なこと。ごめんね、上手く説明できなくて」


「いいよ別に、大丈夫。」


どうやら天使はそっけないらしい。

そう思ったが、どうやら徹底的に無口と言う訳でも無いようだ。目を細めたまま下を見て、僕から瞳を背けながら話し続ける。


「別に...お兄さんが、《起きるまで待って状況を説明してから襲うゲスい犯罪者》でも大丈夫だから。」


思わず聞き返す。声は聞こえた。ただ意味が分からなかった。単語の意味ではなく、文章の意味が。


「待って、今何て」


少女の口角がくいっと、上がった。


「.......別にお兄さんが!《起きるまで待って状況を説明してから襲うゲスい犯罪者》でも大丈夫だからッ!!」


思いっきり声を張った少女の声が、扉から病院中に響く。

そこから数秒後複数の足音が外から響き、僕が唖然、驚愕としている中

────少女はその哀らしい顔を崩し、憎らしい、翠色の目が丸々見える、口角の上がった悪戯っ子の顔になる。


今度は声を抑え、顔を上げ悦を隠し切れなさそうにこう言った。


「なんてね。いえーい、ドッキリ大成功。」


─────僕は全く思い違いをしていた。

─────悪魔だった。

─────これから僕は、

この悪魔と死ぬまで付き合う事となる。

だからどうにかこの譚を、

僕の《愚痴譚》を聞いてほしい。


そうして、病室の扉が開かれた。

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除法譚 井戸人 @idozin

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