第4話 誘惑
「いつものあたまにしてください」
「かしこまりました。この間、雑誌見ましたよ。当店にも置かせていただいております」
「うれしいー」
「本当に銀座校開校おめでとうございます。忙しくなりますね」
「その代わり、ここの店にちょくちょく来ることになるから、我妻さんよろしくね」
「それは願ってもないことで」
我妻翔は黙々と髪を切っていく。
美穂はファッション雑誌を穴が開くほど眺めている。
慶應の奥様方との付き合いで、ファッションには気を使っていたつもりだったが、美穂には、ファッションセンスというものがないらしく、いつも地味ねーと嫌味を言われていた。
雑誌の取材や本の作成にあたり、用意された服を見ると美穂がいつも選ぶ服とは、一段と違って、ハイセンスだ。
「そういえばこの前の話考えてくれましたか?」
翔が耳元でささやいた。
「食事の件?わたしこれでも人妻なのよ。男性と食事しているところを知っている人に見られたら誤解されるじゃない」
「誤解されてもいいんです」
美穂は一体我妻が何が言いたいのかわからなかった。
この間は、銀座校おめでとうございますと花束をくれた。
気持ちは嬉しかったし、我妻と話していて浩太郎にはない優しさにふと惹かれるような思いをすることが時たまあった。
だが、15歳も下の我妻と男女の関係など考えられない。
浩太郎の女遊びに凝りている美穂は男はこりごりだ。
早く刺繍教室の運営を広げて、浩太郎と離婚したい。
ただ、それだけだ。
「失礼ですが、片岡さんは女でいることを忘れている感じがします」
「どういうこと?」
「ご主人様に愛されてないでしょう?」
「本当に失礼ね!」
でも、当たっていた。
浩太郎からは愛されていない。
最近、おしゃれの研究をしているが、一方で、おしゃれをする気力が若い時よりもなくなった。
浩太郎はどんな髪型にしようが、どんなに派手な服を着ようが、うーともつーとも言わない。
毎晩、午前様で帰ってきて、金曜日はお泊りだ。
きっと、また、わたしとは正反対な女と情事を交わしているに違いない。
「待ってます。いつまでも。僕、美穂さんに本気なんです。嘘じゃないです」
「いやあね。40過ぎたおばさん捕まえて」
でも、美穂は心の中では悪い気がしなかった。
この美容院に通い始めて、担当が我妻になり、我妻が発する言葉の端々に美穂に好意がある雰囲気を受けて、美穂もまんざらではなかった。
美容院に通い始めてから、いや、我妻が担当になってから、美穂の人生は刺繍教室と共にパッと晴れやかな気持ちになった。
でも、男なんて信用してはいけない。
ましてや15歳も年下だ。
捨てられるのは目に見えている。
「流し台にどうぞ」
我妻に手をつかまれて流し台へと美穂は進んだ。
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